第8話 荘康記の悩み


 両側から女たちに支えられて部屋を出て行く男たちを見送ったあと、逞華嬢てい・かじょう康記こうきの横に座り直した。


 男の体にその柔らかい体を添わせる。そして傍らの酒のかめを手にすると、康記の持つ盃に酒を満たしながら、甘い息で耳朶じだをくすぐるようにささやく。


「康記さま、今夜は、あまりお酒が進みませんね。なにか、お心を曇らせることでもありましたのでしょうか?」


 ため息とともに答えて、康記は盃の酒を飲み干した。

「華嬢、おまえはほんとうに人の心が読めるのだなあ」


 何度も体を重ねて、いまでは華嬢と呼び捨ておまえと馴れ馴れしく言う。彼女の乱れる白い肢体を抱いていると、自分は女を喜ばせることのできる大人の男だと思う。しかし、彼女にささやきかけられると、とたんに年下の男に戻る。


「まあ、人の心が読めるなどとそんな大それたこと、出来るわけがございません。でも、いとしい康記さまのお心が晴れていないくらいは、この華嬢、手に取るようにわかりますとも」


 常に康記を持ち上げる彼女の甘い言葉は、今度は康記の心をくすぐった。こんないい女にいとしい男と呼ばれて嬉しくないわけがない。

 だが、なぜにこのおれが華嬢に選ばれたのかと思う。そして時に康記の目を盗んでの、互いの目くばせとなって表れる悪友たちの露骨な嫉妬を思い出す。


 確かに華嬢の難儀を救おうと、初めに立ち止まったのは康記だった。と言っても、刀を抜いてならず者たちを斬り殺したわけでもない。皆で刀をちらつかせて言葉で脅しただけで、彼らは蜘蛛の子が散るように逃げていった。

 若造の四人が権力や金にものを言わせる役人や豪商の息子たちだと知っていて、関わるとろくでもないことになると、ならず者たちは身に染みているからだ。


 四人……?

 いや、四人ではない。


 何不自由なく遊び暮らしてはいるが、康記だけは豪商・園家の息子ではない。最近、泗水しすいにやってきた園家の居候いそうろうだ。

 確かにその顔立ちも美丈夫な体格も女たちを振り返らせるほどによく、また泣く子も黙る荘本家の三男であることも事実ではある。それにしても慶央ははるか遠い街のことだ。その威光は泗水までは及んでいない。


 だから、直接的な言葉で言われたことはないが、康記だけが逞華嬢てい・かじょうにひいきされることを、悪友たちは心よくは思っていないことはわかっていた。


「康記さま。その胸の内、よろしければお聞かせくださいませ」


 男の手から空になった盃をとりあげて、華嬢がしなだれかかってきた。片手でその華奢な肩を抱き、もう一方の手は深く女の開いた着物の衿繰りから胸の中へと忍ばせる。女はあえいだが、それでももう一度聞いてきた。


「ぜひに、お聞かせくださいな。お気が晴れないからと言って、手荒なことはいやでございますよ。」


 年上の女を御するのは、まだ康記には難しい。ご機嫌をそこねて、今夜のお楽しみを台無しにすることは避けたい。彼はしぶしぶながらに口を開いた。


「泗水の暮しがいやになった。

 出かけようとするたびに、園家の叔父や店の番頭たちが『今日はどちらへ?』とあからさまな皮肉を込めて訊ねてくる。それを無視して出かけようとするおれの背中に、やつらの視線が突き刺さる。

 しかし、いまさら慶央に戻ることもできない。

 父上は『どの面さげてもどってきた』と冷たく言うだろうし、きまじめな兄上は、再び、おれのはしの上げ下ろしにまで、口うるさく言い始めるだろう」


「まあ、どのような深刻なお悩みかと思えば、そのようなことでございましたか」


「いまのおれにとって、これ以上の深刻な悩みなどあるわけがないだろう」


「ご案じなさることは何もございません。そのような小さな悩みなど、そのうちに消し飛んでしまいますよ。ええ、わたくしにはわかりますとも」


 膝の上に倒れ込んできた女が、誘うように見上げてくる。袖がたくれてあらわになった腕が男の首に巻きつき、その美しい顔がまじかにせまった。


「小さな悩みか……。そうか、消し飛ぶか……。華嬢がそう言ってくれると、おれも胸の内が明るくなったような気分だ」


「それはようございました。わたしの愛しい康記さまは、そんな些細なことで悩まなくてもいいのですよ。

 そんなことよりも、夏の夜は短いのです」




 ******


 季節が廻り、荘康記そう・こうき逞華嬢てい・かじょうにくだらぬ愚痴を聞いてもらったことも忘れたころ、えん家の主人と番頭と荷物持ちの下僕が殺された。


 彼ら三人の無残な惨殺死体は、泗水の街を取り囲む城壁の外の山林で発見された。まるで馬車からごみでも投げ捨てたかのように、細い山道の真ん中に三人の死体は折り重なって積まれていた。


 その前日の朝のことだ。


「どうやら大きな商談がまとまりそうだよ。

 先方様が、話がまとまるまではご自分の名前を出したくないと言われるので、まだ仔細については何も言えないのだけどね。夕刻には帰ってくるから、わたしや番頭さんがいない間も、皆でちゃんと商いに励んでおくれよ」


 泗水で手広く交易を営む園家の主人は、いつもと変わりない声でそう言った。そして番頭と下僕を供にして、まだ名前は明かせないという取引先の相手が寄こした馬車に乗り込んだ。


 それが約束の夕刻になっても帰ってこない。

 話がまとまって、前祝いにと妓楼にでも繰りだしたのか。今までにそういうこともあったにはあったが、それならそれで言伝ことづてを寄こさない主人ではなかった。




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