序章
第1話 神々の戯れ
果てのない宇宙を支配せねばならないので、天上界に住む神々は常に忙しい。しかしながら彼らの命は、悠久という言葉そのもののように長い。
それである日のこと、自分たちの悠久の
箱庭の北の方角にはすべてを凍てつかせる雪原、南の方角にはすべてを干乾びさせる灼熱の砂漠、東の方角には海水が瀑布となって奈落へと流れ込む大海原、西の方角には万年雪を戴いてそびえたつ高い山々。
しかしながらそれらに囲まれた低い山々や森や草原やそして流れる大河は、なんと変化に満ち満ちて美しいことだろう。
下界での時の流れは、天上界とは比べようもないほどに早い。
あっというまに箱庭の中では、山の形と川の流れが変わり、草原が森を侵食する。箱庭全体の色も、青に緑に白に赤にと時の流れとともにさまざまに変わる。
それはまるで透き通った石の中に閉じ込められた光のきらめきのように美しい光景だった。
それは、見下ろす神々の目を楽しませた。
しかしながらやがてそれだけでは物足りず、天上界と同じように、山には獣を平原には虫を川には魚を空には鳥を放とうと、言い出した神がいた。
「せっかく森の木々に草原の草々に花が咲き実がなるというのに、そのまま朽ちさせてはもったいないではないか」
異議を唱えた神はいなかった。
「そうだな、獣・虫・魚・鳥を放てば、箱庭の景色にも、また違う変化が現れるに違いない」
「それはよい考えだ。眺める楽しみが増えるということだ」
神々は口々に言った。
それからまた気の遠くなるような悠久の時が流れた。
ある日の夕刻、宴を抜け出した男と女の神が数人、箱庭を見下ろしながら千鳥足で歩いていた。まだ酔い足りないと手には盃と酒を満たした甕を持っていた。
首を伸ばして足元を覗き込んだ神の一人が言った。
「我々の箱庭も生き物たちが増えて確かにおもしろくはなったが、目が慣れてしまうと、面白味が一つ足りないように思われる」
その言葉通りで、今では箱庭を見下ろして楽しもうと思う神はいない。彼らのように退屈を持て余したものが、ほんのたまに訪れるだけだ。
「その通りだ。こうなってしまえば、我々の住む天上界の山や森や平原と、所詮、同じではないか」
一人の神が相槌を打ち、また別の神が盃の酒を飲みほした後に答える。
「獣と虫と魚と鳥だけだから、つまらないのだ。どうだろう、我々に似せた生き物を住まわせれば、おもしろくなると思わないか?」
「まあ、それでは、その生き物たちはわたくしたちと同じような悩みを持ち、わたくしたちと同じように愛し合い、
「そうだ。きっと、鏡を見ているような気になるに違いない」
「おいおい、それを言ってはならない。我らの天帝はそのようなことは望んでおられないはずだ」
そして互いに顔を見合わせて、ほんの一時でも自分たちの頭の中に不遜な考えが沸き起こったことを恐れた。突然、一陣の冷たい風が吹いて彼らの頬を撫で、酔いが醒めたことを感じる。
「このような忘れ去れた場所に長居をしては、
「そうでございますとも。宴の席に戻りましょう。皆が探しているかも知れません」
神々がいっせいにその美しい着物の裾を
「おい、おまえたち、先に戻っていてくれ。
「それは難儀なことでございましょう。だれか、肩を貸してさしあげて」
「いや、大丈夫だ。一人で出来る」
その言葉の通り、仲間の神々と侍女たちが去ったのを見計らうように、一人残った神は履を履き直して立ち上がった。
しかし彼の手の中にあったのは、
立ち上がった彼は
再び、悠久の時が流れ過ぎた。
もはや神々の誰も、箱庭を覗いて楽しもうと思いつくものはいなかった。おもしろいことや楽しいことは新しく次々と湧いて出て、そしてそのどれも神々でさえ長続きはしない。
打ち忘れられていた箱庭を久しぶりに覗いたのは、
落ち葉の多いところを探してうろうろしているうちに、かつて神々が箱庭を見下ろしては楽しんだ場所に来てしまったのだ。
どうやらここは自分が来るようなところではない――と気いて急ぎ引き返そうとしたが、好奇心が打ち勝った。
池の端のような場所にそろりそろりと近づいて覗き込む。
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