第78話 カエサル部長
火曜は錬金術クラブデーだ。ホームルームは相変わらず視線がキツいけど、精神攻撃の防衛魔法を掛けて、なんとかしのぐ。
「ご機嫌よう」といつも通りに挨拶するけど、カエサル部長もアーサーも私の指輪に注目している。
「やはり、ペイシェンスだったのか!」
アーサーが珍しく大きな声を出した。
「ああ、文官コースの学生が言っていた通りだな」
えっ、私ではパーシバルには不似合いなの?
「婚約おめでとう!」
カエサル部長とアーサーは祝福してくれたけど、皆はどうなんだろう?
「なんだ? 嬉しくないのか?」
カエサル部長が私の複雑な顔を見て、首を傾げる。
「いえ、嬉しいですけど、クラスメイトの女子からは殺気が飛んできていますから、少し疲れているのです」
2人が顔を見合わせて爆笑する。
「ハハハ、それは災難だな。いや、婚約したのに災難はないか」
確かにおめでたい話だし、幸せなんだけど、あの視線は本当に困る。
「アーサー、それは酷いぞ。だが、ペイシェンスはそんな事はわかっていて、パーシバルの手を取ったのだろう」
まぁ、その通りなんだよね。
「ええ、覚悟はしています! それと、横に並んで恥ずかしくないレディになるつもりです」
ふんす! と力強く言い切ったら、2人に爆笑されてしまった。何故だ?
「素敵なレディになるのは良いが、その前にカカオ豆を滑らかにして欲しい。この機械を作るまでは、ペイシェンスだけが頼りだからな」
大きな樽にいっぱいの殻を剥いたカカオが入っている。
「滑らかになれ!」
でも、まぁ一回で済むから、簡単なんだけどね。
「相変わらず出鱈目な詠唱と効果だな」
カエサル部長が窓をコンコンと叩くと、外で待っていたバーンズ商会の店員がやってきて、樽を運び出した。
「こんなに簡単にできると知ったら、パウエルが大騒ぎしそうだ」
それは、内緒にして欲しい。
「あのう、婚約したのでもしかしたらエクセルシウス・ファブリカの代表をゲイツ様は降りてしまわれるかもしれません」
カエサル部長は、少し考えて笑う。
「ゲイツ様は、そんな事はされないと思う。ペイシェンスが権力や金で結婚させられるなら、全力で阻止するだろうが、好きだという気持ちだけで選んだのだからな」
アーサーも頷いている。夏のノースコートで天才なのと変人なのがわかっている2人が、そう考えるなら大丈夫なのかも?
「でも、木曜日には何か新作のスイーツを持っていった方が良いかもな!」
確かにね!
「今、一人鍋を考えているのです。卓上錬金釜の応用でできますわ」
スープで野菜や肉を炊きながら食べても良いし、チーズフォンデュも美味しい。
「あああ、チョコレートファウンテン! これなら機嫌がどれほど悪くても良くなるわ!」
一人鍋は、錬金釜の応用だと言ったので、想像はついていたみたいだけど、チョコレートファウンテンは首を傾げている。
「こんな風に、溶けたチョコレートを噴水みたいにして、そこにステックにさしたバナナやリンゴやパンやケーキを付けて食べるのです」
絵を描いたら、理解はしてくれたけど、呆れられたよ。
「まだ高価なチョコレートを贅沢に噴水にするのか?」
いや、どんな大きさのを考えているの? 前世でもホテルのデザートバイキングとかのは大きかったけど、今考えているのは小さいよ。
「いえ、高さは30センチぐらいですよ!」
2人はやっと納得した。
午前中は、ミハイルが来ないから、一人鍋とチョコレートファウンテンの設計図と、魔法陣を考えて終わった。
「ペイシェンス、魔法陣が書けるようになってきたな」
一人鍋は、可愛い色にしたい。でも、白も清潔感があって良いかもしれない。
「一人鍋は、ほぼ錬金釜と同じですから。考えてみたら、チョコレートファウンテンでなくても、この一人鍋だけで良いのかもしれません」
あっ、固体燃料があれば、魔石は要らないんじゃないかな? あの旅館とかで小さな鍋物の下で燃えていた青い塊だよ。
あれをキャンプで使おうと買った事があったんだ。確か材料はメタノールだったけど、どうやって作るのかな? 石鹸と同じ感じだけど?
「カエサル部長、石鹸はどうやって作られているのでしょう?」
突然の質問にカエサル部長も戸惑っているみたい。
「それは……確か油脂を苛性ソーダで固めるのだと思うが、詳しくは知らない」
この異世界、錬金術はあるけど科学は遅れている。
その上、私には科学的知識がない。ネットで買う時にチラリと見たエタノールという原材料だけど、どうやって作るのかも分からないのだ。
「ペイシェンス、何を作りたいのだ?」
私は、前世ではよく見かけた固体燃料の図を書いた。
「これを一人鍋の下に置き、火をつけたら20分ぐらい温める事ができたら良いのに……作れたら魔石がなくても簡単に一人鍋を楽しめるようになるのですが……」
ふうと溜息をつく。私には科学的知識が無い。その上、異世界の魔物の素材の知識も不足している。
「アイディアは豊富なのに、それを活かせきれていないのが問題だな」
そうなんだよね!
「私は魔物の素材もよく知らないのです。魔法使いコースで習うのかしら?」
魔法使いコースは、錬金術と薬師に必要な科目しか取っていない。
「ペイシェンス、魔法使いコースに転科するのか?」
アーサーが驚いている。
「いえ、転科はしませんが……外交官にはなれそうにないので……」
やはり、この事を考えると悲しくなる。泣きそうになっちゃうけど、我慢する。
「春学期と夏休みに猛勉強したのに、無駄になったのが悲しいのです。それに、これから勉強するモチベーションも無くしてしまったの」
家政コースは、裁縫も本当は修了証書が貰える。
「家政コースの単位はほとんど取れているから、来年は染色と織物だけ合格したら、卒業できるのね」
もう何もかも投げ出して、家でヘンリーの面倒を見ながら、ちまちまとした錬金術で便利グッズを作って暮らしても良いのだ。
「ペイシェンス、勉強して得た知識は無駄ではない。それは教養になって、ペイシェンスの宝となるのだ。それに、パーシバルの横に立つのに相応しいレディになるのなら、話についていけないようではなれないぞ」
カエサル部長に言われて目が覚めた。
「そうですね! 外交官にならなくても、知識を得るのは必要です。ああ、でも魔物の素材についても知りたいのです。もしかしたら、冬の魔物討伐に行かないといけないかもしれませんし」
2人が猛反対した。
「馬鹿な! 乗馬も下手なペイシェンスが魔物の討伐だなんて無理だ」
やはりそうなんだね。アーサーも呆れている。
「いったい誰がそんな事を言い出したのだ?」
言ったら、驚かれるだろうね。
「ゲイツ様と陛下ですわ」
やはり2人は目を見開いて驚いた。少し考えてから、カエサル部長が口を開く。
「陛下はペイシェンスをゲイツ様の跡取りにしたいとお考えなのか?」
ああ、それは断ったよ。
「まぁ、そのような事を仰っていましたが、私はそんな気はないと断りました」
ゲッという顔を2人がする。
「えええ、断ってはいけなかったのですか? 私はどうも常識がないみたいですが……」
アーサーが溜息をつく。
「普通は、そのような申出を断る人はいない。とても名誉な事だからね」
そうなんだ。
「陛下も、父は貴族の常識がないと言われていました。私もないそうです。やはり、即座にお断りしたらいけなかったのかも?」
カエサル部長が、うん? って考えている。
「もしかして、縁談でも持ち込まれたのか?」
よく分かるね? でも、この件は公表できないよ。パーシバルには言ったけどね。
素知らぬ顔をしていたけど、カエサル部長は頭を抱えている。
「お二方は魔法使いコースを選択されているのですよね。魔物の素材とかの教科はありませんか?」
2人はあれこれ言い始める。
「防衛魔法で、魔物の使う魔法攻撃について習ったぞ」
それは、素材じゃなさそう。
「攻撃魔法で、高価な素材を駄目にしないように習った気がする」
そちらかも? でも、攻撃魔法はちょっとなぁ……。
「私は、素材を知りたいだけなのに、それはないのですか?」
2人が声を揃えて言う。
「「ロマノ大学にはある!」」
それは、今は無理だね?
「あっ、冒険者ギルドでは詳しく説明している筈だ。討伐と同様に素材の確保も大事だからな」
冒険者ギルドかぁ! 異世界ファンタジーには絶対出てくるけど、行ったことないんだよね。
「侍女が許してくれそうにありませんわ」
うちの場合、父親は放任主義だから、メアリーの許可の方が難しいんだ。
「婚約者のパーシバルに付き添って貰えば良いだろ。彼なら、冒険者に負けないさ」
ああ、それ良いかも!
「何か欲しい素材があるのか? バーンズ商会で手に入れてやるぞ」
それはありがたいけど、魔力を通す他の素材を探しているんだ。
「ああああ! 素材なら何でも揃っている場所がありますわ」
魔法省の倉庫には巨大毒蜘蛛の糸もあんなに備蓄されていたのだ。あちらはサーモグラフィースクリーンに使うから、貰えないけど、何か他にもあるかもしれない。
「何か考えついたようだけど、パーシバルに相談してからにするんだぞ。考えてみたら、ペイシェンスの婚約者は気苦労が絶えない気がする」
カエサル部長のアドバイスに従おう。
「その気苦労を買って出たい奴も多そうだけどな」
アーサーの言葉に、カエサル部長は肩を竦めた。
「カエサル部長、アーサー様、相談に乗って下さり、ありがとうございます。お陰で、文官コースの勉強をする気も湧いてきました」
私の礼に2人は笑う。
「可愛い後輩の為なら、何度でも相談に乗るさ」
やはり錬金術クラブは良いよね!
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