第77話 婚約の波紋
月曜のホームルーム、ラッセルが一番先にステディリングに気がついた。
「ペイシェンス、チョコレートバナナありがとう」と声を掛けてきたんだ。
「あれは、早めに食べなくてはいけないのですよ」
一応、キャリーにそう伝えるように言ったけどね。
「それより……その指輪は?」
近寄っていたフィリップスも驚いている。
「ええっと、パーシバル様と婚約したのです」
他のクラスメイトに知られたくなくて、小さな声で話したのだけど、女学生は『パーシバル様』の単語に常にアンテナを立てているのかも?
「まさか! パーシバル様と婚約したと言いましたか!」
ああ、凄い殺意を感じる。こんな時は精神攻撃への防衛魔法だね!
「ペイシェンスほど賢くて音楽的才能もあり、料理も刺繍も裁縫も習字もできると言える方は、このクラスに見当たりませんわ。パーシバルがペイシェンスを選ぶのは当たり前です」
マーガレット王女が特に睨みつけている元学友達に止めをさした。
「まぁ、ローレンス王国ではクラスメイトの婚約を誰もお祝いしないのでしょうか?」
リュミエラ王女の言葉で、ラッセルやフィリップスは「婚約おめでとう!」と言ってくれたし、ベンジャミンとブライスもお祝いを言ってくれた。
「ちぇっ、もう少し後だと思っていたのに、やはりパーシバルは時勢を見るのが上手いな!」
ベンジャミンが何かぶつぶつ言っている。
女学生はエリザベスやアビゲイルが先ずお祝いを言ってくれた後で、何人かは祝してくれたけど、ハンカチで涙を拭いている子達は失恋したのかも? それはお祝いを言ってくれなくても、当然だと諦める。
元学友の3人もフンって態度だけど、それで社交界を渡っていけるのか不安だね。
パリス王子は、寮で知っていたから、周りの様子を見て笑っていた。
ホームルームが終わったら、逃げるように経済学2の教室へ移動する。
フィリップスがいつもなら教科書やノートが入った鞄も持ってくれるのだけど、今日はぼんやりしている。
「フィリップス、元気だせよ!」
ラッセルが肩をバンバン叩いている。何かあったのかな?
経済学2の教室に入った途端、シーンとしたよ。指輪を全員が見ている。
「ペイシェンス様、こちらが空いていますよ」
先に席に座っていたパーシバルが声を掛けると、教室全体が騒めく。
「ペイシェンスと婚約したのか!」
中等科2年の男子学生が叫ぶ。ええっ、誰と婚約したのか知らなかったの?
「ホームルームで詮索されたのですが、秘密にしていたのです。すぐにわかりますけどね」
肩を竦めるパーシバルだけど、うちのクラスの愁嘆場を知らないから、そんなに余裕があるんだよ。
今日は精神防衛魔法を強化して過ごそう。
2時間目は空いている。普段なら錬金術クラブに行くのだけど、パーシバルも地理の修了証書を貰ったから空いているんだよ。
「早いけど、
知らなかったけど、
何人かお茶をしている姿が見える。
「あの東屋も良いですが、彼方は時々先客がいますからね」
そんな事を言われるだけで、顔が赤くなっちゃうよ。
「父が若い頃に住んでいた屋敷が空いているそうなのです。一度、見に行きませんか?」
これって、新婚夫婦がマンションの展示場を巡るのに似ているね。
「ええ、行ってみたいです」
実家の近くだと良いなと思っているのも伝わったみたい。
「グレンジャー家から近いですよ。家は少し狭いみたいですが……」
それは良い! 狭い方が使用人の負担も少ないからね。
「楽しみですね!」
ああ、でも費用とかはどうなるのだろう?
「ペイシェンス様、難しい話は親に任せておきましょう。それより、今週末はヘンリーの誕生日ですね。何かプレゼントを用意したいのですが、木刀は駄目なのはわかっていますよ!」
木刀はもういらないよ。
「私も買い物に行きたいのです。ヘンリーの誕生日のお祝いと、少し先ですけどナシウスの入学祝いを買いたくて……あのう、馬って高いのでしょうか?」
今、家で飼っている馬は、馬車を引く用だ。詳しくは知らないけど、サティスフォード子爵家が派遣してくれている乗馬訓練の馬よりもずんぐりしているように見える。
「ああ、ヘンリーは騎士志望ですからね。2年後の入学なら若い馬を慣らしておいた方が良いです。ナシウスは、馬は連れて行かないのですか?」
ナシウスに何度か聞いたけど、文官コースを選択するから、体育の時間は学園の馬で十分だと言うのだ。これも聞いておきたかったんだよ。
「学園の馬で体育の時間は十分だと言うのですが、大丈夫でしょうか?」
パーシバルは「大丈夫でしょう」と笑う。
「騎士コースを取らない学生は、学園の馬に乗っていますよ。ナシウスは経済観念が発達していますね。でも、騎士コースは自分の馬がいないと困ります。本当は戦馬が良いのですが、それはなかなか手に入らないし、乗馬技術がないと乗りこなせません」
私には馬の良し悪しは分からない。
「ヘンリーの誕生日に馬を買ってあげたいのです。良い馬を選ぶのを手伝って下さいますか?」
えええっ、パーシバルの目が輝いているよ。
「馬を買われるのですか? ええ、ご一緒して選ぶのを手伝いますよ!」
木刀も好きだけど、馬も好きなんだね。少しずつパーシバルの好きな物がわかってきたよ。
「ナシウスの時計も選ぶのを手伝って下さいね」
そちらも頷いてくれたけど、馬の時ほどの反応は無かった。
週末までに馬が上手く見つかるかはわからない。できたら間に合ったら良いけど、それより良い馬の方が重要だからね。
それに、この異世界で誕生日に拘る人は、ゲイツ様しか知らないよ。
私は遅れた誕生日プレゼントをパーシバル様に渡すつもりだからね。
「パーシバル様のマントに刺繍をしたいのです」
ハッとした顔で、私を見つめる。
「もしかして、守護魔法陣のマントですか?」
嫌なのかな? 前世でも手編みのセーターとか重たいと嫌がる人がいたよ。
「ええ、だって冬の魔物討伐に行かれるのでしょう? 怪我をされてほしくないのです」
パーシバルが笑う。
「とても嬉しいです!」
良かった! これで、少しだけ安心だよ。
「マクナリー先生が、マントやサーコートに刺繍をするのは、奥方や婚約者の仕事だと言われていましたから」
プッとパーシバルが吹き出した。
「サリエス卿や陛下は婚約者ではないですけどね」
もう! からかっているのは分かるけど、少し腹が立つ。
「マクナリー先生に、従兄弟に剣術指南のお礼だと言ったら、教室の全員ががっかりしたのですよ」
いちゃいちゃ痴話喧嘩をするのも楽しいね! なんて思っていたのに、ラルフが
「ペイシェンス様、少し時間をいただけますか?」
えええっ、パーシバルと楽しく話しているのに、気が利かないな。馬に蹴られてしまうよ。
「ラルフ、もしかしてキース王子の件ですか?」
ラルフが知っていたのかと驚いて、パーシバルを見ている。
「ええ、落ち込まれて授業をサボられています」
それは、私と関係あるの? ええっ、あるんだ!
パーシバルがここで話すように言うと、ラルフが座った。
「ペイシェンス様は、キース様の妃になられると思っていました」
それは無いよ! まして、婚約者のパーシバルの目の前だよ。何を言い出すの?
「それはあり得ませんわ。王子様の妃にはなれません」
王族なんて無理だよ。
「公爵家の養女になっても良いですし、侯爵家で良いなら、うちの養女でも良いのです」
いや、身分の差もだけど、キース王子と結婚する気持ちがないんだ。
「ラルフ、ペイシェンス様は私の婚約者なのだよ。今、君がすべきことは、キース王子を慰め、叱咤激励して勉強させる事だ」
ラルフは、肩を落として去っていった。
「ペイシェンス様、ラルフやヒューゴが何を言ってきても、キース王子と2人っきりで会ったりしてはいけませんよ。既成事実を作ったとされては困ります」
えええっ、それは無いと思うけど?
「約束してください」と言われたから、約束する。
こちらの世界では、令嬢の評判を落とすのは簡単なのだと、パーシバルからお説教されたよ。
「社交界デビューした令嬢を、パーティ会場から庭に誘い出して、不埒な真似をする男もいます。そう言った評判はあっという間に広がり、修道女か田舎の年寄りの後妻になるしかなくなるのですよ」
母親が亡くなっているし、父親は理想論で生きている。
伯母様方から聞く前に、パーシバルに厳重注意された。
「いつもペイシェンス様の側でお護りしたいですが、そうもできない時もあります。気をつけて行動して下さい」
「はい」としか答えようが無い。
これは、拘束を習わないといけないのかも? その前に、うかうかと呼び出されたりしないようにしないとね。
「手紙やメモの暗号を決めておきましょう」
パーシバルも同じ事を考えたみたい。だって、私の手紙で東屋に呼び出したんだもんね。
「第二外国語のニックネームは?」
あれなら知っている学生は少ない。
「でも、第二外国語を履修している学生は知っています」
パーシバルは慎重派だ。
「なら、私たちの名前を崩して模様にしましょう」
戦国武将が使っていた花押だよ。
「ペイシェンスを崩して、一筆書きにしたら、こんな感じかしら?」
素早く書かなくてはいけないから、覚えやすい花押にする。
Pを大きく丸く書いて、他の文字はその丸の中に小さく書く。
「可愛いですね! 私も真似をしましょう」
パーシバルはPを三角形に書いて、中に他の文字をサラサラと線のように描く。
これを手紙の最後に書くのだ。こんな小さな秘密の共有も楽しい。
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