第78話 踊れないダンスミュージック
「貴史」
朝、学校に登校すると江島貴史は友人に声をかけられた。
「おう」軽く返事を返す。いつも教室でつるんでいる二人だ。今日の朝は何か騒がしい。
「あれあれ!」連れの一人が興奮気味に正面玄関の方を指差す。
あれ、じゃわかんねーだろ。
見ると正面玄関の上がり口に人がたかっていた。皆が壁を見上げている。
「行こーぜ」連れが急かしてくる。
「何だよ?」朝っぱらからテンション高いな。
「高瀬だよ」連れのもう一人が幾分か冷静に説明してきた。いや、説明になってない。
「いいから見に行くぞ!」説明がメンドクさくなったらしい。
二人の後について人だかりに向かう。
皆が見ているのは壁に飾られている大きく引き伸ばされた写真だった。
写真には説明文が添えられていた。どこかの新聞社の写真コンテストで高校生の部での優秀賞とある。
受賞者は「2年C組高瀬雪穂」だった。
へえ。俺は改めて写真を見てみた。
朝の漁村の写真だった。美しい漁村の写真。でもよく見ると美しい自然と対比するように、漁村の営みや人工物が異物として散りばめられている。ただ美しい写真を撮っただけではない、高瀬の美意識が感じられた。
やはりあいつは映像センスがあるよな。美しいだけの写真に見せかけて刺を仕込むところとか。
「凄いよな、高瀬」連れが感想を言った。感想でもないか。作品じゃなくて、賞を取った事を評価しているのか。
周りの声を聞いても俺の連れの評価とたいして変わらない事ばかりだった。
人だかりの中心を見ると高瀬が大勢の人に囲まれていた。
口々に称賛の言葉を掛けられて、戸惑ったような微笑みを浮かべていた。それでも悪い気はしていないようにみえる。
「やっぱ、高瀬は凄いよな」
「優秀賞ってスゴくない?」
でも作品の感想は言われてないか?
「雪穂にしては地味じゃない?漁村とかあんまり雪穂のイメージじゃないよね」
「雪穂、センスいいからもっとバズる写真撮ろうよ」
高瀬の微笑みが愛想笑いに見えてきた。これはちょっと気の毒だな。
そう思って高瀬を見ていると、高瀬も俺に気づいた。何か言いたそうな目で俺を見てくる。
人だかりで近づけそうもないし、目立ちたくもないので軽く片手を上げて挨拶した。
高瀬は愛想笑いを張り付けた表情から一変して生気の戻った笑顔になった。
やっぱ高瀬は美人だよな。
「ごめんなさい。ちょっと通してもらえる?」そう言って人混みを掻き分けて俺に近づいてくる。いつも高瀬と一緒にいる女子が俺を睨み付けてくる。いつも睨み付けてくる女子以外にも周りの視線が俺に向けられて何か居心地悪い。
どうせ、高瀬のように優等生の美少女が俺みたいなヤンキーと何で仲が良いんだ、って思ってんだろうな。
俺と高瀬は同じ音楽サークルだってことは、文化祭のライブで皆知ってんだろ!
「どうかしら?」俺の前に立った高瀬が挨拶もなしにそう訊ねた。
「あー。綺麗な写真に見せかけた歪な写真だ。高瀬らしいな。大丈夫、審査員には伝わっている。でなければ綺麗なだけの写真が賞なんか取れないだろ」
高瀬はその感想に満足したのか、勝ち誇ったようなドヤ顔を見せた。
愛想笑いしているよりよっぽど魅力的な表情だった。こっちの高瀬が素なんだろうな。
「今の誉めてんのか?」連れが訊いてくる。
「誉めてんだろ」
連れたちは噂の高瀬を目の前にしてドギマギしている。意外とシャイな奴らだ。
「お前らもなんか感想言えよ」そう言ってから、「写真の感想な」と付け足した。
「あー、俺は芸術はわかんないけど、見ていて飽きないくらい綺麗だと思う」
「人と自然が共存している、良い写真だと思うよ」
二人は俺の注意を守って写真の感想を言った。ちゃんと空気を読んでくれて助かる。
多分今の高瀬は、写真を誉めるふりをしたご機嫌とりなんか聞きたくないだろう。
「ありがと」高瀬は平然と礼を言った。すましているが嬉しそうなのが漏れていた。
二人の感想は高瀬の意図したテーマとずれているだろうが、そんな事で不機嫌にならないくらいには彼女は大人だった。作品の感想は観客のものであって作者のものではない。俺の感想も高瀬の意図とは違うかもしれない。
「お前、写真部だったか?」そんな話は高瀬から聞いたことがない。
「この学校に写真部はないわよ。個人で応募できるコンテストだったのよ」
「何で学校で飾られてんだ?」
「応募シートに学校名書く欄があったから書いたら、学校に連絡が行ったのよ」ちょっと困った顔をしたが、本心で困っているわけでもなさそうだった。
「そろそろ教室行くわ」そう高瀬に言う。あまり長く高瀬を独占していると周りの反感を買うだけだ。
「あ、曲できたから送るわ。奈乃ちゃんと聴いて」前から作っていると言っていたオリジナル曲か。
「お、わかった。お疲れ」
教室に行こうと振り返ると、人だかりの外に柏木がいるのが見えた。羽崎と後名前の知らない奴らと遠巻きにこっちを見ていた。
「柏木が来てるぞ」俺はもう一度高瀬を振り返ってそう伝える。
「え?」高瀬は柏木を見つけて普段しないような嬉しそうな顔をする。これが俗に言うメス顔か。
柏木を呼ぼうと思って柏木を見ると、柏木はさっさと踵を返して戻って行った。
高瀬に振り返ると、彼女は一転して寂しそうな表情をしていた。
柏木のクラスの奴らも高瀬のクラスの奴らも、こいつらが付き合っていることを良く思っていない。こんな人前で仲良く会話をするところを見せられないと思っているのだろうか?
好きなようにすれば良いのにな。
その日の放課後、柏木が俺の部屋に来た。一度家に帰って着替えてからの来訪だった。
「直接来たら良かったんじゃないか?」わざわざ着替えてこなくてもよかっただろ。
早く高瀬の作った曲を聴きたい。
「むー」柏木が頬を膨らませて抗議してくる。「江島くのお家にお邪魔するのに、ちゃんとした服で来たかったの」
学校の制服はちゃんとした服じゃないのか?
着替えてきた柏木は冬よりの秋服を着てきた。デニムの膝上丈のスカートに黒のストッキング。黒の長袖バンドTシャツ。絶対ヘビメタバンドなんか知らないだろ。黒にシルバーのチェーンをじゃらじゃらさせたパンク系のジャンパー。俺が買ってやったピアスにイヤーカフ。
地雷系ってやつか?
「高瀬の曲聴くぞ」早速パソコンの前に座って電源を入れる。
柏木が俺の右横に立って椅子の背もたれに右手を置いた。柏木の手が俺の肩に当たっているが、柏木は気にしていないようだ。
こいつ距離感近いよな。すぐに手とか繋ぎたがるし。
共有のクラウドから高瀬の曲を持ってくる。動画ファイルだった。早速再生してみる。
いつもインストバージョンのときのようなCGを使った動画だった。
また動画のレベルが上がっている。高瀬はどれだけ成長するのか?
「何? この曲?」柏木が戸惑ったように訊いてくる。「ハードコアじゃないよね?」
「ハウスだな」
「いいの?」
「一応、同じ系統だな。ダンスミュージックはハウスからテクノに発展したからな。俺たちがやっているハードコアテクノの先祖みたいなもんだ」
「ふーん」あまり理解できてないようだ。「これ、踊れないよ?」
高瀬の曲はトランス系の繰り返しを多用していたがリズムも変わるし調すら無い。踊れないだろうな。
「アシッドとかアンビエントとか言われる、踊れないハウスだな」
「踊れないダンスミュージック?」柏木は理解できないって顔をした。
まあ、そうなるよな。どちらかというと環境音楽か。
にしても高瀬の曲は前衛的すぎる。音楽知識なしに自力で十二音階技法に到達したのか?
デタラメな音の羅列をセンスだけで曲にしやがった。
「つまんない」柏木が不平を口にした。柏木の中では気持ち良く踊れる曲が良い曲なんだろう。別に間違ってはない。
「これアップするの?」柏木が否定的なニュアンスを乗せて尋ねてくる。
俺たちの音楽の方向性と違いすぎる。柏木も乗り気じゃない。
この曲を没にする理由はすぐに思い付いた。
高瀬にも、アップするかどうかは曲のでき次第だと言ってある。作ったら必ずアップするとは約束していない。
曲のでき次第なら、アップするしか選択肢はない。
この曲を没にしたい一番の理由に思い当たった。
高瀬の曲をアップしたら、今までアップした俺の曲が霞むからだ。きっと、あっという間にPV数も高評価の数も抜かされるだろう。
EDM界隈で主流にいる俺の曲は、数いるライバルと比べられてぱっとしていない。だが高瀬の曲ならコアなファンに刺さる。供給不足の界隈で話題になる。
「何だよ……、ただの天才かよ……」気づいたら呪いの言葉を吐いていた。
柏木が両手を俺の肩に添えてきた。
「私は江島くんの曲の方が好きだよ」焦ったような柏木の声が聞こえる。
柏木が焦るぐらい酷い顔をしてるのだろうな、俺は。
俺の曲を好きだと言ってくれる柏木にちゃんと目を合わせて答えられない自分が嫌になる。
「お前、今日はもう帰れ」柏木に八つ当たりして傷つけるようなことだけはしたくなかった。
「江島くん……」
「まだ明るいから一人で帰れるだろ」柏木の顔を見れない。顔を見られたくない。
ゆっくりと柏木の手が俺から離れた。
「ごめんね」震える柏木の声が聞こえた。謝るのは柏木じゃないのにな。
柏木が静かに部屋から出ていく。
出ていったドアにすら顔を向けられない。
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