第77話 ロストバージン
柏木奈乃は目を覚ました。
旅館の和室に敷かれた布団に裸で寝ていた。
隣には幸せそうに寝息をたてている雪穂ちゃんがいた。布団から出ている肩は服を着ていなかった。
雪穂ちゃんを起こさないようにそっとお布団から出る。
隣には使わなかった寝具がそのまま敷かれていた。
裸ではいたくなかったので、用意されたまま使われていない浴衣を着る。
昨日は化粧を落とさないまま寝てしまった。洗面所で化粧を落とす。
顔を洗う。
何度も顔を洗う。
昨日の雪穂ちゃんは怖かった。
お風呂場でお尻に指を入れられた。
「雪穂ちゃん、痛いよ」と嫌がっても止めてくれなかった。
「痛い、痛い」と涙目でお願いしたのに止めてくれなかった。むしろ、哀願するほど興奮している節すらあった。
そういう性交のやり方があることは知っていた。
私がそういった事をするにはその方法しかないから。
でも雪穂ちゃんには関係ないよね。
そうしたいのに、そう出来ないからこそこだわったのか……。私にも出来ないことがあるように。
今までの雪穂ちゃんとのセックスは我慢できた。
私が挿れる側になることに、心を閉じることができた。
でも挿れられる側になることにはまだ憧れがあったみたいだ。
昨日の夜は初めての事で痛いだけだったのに、お風呂場でも、その後のお布団のなかでもずっと指で責められ続けた。私が果てるまでずっと止めてくれなかった。
私の初めては指で終わらされてしまった。
江島くんの顔が浮かぶ。
ずっと顔を洗っていた。
どれだけ水に流しても涙は止まらなかった。
嗚咽が洗面所の外に漏れないように、水道の蛇口を大きく開けた。
ごめんね、羽崎。
洗面所から部屋に戻ると雪穂ちゃんは浴衣を着てお布団の上に座っていた。
「おはよ、雪穂ちゃん」私は笑いかける。
「おはよう、奈乃ちゃん。長かったわね」
「だってお化粧落とさずに寝ちゃったんだよ?」雪穂ちゃんの前に座る。
「そっか、ごめん」自分だけちゃっかりとお化粧を落としたことを謝ってるのかな?
「大丈夫? 奈乃ちゃん。痛くなかった?」
「痛かったよ。て言うか、痛いよ」上目使いに拗ねた声を出す。
雪穂ちゃん、こういうの好きでしょ?
「ごめんね」そう言って私を抱き寄せた。そして頭を優しく撫でる。
「もー、雪穂ちゃん、がっつき過ぎ」
「ごめんって」
那由多は雪穂ちゃんのことを「何か怖い」と言っていた。
私はおどけた声色で、「怖かったんだからね」と本心を口にした。
朝早くに外出した。フロントには朝食の時間を遅くしてもらうように頼んだ。
「奈乃ちゃんは旅館で休んでいて良いのよ?」雪穂ちゃんは私を気遣う。気遣わなければいけないような事したのは雪穂ちゃんなんだけどね。
「私もついてく」一人で置いてかれるのは寂しい。
私は手ぶらで、雪穂ちゃんは撮影機材を持って早朝の旅館街を散策する。
秋の早い時間は肌寒い。山間の澄んだ空気が気持ち良かった。
雪穂ちゃんは早い時間から活動を始めている旅館街を写真に収める。
紅葉の山並みを背景に町を切り取る。
最初は私と会話をしながら散策していたのに、だんだんと雪穂ちゃんの口数が減っていき、ファインダーを覗く目が真剣なものに変わっていった。
雪穂ちゃんが全く喋らなくなった頃には雪穂ちゃんは私を振り返ることもなくなった。
立ち止まって写真を撮っているかと思えば、声も掛けずに歩き出す。振り返らずに早足で次の撮影スポットをめざす。
私は昨日の疲れと僅かに残っている痛みで歩くのが遅くなる。
雪穂ちゃんはいきなり川の土手の斜面を下った。道もついていず急斜面の土手で降りるのをためらった。
土手の上で撮影が終わるのを待っていようかと思ったが、何枚か写真を撮った後、雪穂ちゃんは振り返らずに河原を歩き始めた。
置いていかれる。
私は慌てて土手を下りようとして足を滑らせた。
「きゃっ!」辛うじて女の子らしい悲鳴を上げることができた。
土手の半分以上は下りていたので滑り落ちたのは背の高さほどもなかったが、お尻から倒れてしまった。
昨日の夜の痛みと相まって悶絶してしまう。
雪穂ちゃんに置いていかれそうな不安と、お尻の痛みで泣きそうになる。
「大丈夫?! 奈乃ちゃん!」雪穂ちゃんの焦った声が聞こえる。雪穂ちゃんが駆け寄ってきて手を差し伸べてくる。
「むー」怒りを込めた涙目で睨み付ける。
私を置いていかないで!
それにお尻が痛い原因の半分は雪穂ちゃんのせいなんだからね!
雪穂ちゃんは、睨み付けるだけで手を取らない私に困惑してオドオドしだした。そして慌ててカメラをカメラバックにしまう。
「奈乃ちゃん、捕まって」そう言って手を背中と両足の膝裏に差し込んで、私を軽々と持ち上げた。
慌てて安定をとるために雪穂ちゃんの首筋にしがみつく。
雪穂ちゃんは私をお姫様抱っこしたまま土手を登った。
雪穂ちゃんは力持ちだね。確かに私よりおっきいけど。
土手に上がっても私は雪穂ちゃんの首筋にしがみついていた。零れた涙が雪穂ちゃんの肩を濡らす。嗚咽が止まらない。
涙が出るくらい痛かったけど、泣いてしまった理由はそれだけじゃない。
「痛いの? 怪我してない?」心配そうな雪穂ちゃんの声。
私は顔を雪穂ちゃんの肩に押し付け、息を止めて嗚咽を押し殺す。
暫くして落ち着きを取り戻した。
「怪我してないよ。もう大丈夫、下ろして」
「歩ける?」
「うん」
ゆっくりと下ろしてもらった。ちゃんと立てる。ビックリはしたけど、それほど痛みはない。
「ちゃんと見ていてあげなくてごめんね」今度は雪穂ちゃんが泣きそうな顔をする。
「ううん。私こそ無理についてきたのに、邪魔してごめんなさい」
「そんな事……」
「私は一人で戻れるから、雪穂ちゃんは撮影の続きして」ちゃんと無理しているのがわかるように寂しそうに微笑んだ。
雪穂ちゃんの目が泳ぐ。そして河原の一点に視線を向けた。
多分あそこが撮影スポットにしようとして向かっていた場所なんだろうな。
私がこんなに媚を売っているのにまだ悩むんだ?
雪穂ちゃんはグズグズと悩んだ末に、「奈乃ちゃんを一人にできないわ。一緒に戻ろ?」と未練を隠しきれない声で言った。
「ごめんね、雪穂ちゃん」
「良いのよ?」
「お腹空いた!」私は明るい声を出す。
「朝ごはんにしましょう」笑いながら私の手をとる。今度は気遣うようにゆっくりとした足取りで旅館への帰り道を歩いた。
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