第71話 文化祭の後

 

 高瀬雪穂は第一体育館で作業をしていた。


 文化祭の次の日。月曜日だが振替で学校は休日扱いだった。

 ほとんどの生徒は文化祭の片付けのために登校してきていた。

 私も2年C組の教室に顔を出してからすぐに軽音部の片付けに合流した。


 クラスにいてもたいして仕事はさせて貰えるとは思わなかった。もうあきらめた。


 軽音部の撤収作業は私が照明をバラしていた。バラした配線や器具を軽音部員に運んで貰う。

 バラすだけでも結構な力仕事だったけどあまり苦にならない。


 このために買ったツールセットを、やはり買ったばかりのエプロンバックから取り出して使う。

 ニューギアはテンションが上がるわよね。

 服装が学校指定のジャージなのが何ともだけど。


 設営と違って撤収は短時間で終わる。後は業者さんに引き渡すだけだ。

 私物も沢山持ち込んだけど大きめのキャリーバッグに詰め込んだ。


 一段落した頃に柏木くんが顔を出した。

 柏木くんは男子用の制服を着ていた。

 スラックスだとスカートと違って作業に向いているのが利点よね。


「お疲れ、高瀬さん」

「お疲れ様、柏木くん。クラスの片付けはいいの?」

「ああ、昨日のうちにほとんど終わっていたからね。この後の打ち上げがメインだよ」

「打ち上げあるんだ?」

「あるよ? 高瀬さんは?」

「あるわよ。C組も片付けが終わってからね」

 あまり乗り気ではないけど顔を出さないわけにはいかない。一応主役だったし。


「江島くんは? 来てないの?」

「江島くんはクラスの片付けに時間がかかるらしいから来れないそうよ」

 江島くんの2年E組はお化け屋敷だった。教室の復元に手間がかかるらしい。

 柏木くんは残念そうな表情を見せる。

 ……。

 柏木くんは江島くんと仲良いものね……。


「柏木くん、お疲れ」軽音部の3年の先輩がやって来て柏木くんに声をかける。部の中心の男子生徒だ。

「お疲れ様です。片付け手伝えずにすみません」

「いいよ。高瀬さんが1人で3人分くらいはやってくれたからね」

 楽しかったから気にしないで、柏木くん。


「それに柏木くんはクラスに顔を出さないとみんな納得しないだろ?」

 そう言われて柏木くんはちょっと嬉しそうに照れた顔を見せた。


「あ、高瀬さんもクラスの人たち大丈夫か? 何か言われないか?」

 言われてるでしょうね。

「何もさせて貰えないですから」

 私はクラスの中心人物みたいな扱いをされるけど、その実ハブにされているのと何も違わない。


「人気者も大変だね」軽音部の人は私を気の毒そうな目で見た。

 それから柏木くんに視線を移す。

「柏木くんもクラスの人気者だけど、いつも楽しそうだよね」

「え?」柏木くんは突然話を振られてちょっと困った顔をして私を見る。

 あ、私に気をつかってるのね。


「えっと……、みんな、僕のやりたいことは何でもさせてくれるので……」

 柏木くん、『僕』って言うのね。学校では『俺』って言っていると思ってたけど。先輩には『僕』って言うのかしら?

『僕』っていう柏木くんも可愛いわね。


「高瀬さん?」

「え?」

「どうかした?」

「ううん、なんでもない」

「何かニヤニヤしてる……。俺、変なこと言った?」

 あ、『俺』って言った。


「柏木くん、何か可愛い」

「……可愛いって言うな」

 笑ってしまった。もう、もう! 柏木くんも可愛すぎて辛いのだけど!


「なんで笑うの?!」柏木くんが奈乃ちゃんみたいな事を言い出した。柏木くんも奈乃ちゃんも同じ人なんだけどね。


 もう笑いが止まらない。これがツボにはまるって事ね!


「むー」柏木くんはむくれた顔をする。


「何を見せられているんだ……」軽音部の先輩が胸焼けしたような顔をした。



 柏木くんはしばらく軽音部の人たちと話をした後クラスに戻った。

 私は戻りたくなかったのでメールで呼び出されるまで体育館で時間をつぶした。軽音部の人たちは、私が何を嫌がっているのか理解してくれていたので、あまりかまってこずに適度に放っておいてくれた。



 そしてクラスの打ち上げ。

 カラオケの広い部屋を借りていた。


 志歩が当然のように私の隣に座っている。


 私は、舞台でいきなりキスされたこと、まだ怒ってるんだけど?


「私もお芝居でいいから雪穂とキスしたいー!」

 クラスの女子たちがその事を蒸し返して話題にする。

 どうしてそんな話を楽しそうに話題にできるのかしら?

 あなたたち、いきなり異性にキスされても平気な顔できるの?


「観客が、と言うか監督がそれを望んでいるような気がして」志歩はお芝居の流れでアドリブを入れただけ、ってスタンスを崩さない。

 お芝居では監督じゃなくて演出家って言うらしいわよ。


「学校で一二を争う美少女同士のキスシーンなんだから、話題になって当然よね!」

 学校一の美少女は奈乃ちゃんだと思うのだけど?

 どうして奈乃ちゃんの話題は出ないのかしら?


 クラスの誰にも、私と奈乃ちゃんがお付き合いしていることは言っていない。

 知っているのは奈乃ちゃんのクラスの人たちと軽音部の人たちだけかしら?

 私のクラスには軽音部は私しかいない。

 奈乃ちゃんのクラスのB組の人たちは口が固いらしく、ゴシップのような噂話はしないようだ。


「高瀬がどっかの男と付き合うくらいなら、百合がいいな」

「わかる! 高瀬はC組のアイドルだからな!」

 うちのクラスの男子はゴシップが好きらしい。


 私が誰と付き合おうと、あなたたちに関係ないわよね。

 あと、百合って言わないで!


「クラスの動員数、私たちが一番だったらしいよ」

「それは雪穂が主役の劇だもの。当たり前よ!」

 やはり私はパンダらしい……。


 私は余計な事を言わないように、黙ってすまし顔で話を聞いていた。愛想笑いすら作れないくらいには、もう我慢の限界だった。


「軽音のライブも過去最高観客数だったらしいな」

「やっぱり高瀬が出てたからか?」

「当たり前だろ」

「観客増やすために高瀬を出したのかな?」

「そうよね? 雪穂、ほとんど歌もダンスもなかったし、テーブルの前に立っていただけだもんね」


 これはひどいわね。私は立っていただけではないのよ?

「私たちの方からライブの出演をお願いしたのよ?」軽音部の風評被害を無くすために事実を教える。

「じゃあE組の江島が自分のバンドの客を増やすために雪穂を入れたって事?」

「どっちにしたって雪穂が客寄せに利用されたって事じゃん」

 軽くスルーされた。

 どうして?!

 それに私を客寄せパンダにしたのはあなた達の方よね?


「軽音のやつら、高瀬を雑用に使ってたよな」

「雪穂に力仕事させるとかヒドイよね」

「あいつら雪穂を何だと思ってるの? 信じらんない!」


 あなた達こそ私を何だと思っているの?

 照明スタッフは雑用じゃないのよ!


 説明したところでわかって貰えなかった。

 彼らは私の事をはなから理解する気なんかないから……。


 苦行の様な打ち上げの時間は終わって解散になった。

 もう私の心は折れてしまっていた。


 自前の照明機材を入れた大きなキャリーバックを引きずって店を出る。


「高瀬さん、荷物重そうだね。俺が持つよ」クラスの男子がいきなり私のキャリーバッグを取り上げた。

「自分で持つから」私は慌てて取り返そうとする。

「いいから、いいから!」男子はにこやかに笑って私を押し留める。

「高瀬さん、家どこだっけ? 運ぶよ?」

「お前、そう言って高瀬の家に押し掛ける気だな?」

「ズルいぞ!」

「違うって!」

 何人かの男子がわちゃわちゃと騒ぎ出す。


「自分で持つから、返して!」

「遠慮するなって」


 遠慮なんかしていない!

 私は泣きそうになった。いや、既に涙目だ。


「おい、お前らうるせーぞ。何やってんだ?」

 江島くんの声がした。


 見ると同じ高校の制服を着た人たちが、私たちの後からカラオケ屋さんから出てきた。

 江島くんと、江島くんと同じE組の軽音部の人がいる。E組の人たちだろうか? 彼らも文化祭の打ち上げにカラオケに来ていたのだろうか?

 学校に近い店だから、打ち上げ場所がかぶる事もあるだろう。


 いきなり強面の江島くんに声をかけられて、私の周りで騒いでいた男子たちが黙る。

「カバンを返して」男子たちが静かになったところで改めて言った。

「カバン?」江島くんが尋ねる。

「いや、高瀬さんの荷物が重そうだから持ってあげてただけだよ」私のキャリーバックを持っていた男子が江島くんに腰が引けながらもそう返す。


 江島くんが男子の持っている私のキャリーバックを見る。

「えらい大荷物だな。何だ?」

「私が持ち込んだ照明機材よ」

 そう言った瞬間に江島くんの顔が青ざめた。そして男子生徒を怒りの目でにらみつける。


 男子生徒は怯えて息を飲む。


「一流は自分の道具を他人に触らせないんだよ。返せ」

 キャリーバックを返して貰った。


「帰るぞ、高瀬。来い」そう言って江島くんは背を向ける。そして、「俺、ここで帰るわ。またな」とE組の人たちに声をかけてさっさと歩き出す。

「おう、またな」E組の軽音部の男子だけが江島くんに返事した。「高瀬さんもまたね」

「ええ……」私は会釈を返す。


「雪穂」志歩が心配そうに声をかけてくる。

「私、帰るから」そう言って片手をあげた。

 挨拶じゃない。


 ついてこないで。

 そう態度で示した。


 江島くんの後ろを黙って歩く。


 何か感情がぐちゃぐちゃだ。涙があふれる。

 声を出さないように我慢する。それでも嗚咽が止まらない。


「まるで俺が泣かせてるみたいじゃねーか」前を歩く江島くんが独り言のように呟いた。


 私は人当たりが良い方だ。そうやってやってきた。

 他人に悪く思われたくない。おかしな人だと思われたくない。


 いつの間にか私の表面しか見てくれない、そんな人たちに囲まれていた。


『いつもちやほやされて、まともな感性無くなってんじゃないの?』柏木くんのクラスメイトに言われた言葉だ。

 きっとその通りなんだろう。


『一流』、そう江島くんが言ってくれた言葉がただ嬉しかった。



 江島くんがスマホを取り出して電話をかける。


 電話の相手が出たのだろう。いきなり江島くんは笑った。

「お、悪い、柏木。打ち上げか? ……おう。打ち上げ会場で高瀬にあった。偶然な。……高瀬を家まで送って行く。終わったら高瀬ん家に寄ってやれ。……おう。じゃあな」ほとんど江島くんが一方的に喋って、そして一方的に通話を打ち切った。


 江島くんが立ち止まって私に振り返る。


「俺と二人っきりって、柏木が後から知ったらまずいだろ?」

 ええ、そうね。……江島くんの常識だとそうなるわね。


 本当は江島くんが奈乃ちゃんと二人きりで会っている方が、私にとっては問題なのよ。わからないでしょうけど……。


 江島くんは立ち止まったまま動かない。

 ?


「あのさ……。俺、高瀬の家知らないんだが……」


 笑ってしまった。


 江島くんもつられて笑った。



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