第70話 文化祭の終わりに
羽崎直人は何と答えようかと思いあぐねて、隣の席の佐野を見る。
佐野も困ったような顔で俺を見返してきた。
江島が答えにくい質問をするからだ。
文化祭ライブの2組目の出番が終わった入れ換え時間。
江島は「なあ……。もしかしてお前ら俺の事も嫌いか?」と不安そうな表情で尋ねてきた。
好きか嫌いかと訊かれたら……、嫌いだ。
奈乃が江島に好意があることは見てわかっている。
だから嫌いだ。
でもそれは江島の責任じゃない。
ただの俺の嫉妬だ。
そしてそれを除けば、別に江島を嫌いではない。
佐野は俺に気をつかってか、俺の返答を待つ。
いや、そんな気をつかって貰ってもな……。
そして俺が何も言葉にできないうちに、3組目のライブが始まった。
奈乃が最前列で楽しそうに腕を付き出して踊り始めた。
クラスのみんなが奈乃と一緒に踊り出す。俺も江島の視線から逃げるように周りの流れにノッた。
文化祭ライブは盛り上がったまま終わった。
最前列で俺たち2年B組が奈乃につられて始終ハイに盛り上がってたからな。
全体で見ると観客自体は結構減っている。1つ目のバンドが終わった時点で帰った観客が多かったからだ。
奈乃たちのバンドだけ観て帰った客……。多分高瀬が目当ての客だろう。
俺たちのクラスは奈乃の出番が終わったからと言って、誰一人帰らなかった。
そんな事をすれば奈乃の顔をつぶす。そう委員長が言い含めていたから。
奈乃もそれを知っていたんだと思う。だから俺たちクラスの奴らが退屈しないように、クラスの奴らの真ん中で盛り上げていたのだろう。
江島が奈乃の所にいく。
「柏木、盛り上げてくれてサンキューな」
「うん。楽しかったよ!」奈乃が江島にお礼を言われて嬉しそうに答える。
そうか……。
奈乃も、自分達のサークルだけ観てクラスのみんなが帰れば江島の顔をつぶすことになるのをわかっていて、それを避けたかったんだな。
「お前ら最高だな」江島は委員長にも礼を言う。
「江島くんのライブもね」
「お、そうか」江島は少し照れているようだった。
高瀬を目当てに観に来て高瀬の出番が終わった途端に帰った奴らは、そんな事をすれば軽音部の中で高瀬が居心地悪くなることに思い付かなかったのだろうか?
俺は舞台後方のPA席を見る。
男子の制服を着た二人が何か作業していた。どちらかが高瀬だろう。
俺はPA席に向かって歩き出す。
「羽崎くん」隣の席の佐野が俺を追いかけてきた。
「ん?」
「どこ行くの?」
「PA見に行こうかと……」
「ケンカしちゃダメよ?」
「しないよ」奈乃の迷惑になることをするわけがない。
佐野は俺が高瀬とケンカすると思ってついてきたのか?
PAテーブルの周りには人がいなかった。
誰もここに高瀬がいると気づいていなかったのだろうか?
高瀬が俺に気づいておびえた表情を見せる。
ま、いつもにらみつけてやるからな。
俺と佐野は少し離れて立ち止まる。
高瀬は作業を中断して不安そうに俺たちを見ている。
高瀬といた軽音部員だろう男子が不思議そうに俺たちを見た。
「高瀬。お前のファンはお前の出番が終わったら他の出演者も観ずにすぐ帰るような失礼な奴ばかりなんだな」
高瀬の顔が強ばる。
「ちょっと、羽崎くん」佐野が慌てて俺を止めようとする。
「高瀬が出番終わってからも照明やってたことに気づかないなんて、本当にお前のファンか?」
高瀬は黙っている。
「できのいい映像ライブを観ずに帰るなんてバカな奴らだ」
高瀬が何を言われたかわからない、って顔をした。
「高瀬は照明とかもセンスあるんだな。多才で羨ましい限りだよ」できるだけ嫌味に聞こえるように言った。
高瀬が口を開く前に背を向けてみんなのところに戻る。
「羽崎くん、高瀬に同情してるの?」佐野が困惑気味に尋ねてきた。
「嫌いな奴だからって、その作品まで不当に貶したりしないって言ったのは佐野さんだよ?」
「いやぁ……、わざわざ慰めにいくなんてまではしないかな……」
いや、嫌味言いに行っただけだけどな。
文化祭2日目が終わる。
2年B組のみんなは教室に戻った。
奈乃は格ゲーマーと一緒に女子の輪の中でキャッキャッしている。二人とも女子用の制服を着ている。
楽しい時間は無限ではない。
「修斗、文化祭は終わりだ。着替えてこい」彼氏が格ゲーマーを咎めるように言った。
「あ、うん……」松野は叱られてしょんぼりした。そして周りの女子を見る。
「ついていってあげる。着替えてこよっか」
松野一人では女子更衣室に入れない。他のクラスの人が入って来ないように見張りがいる。
松野は数人の女子と着替えに行った。帰りは男子用の制服で帰るのだろう。
奈乃は女子用の制服のまま帰るから着替えずに教室に残る。
格ゲーマーの彼氏の宇田川が俺を見た。
何?
「いつまで奈乃にあんな格好させとくつもりだ?」宇田川は不機嫌そうに俺に言った。
俺、怒られてるのか?
「……柏木の気のすむまでだよ」
俺の返事に宇田川は呆れた顔をした。
「ヘタレ」
うっせいな……。
いつもより遅い下校時間。
奈乃はみんなにさよならの挨拶している。
男子用の制服に着替えた松野が教室に戻ってきた。
「修斗くん」奈乃は格ゲーマーに抱きついた。「ありがとう」
「うん」松野は奈乃を抱きしめる。
いつもの軽いハグと違って、抱き合っていた。
メイドさんしていたときは奈乃がお姉さんぶっていたが、今は少しだけ背の高い松野が奈乃を抱きしめている感じだった。
クラスのみんなが微笑ましく見守るなか、彼氏の宇田川だけが俺をにらんでいた。いつもより険しい目付きで……。
いや、怖いんだけど!
帰り道、奈乃と手をつないで歩く。
日が落ちるのも早くなった秋の夕暮れをゆっくりと歩く。
奈乃は楽しそうに。楽しかった時間を惜しむように。
女子用の制服で学校に行くのも今日が最後だ。
「羽崎ぃ。ライブの後、雪穂ちゃんとこに行ってたでしょ」
「ああ。照明とかに興味があったから見せて貰いに行ってたんだ」
「ふーん……。雪穂ちゃんをいじめてないよね?」
「いじめてないよ?」
ちょっと嫌味を言いに行っていただけだ。
「文化祭、楽しかったな、柏木」
「うん! 楽しかったね、羽崎ぃ」
本当は楽しいことばかりでも無かったのだろうけどな。
柏木家の玄関を開けると奈乃の家族が総出で迎えに出てきた。
「お帰り、奈乃」母親が奈乃を抱きしめる。
「ただいま」奈乃が嬉しそうに抱きしめられていた。
俺は視線を外す。見ているのが悪いような、切なくて見ていられないような……。
父親が俺に丁寧にお辞儀をした。
俺もお辞儀を返す。
そして父親は奈乃たちを優しい目で見ていた。
「羽崎さん、上がっていきますか?」那由多が俺に手を出してくる。
俺はカバンを渡さずに、「今日はいつもより遅いから帰るよ」と言った。
家族の団らんに水を差すほど無粋ではないつもりだ。
「またね、那由多ちゃん」
「はい。お姉ちゃんを送ってきてくれてありがとうございました」
俺は那由多にだけ挨拶して玄関を出た。
奈乃の、あの親子のジャマをするのは気が引けた。
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読んでくれてありがとうございます。
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