第68話 クリエイターとエンジニア
柏木奈乃は更衣室で制服に着替えた後、第一体育館に向かった。
一緒にメイドさんをしたクラスの女の子達が体育館まで一緒についてきてくれた。
クラスのみんなと着替えるのは少し恥ずかしかった。私はみんなと違って女の子らしい体つきじゃないから。
修斗くんと更衣室の端っこの方で着替えた。
「奈乃ちゃん、ライブ頑張ってね! みんなで観に来るから!」
「うん。来てね!」
クラスのみんなと別れる。みんなはこの後もメイド喫茶の片付けがある。ほとんどはメイドをしなかったクラスの人達が終わらせているだろうけど。
舞台袖に入った。
「柏木くん、お疲れ」軽音部の人達が声をかけてくる。
「お疲れ様です!」私はみんなに笑顔で挨拶しながら江島くん達を探す。
コントロールテーブルの前の床に車座に座っている江島くん達がいた。
江島くんと雪穂ちゃん、それに軽音部の男の人が3人床に座って、床に広げられた何枚もの紙を見ている。
江島くんは舞台衣裳でもある制服を着ている。
軽音部の人達はステージ衣装らしい派手な衣装を着ている。
そして雪穂ちゃんは学校指定の体操服を着ていた。
「あ、柏木くん」打合せしていた軽音部の一人が私に気づいて声をかけてくる。
江島くん達が私を見る。
「お疲れ様です!」私は笑顔で挨拶した。
「柏木、お疲れ。打合せしてるから待ってろ」江島くんが私に声をかけて、すぐに打合せに戻る。
雪穂ちゃんも、私に向かって片手を上げただけですぐに床に広げられた紙に視線を戻した。
軽音部の打合せに入ってる人は、2、3年生の部の中心の人達なんだろうけど、幽霊部員の江島くんや雪穂ちゃんがどうして打合せに入っているのかな?
少し見ていたら、むしろ雪穂ちゃんが仕切っているように見えた。
「柏木くん、お疲れ」
江島くん達から少し離れたところで打合せが終わるのを待っていた私に、3年男子の軽音部員が話しかけてきた。
「あ、お疲れ様です」私は笑顔で挨拶を返す。
そして私は雪穂ちゃんに視線を移してから疑問に思っていたことを口にした。
「雪穂ちゃん、何でジャージなんですか?」
「ああ、高瀬さんは音響や照明のセッティングをしていたからだよ」
「え? 雪穂ちゃんが?」
「準備日も高瀬さん中心でセッティングしていたよ」
文化祭の前日は授業が無しで文化祭の準備に当てられていた。
私がメイド喫茶の飾りつけをしていたときに、雪穂ちゃんは文化祭ライブの準備をしていたんだね。
クラス劇の準備とかはしなくてよかったのかな?
「高瀬さんが今日になって、急に進行変えるとか言い出して大騒ぎしていたところだよ」
どうして?
「高瀬さん、すごいね」
何が?
「シーケンサーだけじゃなくて、自分でスピーカー動かしたり、照明設置したりしていたから」
「一人で?」
「いやいや、俺たちも手伝ったよ!」
雪穂ちゃん一人に準備させたの? と非難されていると思ったのかな? 慌てて言い訳し出した。「ジャマしない範囲で……」
雪穂ちゃんは力持ちだからね。
「高瀬さん、噂の美少女で優等生なお嬢様かと思ってたけど……」
うん。学校で一番の美少女とか言う人もいたね。雪穂ちゃんは全然嬉しくないだろうけど。
「本物のクリエイターでエンジニアだよな」軽音部員は敬意とか憧れとか、そして羨望とか嫉妬とかを混ぜた目で雪穂ちゃんを見ていた。
その目、江島くんも雪穂ちゃんを見るときにたまにしているよね……。
「じゃあ私、着替えてくるから」雪穂ちゃんは江島くん達にそう言って立ち上がる。私を見て微笑み、小さく手を振った。
私も手を振って答える。
「柏木」江島くんが私のところに来る。
「うん!」やっと私に構ってもらえる。私は笑顔で返事する。
「機嫌直ったか?」
「私はちゃんとできるんだよ?」
「そうか」
ライブで雑なパフォーマンスなんかしたらきっと江島くんは怒る。絶対に取り返しのつかないことになる。
「俺たちの出番、初っぱなだから」
「わかった」
セトリや演出は事前に決めてある。
「何か変えたの?」
「ああ……。高瀬が他のバンドの照明もやるって言い出したんだ」
「急に?」
「聞いたのは今日。高瀬は昨日の夜に思いついたらしい。昨日の夜のうちに、今日演奏する曲は全部チェックして照明プランはできているそうだ」
「へぇ……」
江島くんは何か凄い事のように話すけど、よくわからなかった。
「あいつもライブ1回やっただけなのにな。……天才かよ……」
私は江島くんの制服の裾をつまんだ。
「ん? 何だ?」
「江島くんの曲、好きだよ。……大好き。……江島くんがずっと、コツコツと曲を作ってきたから、カッコ良くって素敵な曲を作れるようになったんだよ」
江島くんはキョトンとした顔をした。
そして寂しそうな表情を一瞬浮かべてから優しく微笑んだ。
「お、サンキューな」そう言って私の頭をなでる。
「柏木、俺の曲を愛してくれてありがとう」
私が愛しているのは江島くんの曲じゃなくて……、曲だけじゃなくて……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
江島貴史は高瀬雪穂の提案を聞いて頭を抱えた。
軽音部の部長や、PAを担当する部員は高瀬の提案を理解できていないような表情だった。
いや、無理だろ。いきなり全部の出演バンドの照明を高瀬一人でやるなんて……。
高瀬はC組のクラス劇を終えて、すぐに体育館にやってきた。ジャージに着替えていたので、すでにやる気になってるのがわかる。
俺たちサークルは高瀬がVDJとして専属の照明をする。その他のバンドは軽音部がレンタルした照明と高瀬が追加でレンタルした照明をそれらしくPAが操作する程度の予定だった。
それでも文化祭ライブとしては上等な部類だと思う。
「今日演奏する曲は全部チェックしたわ。照明プランもできているから。映像は今まで作ったストックとプラグインを使うわ」
一晩で照明プラン作ったのか?
「スピーカーと照明の配置を少し変えるわ」
「いや、業者もいないし、無理だろ」軽音部の部長が言った。
舞台業者は明日の撤収時まで来ない。
「私がやるから。みなさん、手伝ってくれるかしら?」
「手伝うけど……。高瀬さん、できるの?」
「やるのよ」
客入れまでそんなに時間がない。すぐに取りかかる。
バトンやスタンドの入れ換えもほとんど高瀬が自分でやった。
PA席にパソを持ち込んでMIDIケーブルを引き込む。
そしてその作業のほとんどを高瀬は一発で決めてしまった。
そのあと出演バンドのリーダーに照明プランの説明をして、その希望を聞く。
本番直前にPAなどの主要メンバーを集めてブリーフィング。俺も音響の知識は他の部員以上にはあるので参加する。
柏木がステージ入りしてきた。
「柏木、お疲れ。打合せしているから待ってろ」
柏木に構っている余裕はない。
「大丈夫か?」
ブリーフィングが終わり、高瀬に声をかける。
「何が?」
「寝てないんじゃないのか?」これだけの照明プランが一晩で作れるとは思えなかった。
「……ちゃんと寝たわ」
ろくに寝ていないな……。そんな状態で劇の主役をやりきったのか……。
高瀬が大丈夫と言うなら、それ以上は何も言えない。
「そうか……」
高瀬は着替えに行った。
俺は柏木に経緯を説明する。
「あいつもライブ1回やっただけなのにな」俺も高瀬もライブでセッティングをした事は一度しかない。
そのたった一度の経験だけで高瀬はプロの舞台業者のような事をやってのけた。彼女は才能あるクリエイターというだけでなく、一流のエンジニアでもあった。
「天才かよ……」
柏木が俺の制服の裾をつまんだ。
「ん? 何だ?」
「江島くんの曲、好きだよ。……大好き。……江島くんがずっと、コツコツと曲を作ってきたから、カッコ良くって素敵な曲を作れるようになったんだよ」
何を言っているんだ? 柏木は……。
すぐには慰められている事に気づけなかった。
俺、どんな顔してたんだ……。
本番前の柏木を不安にさせるわけにはいかない。「お、サンキューな」俺は柏木に微笑みかけて頭をなでた。
柏木は何か言いたそうな目で俺を見てくる。憧れているものを求めるような、まるで恋をしているかなような……。
「柏木、俺の曲を愛してくれてありがとう」
柏木が俺の曲を愛してくれるなら、その期待に答えられるような曲を作り続けたい。
本番前、柏木は不安そうな顔で俺の手を握っていた。口数が少ない。
「いつもより観客多くないか?」舞台袖から客席を覗いていた軽音部員が言った。
柏木が俺を見上げる。
客席を見たいのか?
本番前に沢山の観客を見たら、余計に緊張しないか?
それでも柏木は観客席を見たがったので舞台袖から顔を覗かせる。
舞台前には柏木のクラスの奴らが陣取っていた。
B組の委員長や羽崎、佐野といった俺の知っている顔が見えた。
あいつら、柏木に過保護すぎるだろ。
「羽崎、来てる……」柏木が呟いた。
「羽崎がどうかしたか?」
「え?」柏木は驚いた顔で俺を見上げる。
今のは独り言か? 声に出していたのに気づいてなかったのか?
「ん……、みんなが楽しめるライブにしようね」そう言って笑った柏木からは、もう緊張は見えなかった。
柏木は柏木でクラスの奴らに甘えすぎじゃないか?
「お待たせ」高瀬が着替えから帰って来た。
男子の制服を着て、髪をワックスで固めた高瀬は男にしか見えなかった。
バストホルダーで胸を潰していた。
柏木は女子の制服を着ている。髪は一本の三つ編みにして左肩から前に垂らしていた。
昨日のような地味な感じはしない。
俺が買ってやったピアスを両耳につけ、いつものチェーンで連結したイヤーカフを右耳につけていた。
制服でライブをする。それが文化祭ライブらしい演出だと思った。
制服を着るだけなのに、柏木も高瀬も何でわざわざ性別の違うスタイルにするんだ?
意味がわからなかったが、そのファッションに何かこだわりがあるならそれを否定するつもりはない。
「高瀬、円陣組むぞ」高瀬を呼びつける。
「また?」
「またって、初めてだろ」この前のライブでは円陣なんて組んでいない。「文化祭ライブだからな。学生らしいだろ?」
「うん」柏木は楽しそうだった。
高瀬も特に嫌がってはなかった。
三人でそれぞれの肩を組む。
「高瀬、柏木。ぶちかませ」
「うん」
「そのつもりよ」
高瀬と、そして柏木と拳を合わせた。
高瀬と柏木も楽しそうに拳を合わせた。
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