第66話 反逆のジュリエット
「志歩、緊張してる?」
高瀬雪穂は友人の佐伯志歩に笑いかけた。
ステージ袖。文化祭のクラス展示の本番前だった。
私はロミオの無駄に凝った衣装を着ている。胸を潰して目立たなくするシャツはあえて着ていない。ささやかな抵抗。
志歩はジュリエットの、お嬢様な衣装を着ている。これも無駄に凝っていた。
私の恋人役をすることになって、志歩はとても喜んでいた。
気の強い志歩にしては可愛いところがあるのよね。
そんな志歩は今はとても緊張して無口になっている。
「少しね……」志歩は青ざめた顔のままそう言った。
「大丈夫よ、志歩。私がついているから」志歩の頭を軽く抱き寄せる。
近くにいたクラスメイト達がざわつく。
何かのネタにされていることはわかっているけど、今は志歩を落ち着かせることを優先する。
志歩は私の大切な友達だから。
「雪穂は緊張しないのね」
私の腕の中の志歩が言った。
「まあね」
私は人前に出るだけでいつも注目される。今さら緊張することもないかな。
ライブの時もあまり緊張しなかった。ただあの時は奈乃ちゃんが緊張しすぎていて、見ていてハラハラしたから緊張する暇もなかったのだけどね。
「雪穂はいつも自信満々ですごいよ」
「そう? 演技はあまり得意ではないのよ?」
むしろ演技なんて、演技を評価されているのか、単に容姿を評価されているだけなのかわからない。
「そろそろ開演よ。みんな準備して!」演出、脚本を担当した女の子が声をかけた。
バタバタしだした。
私は舞台袖から客席を盗み見る。
奈乃ちゃんは来てくれているはずだけど、観客が多過ぎてわからなかった。
出演者で円陣を組む。
「雪穂、掛け声」
急に言われてもそんなの考えてなかったわよ。
「失敗しても全部私が何とかするから、楽しんで。行くよ!」
「おー!」
みんなが期待する私の役割をこなせたかしら?
私達の演劇はオリジナル要素が多く含まれているらしい。原作を読んでないのでわからないけど。
ハッピーエンドに改変されている。
そして、私はほとんど出ずっぱり。
「みんなは高瀬さんを見たいんだもの」という脚本家のマーケティング分析によるものだった。
どう言うことかしら?
お芝居は滞りなく進む。少しぐらいの失敗は、私が無理やりアドリブで修正する。ほとんどのシーンに出ているからできる事ね。
ラストは仮死状態のジュリエットがロミオのキスで目覚める。
私は仮死状態のジュリエットにキスをする。当然キスをするフリだった。
そして、ジュリエットが目覚める。
そのあとにジュリエット役の志歩がとんでもないアドリブを入れてきた。
私の首に抱きついて本当にキスをした。
……。
一瞬何が起こったのかわからなかった。
観客席から、舞台袖から黄色い悲鳴が上がる。ざわつく。
すぐに志歩を突き離そうとしてそれをやめた。
それでは物語が破綻する。
それが予定されていた演出通りかのように、本来の芝居に戻した。
客席側に顔を向けたとき、今までどこにいるか見つけられなかった奈乃ちゃんと目が合った。
劇が終わり舞台上でお辞儀をする。
拍手に混じって、私の名を呼ぶ声援が聞こえる。
私はその声援の方に手を振りながら舞台からはけた。
「志歩、どういうつもり?」舞台から降りてすぐに志歩に詰め寄る。他の人に聞こえないように小声で詰問する。
「お遊びみたいなものじゃないの。女の子同士でふざけてキスしてる子とかいるでしょ?」志歩は大したことじゃないって感じで軽く言う。言っている事と反してその表情は固く少し震えていた。
舞台の熱に当てられて衝動を押さえられなかったのだろうか?
志歩からは開き直りと後悔が同時に読み取れた。
「私はそんな遊びはしないわ」私が女の子に遊びでキスをするなんて事はあり得ない。
「志歩、もしかしてホントにキスしてた?」
「ビックリしたよ!」
「本番ではホントにキスする事になってたの?」
「いいなー、私も雪穂とキスしたい!」
みんなが私達を取り囲んで質問責めにしてくる。
「舞台の勢いでついしてしまったのよ。盛り上がったでしょ?」志歩は強気な態度をとる。どう見ても虚勢だった。
私はみんなの言葉に何の返事もできずにいた。
奈乃ちゃんに何と言い訳すれば良いの?
その事だけが頭のなかをぐるぐると回っていた。
「高瀬」
その声に体がビクッとした。
江島くんの声だった。控え室に続く通路を見る。
扉の前に江島くんが立っていた。
そして彼の隣には奈乃ちゃんが困った顔をしてたたずんでいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
柏木奈乃はただ舞台を観ていた。
舞台上で雪穂ちゃん達が深々とお辞儀をしていた。
割れんばかりの拍手の音が響く。
雪穂ちゃんの名を呼ぶ声が聞こえる。
まるでアイドルのコンサートみたいね。
劇はどうってことのない内容だった。ただの文化祭のクラスの出し物。
雪穂ちゃんが主役をしている。ただそれだけを観るためにここにいた。
雪穂ちゃんがステージの上に立っている。それだけの価値しかない劇だった。
ジュリエットは雪穂ちゃんといつもいるクラスメイトの女の子だった。
前に私を言葉のナイフで切りつけてきた。
いつの間にか江島くんの手を強く握っていた。
ラスト。ロミオとジュリエットはキスをした。
キスシーンがあるなんて聞いてない。
キスシーンの後、雪穂ちゃんが私を見たような気がした。
「おい、柏木。大丈夫か?」
……。
「おい、柏木!」
「え?」私を呼ぶ江島くんの声に我に返る。
「気分でも悪いのか?」
「え?」
「おい、どうした?」江島くんが心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「あ、ごめんなさい!」江島くんの手を強く握っていたことに気づいて、慌てて手を離す。
江島くんの手に私が握っていた跡が赤くついていた。
「ああ、大丈夫だ。それより柏木、どうかしたか?」
「あ、うん……」私は江島くんから目をそらしてうつ向いてしまう。
雪穂ちゃんがキスをしていた。私に酷い事を言ったあの子と……。
「ロミオとジュリエットって、最後キスで目を覚ます話だっけ?」下を向いたままそう訊ねた。江島くんに顔を見られたくない……。
「ああ……。話自体は民話を元にしていて、シェークスピアの劇以前にも色んな話が作られている。ハッピーエンドもある」
「そうなんだ……」
「柏木、舞台裏に顔だしに行こう」
「え?」
「いや、ステージ終わった後の挨拶だよ」
「あ、うん」
知り合いのライブを観に行ったら、終わってから挨拶をしに行く。それと同じことをしようとしてるのだろうな。
私は立ち上がれない。
「柏木?」
……。
「柏木、もしかしてキスシーンに怒ってるのか?」
「え?」私は驚いて顔をあげる。……、私は怒ってるのかな……。
「芝居だろ。それに女の子同士だ。他の男とキスした訳じゃない。何怒ってんだ?」
江島くんはいつも通りだよね。
「……そうだね」説明したくない……。
江島くんは立ち上がり、手を差し出してきた。
江島くんと手をつないで舞台袖に入る。
雪穂ちゃんとジュリエット役の女の子を囲んで、C組の人達が騒がしくしていた。
「高瀬」江島くんが声をかける。
雪穂ちゃんが驚いた顔でこっちを見る。
ジュリエット役の女の子が私をにらんできた。
怖い……。
江島くんの手を強く握る。
江島くんが私をかばうように前に出た。
雪穂ちゃんが慌てて私のところに走ってくる。
「ごめんなさい、奈乃ちゃん。こっちへ来て」そう言って舞台袖から通路に出る。
私と江島くんも雪穂ちゃんについて廊下に出た。
雪穂ちゃんは泣きそうな顔をして天を仰ぐ。落ち着きなく手を動かして最後は顔をおおった。
何を言って良いかわからない。そう態度で示していた。
ああ……、いつものポンコツな雪穂ちゃんだ……。
「高瀬。お前、芝居もなかなかだな。舞台ばえして良かったぞ」江島くんは雪穂ちゃんの挙動不審ぶりを無視して劇の感想を言った。
「今その話なの!?」雪穂ちゃんが叫んだ。
江島くんはキョトンとした顔をする。
二人とも、いつも通りだね。
雪穂ちゃんは叫んだことで、返って冷静さを取り戻したのか、私を見て呼吸を落ち着かす。
「奈乃ちゃん、あれは志歩のアドリブだから! 私はキスするフリのつもりだったの!」
必死すぎる雪穂ちゃんに、私は引いてしまっていた。
もうどうでもいいかな……。
「いや、芝居だろ? 女同士だし、別にそんなに気にすることか?」江島くんは雪穂ちゃんの取り乱しように戸惑っている。
雪穂ちゃんは私を見たまま左手を上げて江島くんの胸を押した。「江島くんは黙ってて」泣きそうな声だった。
「うん、わかった。お芝居だもんね。雪穂ちゃんは悪くないよね」私は笑顔を作ってそう答えた。
私に雪穂ちゃんを非難する資格なんてないよね。
雪穂ちゃんはホッとしたように弱く微笑んだ。そして、違うことに気づいた。
雪穂ちゃんの視線は、江島くんとつないだ私の手を見ていた。
「あ、」江島くんは雪穂ちゃんの視線に気づいてつないだ手を離そうとする。
私は強く手を握って離さなかった。
『男』同士で手をつないでるくらい、別に気にする事ないよね、江島くん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます