第65話 楽しい文化祭
「羽崎さん」
羽崎正人は呼び声の方を見た。
奈乃の妹の柏木那由多と、柏木夫妻が入り口にいた。
文化祭二日目。つまり最終日だ。
今日も朝から奈乃はメイドをしている。そして俺は大して仕事もないのにバックヤードに詰めていた。
「やあ、那由多ちゃんいらっしゃい」
那由多が来ることは本人から連絡もらっていたので知っていた。
午後は奈乃が高瀬のクラスの劇を見に行ったり、軽音部のライブに出たりで忙しい。だから昼には来るように言ってあった。
那由多に挨拶したあと、柏木夫妻に軽く頭を下げる。
夫妻も丁寧に頭を下げて挨拶を返してきた。
奈乃は緊張した面持ちで知らない客に給仕をしていた。
切りが良いとこまで待って、奈乃が会釈してテーブルから離れたところで声をかけた。
「奈乃さん、お客さん」
奈乃は普段と違う呼ばれ方をしたのに驚いて俺を見る。そして直ぐに家族を見つけて戸惑った。
恥ずかしがっている奈乃も可愛い。
那由多は文化祭に来るとは言ってなかったのか?
委員長は直ぐに理解して奈乃の両親に挨拶した。そして、「奈乃さん、ご家族をご案内して」と柏木一家の給仕を任せた。
「……お帰りなさいませ。ご主人様、奥様、お嬢様」奈乃は恥ずかしがりながらもテンプレートの挨拶をする。
周りのクラスメイト達のニヤニヤが止まらなかった。
そのあと那由多が恥ずかしがる奈乃をスマホで写真を撮りまくっていた。さらに俺のところにまで来て、俺の横に奈乃を立たせて2ショットを撮っていった。
「俺まで撮らなくてもいいんじゃないか?」
「んー、待ち受けにします」
やめてくれ。
「ライブの時間になったら、また来ます」そう言って柏木一家は帰っていった。
午後に江島がやってきた。
奈乃はC組の演劇を江島と観に行く約束をしていた。
「柏木、出れるか?」
「うん」柏木はクラスのみんなを見る。「ごめんね。ちょっと抜けるね」申し訳なさそうな顔で断りをいれた。
「いいよ、楽しんでおいで」委員長がにこやかに答えた。
「江島」俺は奈乃ではなく江島に声をかける。
「あ?」
「柏木から目を離さないでやってくれ」
「……なあ。お前ら何でそんなに過保護なんだ?」
「頼む」
「……。おう……」江島は押しきられたように同意した。
俺だって奈乃をお前に任せたくはないんだけどな。
事実として文化祭は奈乃にとって楽しいことだけで構成されているわけではない。
うちのクラスのメイドさん達が、奈乃や松野がイヤな目に遭わないようにずっとガードしていた。
さっきは委員長まで自分で動いていた。
文化祭に浮かれた3年生の男子二人が奈乃に絡んだのだ。
「お前男の娘なの? すっげ、女にしか見えねー」そう言って低能そうな下卑た笑い声をあげた。「ねえねえ、俺達と遊びに行かねー? どんだけ女と騙せるかためしに行こうぜ」
「お、それいいな!」
直ぐにクラスの女子が間に割って入る。
「他のお客さんの迷惑になりますから、黙れ」
「あー?! 俺達客だぞ。何だ、それが客に対する態度か!」
クラスの女子がよりイキったバカの方を向いている隙に、もう一人が奈乃に手を伸ばした。
奈乃のスカートの裾を摘まんで、「下着何穿いてるの?」と、ふざけてめくろうとする。
駆け寄った俺は奈乃を抱き寄せて、バカの手から救い出す。奈乃を抱き締めたまま後ろを向いて、バカどもから奈乃を隠す。
奈乃がバカどもを見ないようにする意味もあった。
首を回して後ろを見ると、宇田川が奈乃のスカートに手を伸ばした男をイスから引きずり下ろしてヘッドロックして動けなくしていた。
より騒いでいた男は床にうずくまって苦しそうに腹を抱えていた。
うずくまる男の前で委員長が見下ろしていた。
委員長、手を出したな?
委員長が俺を見る。
「こいつらは俺と宇田川で処理しとく。羽崎は奈乃についていろ」
「……ああ」
男子の何人かが委員長を手伝って、騒ぎを起こした二人を教室の外に引きずり出した。
見えなくなってから、奈乃から手を離す。
メイドさん達が奈乃の周りに集まってきた。
「大丈夫? 奈乃ちゃん」
「怖かったね、もう大丈夫だからね」
みんなが口々な奈乃を気遣う。
「うん。大丈夫!」奈乃は笑って見せた。「さあ、お仕事しよ!」
そしてみんなは元の楽しそうな雰囲気に戻った。
奈乃が嫌な気持ちを引きずらないように。
みんなが戻った後も、俺だけが奈乃の傍に残った。
奈乃は俺の服の裾を握っていた。
「柏木、少し休憩するか?」
「大丈夫だよ、羽崎ぃ」奈乃は俺を見上げて笑う。「こういうのもあるとわかってメイドさんするって言ったんだから」
覚悟していたからって、平気な訳じゃ無いだろ……。
奈乃はメイドの仕事に戻る。
隣の席の佐野がバックヤードに戻ってきたとき、「委員長って、怒ると怖いのね」と言った。
「委員長キャラ作ってない素のときは、いつもあんな感じだよ」
委員長の素の一人称は俺だからな。
格ゲーマーの松野がバックヤードに戻ってきたとき、「ヒロくん、すっごくカッコよかったよね!」と、うっとりした目で言った。松野は彼氏の宇田川をヒロくんと呼んでいる。
「え? あ……、そうだね」
俺に同意を求められても……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
柏木奈乃は江島貴史と二人、高瀬雪穂のクラスの劇を観に第二体育館に向かっていた。
江島くんはいつも通り手を差し出してきた。
いいのかな……。
「手、つながなくていいのか?」
つなぎたい……。でも知っている人ばかりの学校内で手をつないだら、江島くんに迷惑がかかるんじゃないかな……。
「柏木、自分がやりたいようにやれ」
江島くんも、……親友も、やりたいようにやれって言ってくれる。
「ん……、江島くんが後で困らない?」
「あ?」彼は驚いた顔で私を見た。そして、笑った。
「やっぱ、柏木はおもしれーな」
え? 何で? 何かおかしなこと言った?
「悪い。自分が何か言われるのが嫌なんだと思ってた。俺の事を気にしてたのか」
江島くんが私のせいで悪く言われるのはイヤだよ。
「柏木は男前だな」
男前って……。誉められてるみたいだけど、あんまり嬉しくない……。
「心配すんな。俺は柏木に守ってもらうほどやわじゃない。大体、俺の方が柏木よりケンカ強いだろ?」
江島くんは立ち止まり、私に手を差し出した。
「柏木が友達思いなのは知っている。だけど俺に気を遣いすぎだ。柏木の好きにしたらいい」
好きにしていいなら手をつなぎたい……。
「手をつなぐぞ。さっさと手を出せ」
江島くんの手を握った。
彼は笑った。
「やっぱ柏木、雑に扱われるの好きだな」
「うん」
江島くんはカッコよすぎて、好きすぎる。
「江島くん、私の事買い被りすぎだよ」
「あ?」
「私だって、人に悪く言われるのは怖いよ」
「そうか」
「……」
「柏木は自分に自信がないくせに、友達のためにはケンカできるんだな」
「え?」
「なら俺が柏木のためにケンカしてやるよ」
何で? ……嬉しすぎるんだけど。ドキドキするんだけど。江島くん、カッコ良すぎるんだけど!
「あー、でもB組の奴らは、柏木のためならすぐケンカしそうだよな?」
「ん……。クラスのみんな、大好き」
江島くんも大好き。
この言葉は言えない……。
体育館は多くの人が入っていた。
雪穂ちゃんは学校で一番の美少女って評判だからね。
カッコ良くて、男女ともに人気がある。
そんな雪穂ちゃんが主役なんだからみんな注目するよね。
2年B組で観に来ているのは私だけだろうけど……。
「貴史、柏木くん」軽音部の先輩が私たちを見つけて声をかけてきた。
「先輩も観に来てたんですか?」
「うちの部員が主役だからな。みんな来てると思うぞ?」
「席あるかな?」
「良い席は無理だろ」
もっと早くから席取りしないとダメだったね。
「お前ら、ホントに仲良いな」
先輩は私たちのつないでいる手を見てそう言った。揶揄している訳でもなくただ思ったことを口に出しただけの風だった。
「うちのサークルはみんな仲良いですよ」
ふーん、江島くん、雪穂ちゃんと仲良いんだ……。
「……、柏木くん、何か怒ってる?」
「え? 怒ってないですよ?」私は努めて明るく言った。
江島くんの友達には愛想よくする。私のせいで江島くんが悪く言われることは避けたい。
初めて会った人やあまり知らない人と話すのは苦手だけど、この文化祭で江島くんと仲の良いクラスメイトや軽音部の人達と話す機会が増えた。江島くんの友達と話すときは笑顔を絶やさないように気を付けている。
話しについていけないときも、江島くんの傍らでニコニコしている。
先輩は軽音楽部の人達のところに行った。
私と江島くんは良さそうな席を探してそれなりの席を見つけた。
周りの席の人達が私たちを見てざわついていた。私も江島くんも元から学校で目立つ方だ。
私たちが手をつないでいるのがそんなにおかしいの?
江島くんは私の代わりにケンカをしてやると言ってくれた。
私はずっと江島くんの手を握っていた。
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