第61話 奈乃ちゃんの制服
文化祭当日の朝。
羽崎正人は柏木奈乃を迎えに行った。
「お早うございます」奈乃の妹の那由多が緊張した表情で挨拶してきた。今日は土曜日で彼女は学校がないのか私服のままだった。
「お早う。那由多ちゃん」
「お姉ちゃん、すぐ来ますから」そう言って、また家の中に戻る。
普段なら学校に行くだけで奈乃を迎えに来たりしない。今日は特別だ。
「お姉ちゃん、遅刻するよ? 羽崎さん、待ってるから」部屋の中から那由多の急かす声が聞こえる。
「待ってよ、おかしくない?」
「おかしくないから!」
那由多が奈乃の手を引っ張って居間から出てきた。
奈乃はうちの学校の女子の制服を着ていた。
奈乃は俺と目が合うと恥ずかしそうにモジモジして視線を泳がせた。制服を無意味に引っ張って整えようとしているようだった。
珍しく黒髪を二房三つ編みにしている。三つ編みを止めているのは飾りの無い黒のヘアゴムだった。
普段より大人しい。大人し目の格好なのにピアスだけが目立っていた。
クラスの女の子の卒業した姉の制服を借りた。
奈乃が学校でメイドの、女の子の服に着替えるのを嫌がったからだ。
いや、奈乃は女子生徒として学校に行きたかったのだろうか? だからあえて地味などこにでもいる生徒の見た目にしたのだろうか?
実際にはこんな地味な生徒はいないと思うけど。
ピアスだけが異質で、奈乃が奈乃であることを主張していた。
「似合っている。可愛いよ」俺は奈乃に笑いかける。
彼女はほっとした顔をしてぎこちなく笑った。
隣の那由多は複雑な表情で姉を見ている。
居間から奈乃の母親が見送りに出てきた。
「羽崎さん、迎えに来てくれてありがとう。奈乃、どうかな?」
「可愛いと思います。全然良いです。いつもこれで学校に行っても良いんじゃないかと思うくらいに」俺は思った通りの感想を答えた。
母親はぎこちない微笑みを浮かべて辛そうに黙った。
……。
「すみません。無責任な事を言いました」俺は母親に頭を下げる。
「え?……、ごめんなさい。いいのよ?」彼女は自分がどんな顔をしていたのか気づいてなかったのか?
「行ってきます!」奈乃が元気に挨拶した。
「行ってらっしゃい」母親が奈乃を優しく抱き締める。
奈乃は逆らわずに抱き締められていた。嬉しそうに。
見ているのも悪くて目を反らす。那由多と目が合う。彼女は恥ずかしそうに苦笑した。
俺も那由多に苦笑を返す。
何かムズムズする。
奈乃と手をつないで学校への道を歩く。
制服で彼女と登下校とか憧れのシチュエーションだよな。
奈乃は嬉しそうだったが、学校が近づくにつれて口数が少なくなってきた。歩く速度も遅くなる。
「柏木」俺は立ち止まって奈乃に声をかける。
奈乃も立ち止まって俺を見上げる。
「大丈夫。そこらにいる生徒の一人にしか見えないよ。誰も柏木の事を見てるやつなんかいないから」そうからかうように言って笑った。
奈乃は一瞬、何を言われたかわからないって顔をしてから、遅れて微笑み返してきた。
「うん。文化祭、楽しいね」
着たかった制服を着て登校するだけなのだろうけどな。それだけで文化祭に満足できたのだろう。
まだ、始まってもいないけど。
奈乃が楽しめる文化祭にしたい。
校舎に入る。
何人かのクラスメイトと挨拶を交わす。
「奈乃ちゃん可愛い!」奈乃が抱きつかれた。奈乃は恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうにハグを返す。
男女関わらず、全員とハグを交わす勢いだ。
お前らテンション高過ぎ。奈乃もな。
何だか俺だけ冷静すぎて損した気分。
「羽崎ぃ。拗ねてる?」奈乃が俺を見てイタズラっぽく笑った。
「いや? 拗ねてないよ?」
奈乃は笑って俺に抱きついてきた。
調子に乗ってる奈乃にムカついて、強く抱き締める。
「羽崎ぃ、痛い、痛い」
構わず抱き締め続ける。
「羽崎ぃ、優しくしてよ……」奈乃が色っぽい声を出した。
周りのクラスメイトがどよめく。
わざとやったな?
手を離す。
「柏木、後で覚えとけよ」仕返しにみんなが見てないところでイヤってほど抱き締めてやる。
「うん」何か嬉しそうだった。
俺達の頭の悪いやり取りを他のクラスの奴らが覚めた目で見ていく。
奈乃に気づいているのかいないのか?
教室に入ると教室の一角に人が固まっていた。ほとんどが女子だった。
中心に格ゲーマーがいた。
格ゲーマーの松野修斗は女子の制服を着て軽いメイクをしていた。髪の毛は自前なのかいつもと同じ長さだった。
松野の両脇に彼氏の宇田川と委員長が控えていた。
クラスメイトたちが松野に構いすぎないように目を光らせているのだろうか? なら、役に立ってないな。
「修斗くん!」奈乃が人混みの外から声をかける。
「奈乃ちゃん!」松野がほっとしたように奈乃に答えた。
松野を囲んでいた人垣が割れる。松野は奈乃のところに駆け寄る。奈乃は両手を広げて彼を迎え入れる。
松野は身をかがめて奈乃の胸に顔をうずめた。
松野も女子ぐらいの身長だが、奈乃よりは少しだけ背が高い。
わざわざ身をかがめてまで奈乃の胸に飛び込んできた松野を、奈乃が甘やかすように左手で抱き締め、右手で頭をナデナデした。
「よしよし、修斗くん。大丈夫だよ」
「うぅ……、奈乃ちゃん……」松野は甘えるように奈乃にしがみつく。
「みんなー。大勢で囲まれると怖いからやめてね?」奈乃が可愛くお願いした。
「ごめんごめん、修斗くん、怖かった? ごめんねー」みんなが口々に松野に謝る。
「ちょっとぐらいメイクした方がいいかなーって思ってメイクしてたらいつの間にか人だかりになっちゃった」盛っている系の女子が悪びれずに、てへっ、って顔をした。
「これでも押さえた方なんだよ……」委員長が疲れた顔をした。
その横で宇田川が不機嫌そうにそっぽを向いた。
その後、奈乃はみんなとハグする。
松野は宇田川の後ろに隠れて、彼氏の裾を握りしめていた。
それから委員長の指示でメイド喫茶の準備を始める。
メイド服に着替える女子たちが奈乃と松野を連れて着替えに行く。
「どこで着替えるの?」俺は隣の席の佐野を呼び止めた。彼女もメイド服に着替える一人だ。
「女子更衣室を占拠するの。着替えてる間、よそのクラスの人が入ってこないように見張り立てるから大丈夫」
「……、佐野さんたちと一緒に着替えるのか?」
「そうよ?」
いいのか?
奈乃は格ゲーマーの手を引いて、楽しそうに女子たちと更衣室に向かった。
……いいのか?!
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