第52話 ライブハウスからの逃走
羽崎正人はライブハウスの地下に続く階段でクラスメイト達と他愛もない話をしながら列を作っていた。
今日は奈乃が出演するライブの日だ。
クラスのほとんどがチケットを買った。開場時間は日のある内なので、入場列の邪魔にならないように自由集合にしていた。
帰りは夜間なので集団で帰路に着くように委員長は通達していた。
俺は委員長達と並んでいた。夕方になって少し涼しくなる。
そもそも早く来すぎた。俺達がライヴ慣れしていないせいだ。いや、ライヴなんて初めてだけど。
時間前にライブハウスのドアが開く。
江島が顔を出した。
俺達を見つけると階段を上って来た。
「よお、来てくれてサンキューな」
「ああ、ライヴ、楽しみにしているよ」委員長は社交的に答える。
江島は少し躊躇してから、「委員長と……」それから俺を見て、「あんた」と話しかけてきた。
名前覚えてないのか。別に覚えてもらわなくていいけど。
「ちょっと来てくれ」
イヤな予感がした。
ライブハウスの中に入る。
「俺はあんた達に用は無いんだけどな」と江島は言い訳じみたことを言った。
奈乃が呼んだのか?
高瀬のところに連れてこられた。高瀬はパソをいじっていた。
「ごめんなさい。私は奈乃ちゃんのクラスメイトに嫌われてるみたいだから」と言った。
いや、俺もあんたの事は嫌いなんだが? 委員長もな。
「どうしたんだい?」委員長が二人に尋ねる。
「奈乃ちゃんがいなくなったの」高瀬が答える。
「はあ?!」俺は思わず大きな声を出してしまった。
委員長が片手を上げて俺を制する。
「いつから?」
「20分位前から」
「控え室は?」
「いないわ」
「トイレは?」
「いないわ」
「電話した?」
「電源を切ってる」
「……準備は間に合う?」
「奈乃ちゃんは特にすることはないの」
「で、僕たちを呼んだ理由は?」
「奈乃ちゃんを探してほしいの」
「自分で探さないのかよ!」お前、奈乃の彼氏だろ!
委員長が再び片手を上げて俺を制する。
高瀬は怯えたように口をつぐんだ。
「高瀬はセッティングが終わってない。俺もだ。俺達は前座だからセッティングが最後なんだ」江島が黙ってしまった高瀬の代わりに答える。
委員長は黙って考え込んだ。多分俺と同じ事を考えてると思う。
そして、「探さなくてもいいんじゃないかな?」と答えた。
「俺もそう言ったんだがな」と江島も委員長に同意した。「柏木は逃げたりしない。やることないからどっかで暇潰ししてるか、集中してんだろ」
やはり江島とは話が噛み合わない。
奈乃は人前では緊張する方だ。仲間が準備に追われて、放っておかれたら逃げ出したくなるだろう。
高瀬は奈乃が逃げたと思っているようだ。不安そうな表情をしている。
だったら探しに行けよ。セッティングなんて放っておいて!
委員長が俺の腕を軽く叩いた。怒るな、と言っているようだった。
「わかった。奈乃ちゃんは僕たちが探す。二人は準備を続けて」そう言って俺を促して出口に向かった。
委員長は出口の前で立ち止まって俺を待つ。周りに人がいないのを確認してから、「奈乃ちゃんは逃げたね」と言った。
「多分な」俺も同意する。
「奈乃ちゃがどこにいるか想像できるか?」
「大体は」
「羽崎は探しに行ってくれ」そう言った後、「一人じゃ可哀想だ」と続けた。
元いた待機列に戻る。
「何だったんだ?」
「ああ、買い出しを頼まれたんだ。羽崎に行ってもらう」と言うことにしたらしい。
俺はライブハウスから出た。迷わずに最寄り駅に向かう。通り道に公園があったので中に入った。
それほど大きくない公園なので、ほどなくベンチで丸くなっている奈乃を見つけた。
奈乃はライブハウスと駅の間の人混みでない場所にいると思っていた。
俺が見つけやすいように。
奈乃は白のシャツの上に黒のジャケット、黒と白のチェックのミニスカートをはいていた。髪の毛は片側を三つ編みにして、水色のシュシュをつけていた。ピアスとイヤーカフ、それにペンダントをつけている。
黒のローファーを履いていて、それをベンチの上にあげて膝を抱えるように座っていた。
スカートの中が見えていたが、黒の短パンを履いていた。
奈乃に近づくが、抱えた膝に顔を埋めていて俺に気がつかない。
俺は静かに奈乃のとなりに座った。
奈乃が顔をあげてこちらを見る。
驚いた顔をして、そして泣きそうな顔をした。
「緊張してるのか?」
「……ん。……どうして羽崎がいるの?」
「高瀬が心配していた」
「……」また膝に顔を埋めた。
「逃げるか?」俺は優しく言った。
「え?」奈乃が驚いた顔をして俺を見る。
まあ、連れ戻しに来たと思うよな。
俺も委員長も探さなくていいと思っている。
奈乃がやりたくないなら、無理にやらせるつもりは無い。
委員長は、一人は可哀想だからついていてやれと言っただけだ。もちろん俺もそのつもりで探しに来ただけで無理に連れ戻すつもりはない。
「逃げたいなら一緒に逃げてやるよ。江島や高瀬には後で謝っといてやる。他の出演者やライブハウスのスタッフにも俺が謝ってやる。江島に2、3発殴られてもいい」
奈乃の目が弱く揺れた。みんなに迷惑をかける自覚は有るようだ。
「柏木は柏木のやりたいようにやれ。やりたくないならやるな」何度でも言う。「俺が守ってやる」そう言って微笑みかける。
奈乃はしばらくの間、俺の目を覗いている。それからまた顔を伏せた。
「……江島くんは何て?」
やっぱり江島を気にするのか……。
「どこかで暇潰ししてるだけだから探さなくていい、てさ」俺はできる限り不機嫌に聞こえないように言った。
「ふっ……」奈乃は小さく笑った。そして俺に手を差し出す。
「羽崎ぃー、ライブハウスまで連れてって」
俺は奈乃の手を取って立ち上がった。奈乃も立ち上がる。
でも奈乃は一歩が出なかった。緊張のためか呼吸が早くなる。
俺は奈乃を抱き締めた。奈乃も俺にしがみついてくる。
奈乃の震えが止まるまで抱き締めていた。
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