第37話 そうじゃない

「おい。柏木寝てるのか?」

 江島貴史はゲーミングチェアから立ち上がって、座っている柏木奈乃の顔を覗き込んだ。


「ん?」柏木はハッとしたように顔を上げた。そして慌てたように、「寝てない!」と言った。


 いや、寝てたよな?


 今日は俺は作業していた。

 夕方に柏木から電話があった。何か俺にかまって欲しそうだったが、作業したかったので断った。

 その後はいつもどおりだ。

 何故か柏木が泣きそうになったので慌てて、「作業してるんだが、見に来るか?」と、つい訊いてしまった。

「行く!」


 その後もいつもどおりだ。

 最近は柏木がいても気が散る事なく作業に没頭できるようになった。いや、前から気にならなかったか?


 柏木は床に正座してずっと俺の作業を見ている。そんなに曲作りに興味あるのか?


「教えようか?」

「え? ううん。いい」

 別に興味無さそうだ。

 なら何でずっと俺の作業を見てるんだ?


「そろそろ暗くなるぞ。帰らなくていいのか?」

 夏の日の入りは遅い。時刻は8時前だった。そろそろ食事とかの時間じゃないのか?


「んー、もう少し居たい」

「暗くなるぞ?」

「……、お泊まりしていい?」

「いや、帰れ」

 柏木がふくれっ面をする。

 いや、泊まって何するんだよ? 俺は作業があるから遊んでやれない。

 3曲目のレコーディングも済んでるから柏木の作業はない。

 3曲目のMVは高瀬が制作中だ。俺は4曲目の曲作りに入っている。


「送ってくから帰るぞ」俺は立ち上がった。

 柏木は頬を膨らませたままそっぽを向く。立ち上がろうとしない。

「おい、立てよ」手をさしのべる。

 柏木は俺の手をじっと見てから、しぶしぶその手を取って立ち上がった。

 立ち上がってからも、俺の手を離そうとしない。

 こいつ、手を繋ぐの好きだよな。



 柏木と二人で外に出る。

 まだうっすらと明るい。

 クーラーの効いた部屋から出ると暑さがこたえる。


 柏木は暑さに強いのか涼しげな顔をしている。

 俺は手汗が気になっているんだがな。柏木は気にならないのか、ずっと俺の手をつかんでいる。


 今日の柏木もイケていた。


 黒のリボンのついた、白と黒のチェックの膝上丈のスカート。黒の柄Tにカラフルな半袖パーカー。黒のローファー。

 髪はポニーテールで出した耳にピアスとカフ。

 この借りてきた感が柏木らしい。



「なあ、柏木。最近のフェィバリットはあるか?」

「ん? 江島くんの曲!」

「そうか」迷いの無い返事に笑ってしまった。そして俺の曲を好きと言ってもらえて素直に嬉しい。

「俺の曲以外はどうだ?」

「んー」柏木は何曲かハードコアの曲を挙げた。女性ボーカル曲が好きなのか。物語性のある曲が多いか?

 ん? 全部俺が薦めたアーティストばかりか?


「……。なあ……。柏木は歌ってみたい曲とか無いのか?」

「江島くんの新曲!」これも即答だった。

「お、そうか」にやける。いや、仕方ないよな。でも……。

「ありがとう。でも、俺の曲以外で歌ってみたい曲とか無いのか?」

「ん? ……?」柏木は少し困ったような顔をした。

「じゃあ、次はどんな曲つくって欲しいとかあるか?」

「? 江島くんが作りたい曲を作れば?」

「いや、次の曲の参考に。俺のやりたいことばかりじゃなくて、柏木のやりたいことは無いのか?」

「? 江島くんの作った曲を歌いたい」

「……。ありがとう」何か笑えなくなってきたぞ?


 柏木のクラスメイトと交わした会話が頭をよぎる。


「俺たち同じサークルの仲間だろ。俺のやりたいことばかりやるつもりはない。柏木も高瀬も対等な仲間だろ?」


 対等、使い捨て……。あのときの会話のキーワード。

 俺は柏木を対等な仲間だと思っている。けして使い捨てになんかしない。

 そう伝えようとしたのだが、何故か柏木は不機嫌そうな、いや、むしろ怒ったような顔をした。


 何でだ?


「悪い、柏木。気に障ることを言ったか?」

「……」返事をしない。目線を外して前をずっと見ている。

 そのくせ繋いだ手は離さない。


「柏木、何が気に入らなかったのか言えよ。言わないとわかんねーだろ?」

 返事をしない。


「なあ、柏木。どうしたら機嫌なおる?」

 これも返事無しだ。いつもならハグして、とか言ってきそうなところなのだが?


 いや、柏木が機嫌悪いときは泣きそうになる。だが今は明らかに怒っている。

 どうすればいいんだ?


「おい、柏木。いい加減にしろよ! 黙ってたってわかんねーだろ!」

 閑静な夜の住宅街に俺の声が響いた。


 柏木の体がビクッとした。そして怯えたような目で俺を見上げる。今度は泣きそうな顔をしていた。


 まずった。泣くな、これ。




 柏木奈乃は不機嫌に江島貴史の隣を歩いていた。

 蒸し暑い夏の宵。

 江島くんは自宅で曲を作っていたからラフな格好。チノパンにTシャツ。多分どこかのバンドのライブTシャツ。

 ……。私は暑いのを我慢しておしゃれしてきたんだけどね……。


 お泊まりしたいと勇気を出して言ったのに、軽くあしらわれた。不機嫌になるのも仕方ないよね。でも、顔に出さずにいつもどおりにふるまう。


 江島くんが音楽の話をしてきたので、機嫌よく答える。


「江島くんの新曲!」


 どんな曲を歌いかと訊かれたから、思った通り答えた。

 何故か江島くんはこの答えに満足していない。


 何で?

 私は江島くんの曲以外、歌う気はないよ?


「柏木も高瀬も対等な仲間だろ?」

 彼の言葉にめまいを感じた。

 足元の地面がなくなったみたい。

 何か嫌なものが私の中に満ちてくる。


 どうして雪穂ちゃんの名前を出すの?


 雪穂ちゃんと江島くんが対等な仲間?


 江島くんは雪穂ちゃんが好きだったのは昔の話じゃないの?

 今でも雪穂ちゃんの事が好きなの?


 お泊まりさせてくれなかった……。

 私は特別じゃないから?


 私は江島くんの曲以外歌うつもりはない。でも、江島くんは、私が江島くんの曲以外を歌うのが平気なの?

 私は特別じゃないから?


「おい、柏木。いい加減にしろよ! 黙ってたってわかんねーだろ!」


 怒鳴られた。


 こわいよ、江島くん……。


 しばらくの間、もしかしたら長い間、二人とも無言で立ちすくんでいた。


 それから江島くんが困ったように私を抱き締めた。


 違うよ、江島くん。そうじゃないよ……。


 涙があふれてきて、止まらない……。



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