第36話 ずっと友達だよ

「雪穂ちゃん?」

「え?」

 高瀬雪穂は柏木奈乃の不安気な呼び掛けに意識を戻した。

「どうかしたの?」

「ううん、何でもないわよ?」


 いけないわ。奈乃ちゃんに心配かけさせては……。


 私の家に作ったスタジオ。夏休みの1日。今日も奈乃ちゃんとおうちデートだ。


 今日も奈乃ちゃんは可愛い。


 半袖の白いブラウス。レースと黒のリボンタイ。黒のフレアスカートの組み合わせ。生足に白の靴下と黒のローファー(撮影用の室内履き)。

 そしていつもの水色のシュシュ型ブレスレットとピアス。

 髪は珍しくロングだった。両側から少しずつ髪を取って一房の三つ編みを後ろに垂らしている。


 ロングの奈乃ちゃんも清楚で可愛い。


 白の撮影用スクリーンの上にちょこんと座った奈乃ちゃんは控えめに言って天使だった。


 そんな天使を置いて、私は床にしゃがんでカメラを持ったまま物思いにふけってしまっていた。


「ごめんね、奈乃ちゃん」私は笑った顔を作る。

 上手く笑えなかった。かえって奈乃ちゃんの表情がくもる。


「うそ。雪穂ちゃん、何かあったでしょ?」

 否定しようとして言葉に詰まった。


 先日、ファミレスで奈乃ちゃんのクラスメイトと話をしてから、初めてのデート。私はあのときのやり取りをまだ引きずっていた。

 私は面と向かった悪意に耐性が無さすぎた。今まで私をちやほやする人たちばかりが周りにいたから。

 私の事を、大嫌い、と面と向かって言う人なんかいなかった。


「羽崎たちに何か言われたの?」撮影用のライトに照らされた奈乃ちゃんが眩しすぎる。


 私を心配そうに気遣う奈乃ちゃんが眩しい。そして私は奈乃ちゃんに気遣われる事が嬉しいとも思う。

 同情でもいいから好きな子の心を独り占めしたいなんて、私も弱くなったものね。


 奈乃ちゃんは立ち上がり近づいてくる。そして私の前に膝をついた。

 しゃがんでいる私を下から覗き込んでくる。


 上目遣いの奈乃ちゃんはとても可愛い。

 私は弱く微笑んだ。


「羽崎がヒドイ事言ったの?」奈乃ちゃんは私への憐憫と彼女のお友だちへの苛立ちを含めて私に優しく話しかける。


 それは彼女が、彼女のお友達に非難されることを私がした、と思っているということだ。

 彼女のお友達なら、私と会ったら私を非難する。その事を彼女は知っている。


「奈乃ちゃんはクラスの人たちに愛されてるのね」この言葉は二回目だ。

 彼女はその事を知っている。

 彼女のお友達が私に怒っていることを知っている。

 そして奈乃ちゃんはそれを止めなかった。


 私の友達の志保が奈乃ちゃんに暴言を吐いた事。

 私が奈乃ちゃんに謝罪したとき、奈乃ちゃんは謝罪を受け入れるとは一言も言っていない。


 奈乃ちゃんは私たちを許していなかった。

 私は奈乃ちゃんを傷つけたまま放っておいたのだ。


 奈乃ちゃんはしばらく黙ったまま私を見つめ、ゆっくりと目を閉じる。

 次に目を開けたときは困ったような、それでいて嬉しそうな表情を浮かべていた。


「うん……。羽崎も委員長も……クラスのみんなも、……大好き」

 私は黙って次の言葉を待つ。

「みんな私に優しくしてくれる。みんな私のために怒ってくれる」


 そうみたいね。


「ごめんね」そう言って奈乃ちゃんは私の頭を優しく抱き締めた。


 え……?


 なぜ奈乃ちゃんが謝るの?


「ごめんね、雪穂ちゃん。雪穂ちゃんは悪くないのに。みんなに嫌われたくないから、私はみんなを止めなかった。そのせいで雪穂ちゃんを傷付けちゃったんだね。ごめんね」


 それは言外に、志保に嫌われたくなかったから志保の無礼を放置した私を非難しているのだろうか?


 非難されても仕方の無いことを私はしていたんだ……。


「ごめん、奈乃ちゃん。……嫌いにならないで……」

「うん。嫌いにならないよ。……雪穂ちゃんだって完璧じゃないことを知ってるよ……」


 そうね。私は完璧でも聖人でもない……。


 だって今だって、奈乃ちゃんに抱き締められていることを喜んでいるもの。

 この流れのまま、奈乃ちゃんを押し倒せないかしら?

 同情でもいいから、それにつけこんで奈乃ちゃんをものにできないかしら?


 ……そんなことを考えている私はとても破廉恥な人間よね……。




 柏木奈乃は高瀬雪穂を抱き締めていた。

 腕の中の雪穂ちゃんは静かに泣くのを我慢していた。


 雪穂ちゃんが落ち着いてから腕を離す。かわりに彼女の両手をとって手を繋いだ。

 正面から雪穂ちゃんのお顔を覗き込む。


 雪穂ちゃんは泣くのを我慢した涙目で不安そうに私をみている。


 今日の雪穂ちゃんもカッコいい。

 灰色のチェックのスラックスに白のメーカー品のポロシャツ。ワックスでかためた髪はメンズ雑誌のモデルさんみたい。


 雪穂ちゃん。泣いてたら、ハンサムなお顔が台無しよ?


「雪穂ちゃん。ずっとお友達でいてね?」私は笑いかける。


 雪穂ちゃんは少し泣きそうな顔をしてから笑顔を返してきた。

「ええ、もちろんよ。奈乃ちゃん」


 雪穂ちゃんは恐る恐る私に近づいて、そして一旦手を離しゆっくりと抱き締めてきた。


 弱ってる今日の雪穂ちゃんは可愛い。


 甘えるふりして抱きついてくるとことかは、いつもの雪穂ちゃんらしいけどね。



「ちゃんと志保と話する。ちゃんと志保に謝らせる」私を抱き締めたまま雪穂ちゃんは言った。

「いいよ。いらない。私のお友達は雪穂ちゃんだから」

「でも志保は私の友達だから。私の友達には偏見とか差別意識とか持って欲しくない」

「ん……」


 多分違う。雪穂ちゃんのお友達は偏見も差別意識も持ってない。

 そして雪穂ちゃんがお友達の偏見を無くさせたいと言うのは私のためじゃない。自分のためだよね。


 雪穂ちゃんも、雪穂ちゃんのお友達も、そして私も、みんなが言う普通からとっくにかけ離れてるんだよ。


「雪穂ちゃんは何もしないでね」

「でも……」

「雪穂ちゃんにしかられたら、そのお友達はもっと私の事を嫌うから」

 悪意ある言葉を投げつけられるのはこわい……。


 あのときもこわくて泣きそうになった。

 ただ、あのときの私の社会的役割がそれを許さなかっただけで……。


「だから雪穂ちゃんは何もしないで」

「……」雪穂ちゃんは返事をしなかった。でも拒否じゃない。肯定することに罪悪感を感じているのかな?

 多分雪穂ちゃんは、お友達が私の事を嫌いな理由を正しく理解している。そして気づかないふりをしている。


「雪穂ちゃん。撮影旅行の準備している? 予定たてた?」

「え?」

「楽しみだね。撮影旅行」


「……。ええ」



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