第35話 何者にもなれない

「柏木はそんなに弱くないぞ?」

 江島貴史の言葉に羽崎正人は暗い感情を覚えた。

 夏休みのファミリーレストラン。俺たちはテーブルを挟んで江島と高瀬と対峙していた。


 こいつに柏木奈乃の何がわかるんだ!


「あとな、この手の音楽は作曲者や動画制作者は話題になるけど、ボーカルや出演者はあんまり話題にならない。柏木が目立つことはあんまり無いと思うが?」

 後付けの言い訳じゃないのか?


「そうなのか?」委員長が尋ねる。

「アイドルやロックバンドのミュージックビデオとは違うんだ。この手の曲のファンは作家性を重視する。インディーズなら特にその傾向が強い」


「それでも奈乃ちゃんが作品性以外で評価されることは避けたい」委員長が本題に戻す。

「柏木の女装趣味を売りにすることは無い。音楽に関係ないからな」江島は他の三人が意識して避けている言葉を平気で使う。

「奈乃ちゃんは可愛い女の子よ。それ以外のメッセージは無いわ」江島の言い方に困惑しながらも、高瀬は奈乃を見世物にする気はないと言う。

 何故か江島は高瀬の言葉にキョトンとした顔をしていた。


 何だこいつ?


 江島だけが話しに噛み合っていない事を感じた。


「奈乃ちゃんがやりたいことをじゃまするつもりはない」

 ムダに噛み合わない会話を続けることに意味はない。委員長は話をまとめに入る。


「動画を投稿する前に教えてくれ。クラス全員と情報を共有する。動画やSNSへの書き込みを禁止する。知らずに見た誰かが余計な書き込みをする事を避けたい」

「わかったわ。もともとクレジットに本名は載せていない。アーティスト名を使っているから」高瀬が約束した。

 高瀬には俺たちの不安が理解できるのだろう。高瀬には奈乃が悪意ある差別にさらされる危険性を理解している。


「高瀬。俺はあんたを信用してない。多分、俺たちのクラスの誰もがあんたの事が嫌いだ」俺は攻撃性の高い言葉を使って返事した。

「多分じゃない」委員長が俺の言葉を訂正する。


 高瀬は初めて不安そうな表情を浮かべた。彼女は面と向かって悪意を向けられた事が無いのだろう。スクールカースト頂点の彼女に面と向かって敵対する奴はいだろう。陰で妬みやひがみはあるかもしれないが。


「クラス全員、もちろん僕も高瀬さんの事が大嫌いですよ」委員長が穏やかな表情で毒をはいた。


「おい! お前ら言いすぎだろ!」江島が怒鳴る。仲悪そうに見えたんだが、そうではないらしい。いや、一緒にMV作っている時点で仲悪いわけはないか。


「前に高瀬さんの友達が奈乃ちゃんに暴言を吐いたことは、クラスの皆が知っている」

「それは……」高瀬が委員長に反論しようとする。委員長はそれを許さない。

「高瀬さんはその後も、友達の愚行を放置したよね。彼女はいまだに奈乃ちゃんに謝罪していない」

 高瀬は黙る。

「そして高瀬さんはいまだにその友達と友達のままだ。友達と奈乃ちゃんを天秤にかけて、どちらにもいい顔をしてるよね。そんな人を信用できますか?」

 高瀬は傷ついたように青ざめる。


「ふざけんなよ」委員長は委員長キャラを維持できなかった。


「……お前ら、もうやめろ」江島が場を落ち着かせようとするかのように、静かに言った。

「柏木も高瀬も子供じゃない。自分達の問題は自分達で解決できる」


 見た目ヤンキーが何か正論じみたことを言った。

 だが、彼はあの場にいなかった。あの許せない暴言を聞いていない。



 そしてしばらくの無言。

 俺はまだこのモヤモヤを解消できていない。モヤモヤの正体はわかっている。


 嫉妬だ。


「なあ、江島。江島は才能あるよな」俺は話題を変える。

「お? そうか?」江島は少し照れる。

 見た目ほど悪い印象はない。奈乃と仲がいいことを除いてだが。


「まあ、俺は音楽に詳しくはないけど、このままやってけばそれなりの者になれるだろうな。プロでやってけるかどうかは知らないけど、少なくともインディーズの世界ではそれなりになるんだろうな」

「あー、まあ、そうなりたいな」


「高瀬も」高瀬に話しかける。さっきと違って穏やかに。

 それでも高瀬は怯えたように弱々しく俺を見返した。

「才能あるよな。動画作り出したの最近だろ? それでこのできとかセンスあるよな。一作目と二作目の成長ぐあいとかエグすぎるよな。すでに金取れるレベルじゃないかな?」


 高瀬は俺の真意を測りかねて無言のままだ。


「じゃあ、柏木には何が残る?」

 二人とも、委員長も意味を取りかねている。


「柏木は何になれる? 柏木はこのままでいられない。あんたたちの才能は10年後も20年後も通用するかもしれない。でも柏木にそんな才能はない」


 言っていて心が痛む。


「柏木の美しさも、天使のような歌声も、年を取れば劣化する。ずっと今のままではいられない。そうなれば、柏木はあんたたちと対等でいられない」


「……お前が一番柏木に辛辣じゃないのか?」江島が遠慮がちにそう言った。


「俺の事は話してない」

 お前らに俺と奈乃の何がわかるかよ!


「いいか。柏木を使い捨て扱いしたら承知しないからな」




「柏木、楽しかったか?」俺は奈乃に笑いかける。

「うん。遥香ちゃんとっても優しいから好き」

 奈乃は嬉しそうに返事した。

 奈乃はクラスの誰の事も好きとしか言わない。そしてそれは本心に聞こえる。


 奈乃は俺たちがファミレスで話をしている間、ずっと俺の隣の席の女の子と遊んでいた。


 合流してからすぐに解散した。今は俺と奈乃の二人で、奈乃を家に送っている途中だ。

 奈乃は俺の手をずっと繋いでいる。


「雪穂ちゃん、何か元気無かった?」奈乃が心配そうに尋ねてきた。

 高瀬は俺と委員長の二人がかりで吊し上げ食らってたから少しへこんでいたかもな。

 ま、自業自得だ。


「いや? 特に何もなかったけど?」

「羽崎ぃー、雪穂ちゃんいじめてないよね?」

「いじめてないよ?」

 奈乃は不審そうな目を向けてくる。

 俺はとぼけておく。


 俺が高瀬を嫌いなことは奈乃には黙っている。奈乃が高瀬と友達でいたいなら、それをじゃまするつもりはない。


「柏木」俺は立ち止まって奈乃の名を呼ぶ。

「ん?」奈乃も立ち止まって俺を見上げた。


 繋いでいた手を引き寄せ、奈乃を抱き締めた。


「羽崎ぃ?」

 俺は奈乃の頭を胸に埋める。


「柏木は俺が守ってやるからな。ずっとな。ずっと守ってやる。だから柏木はやりたいようにやれ」

「……うん」



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