第31話ピアスの穴

 羽崎正人は柏木家を訪れた。

「お早うございます。羽崎さん」

「おはよう。那由多ちゃん」

「上がってください」

「うん、お邪魔します」


 リビングに通される。

「これ、頼まれていたの」那由多に買い物袋を渡す。

 今日は那由多に呼ばれて来た。何で奈乃じゃないんだ?

 何度か柏木家に来て、いつの間にか那由多とも連絡先の交換をしていた。

 それで今日、那由多に呼び出された。何かおやつを買っていこうかと言ったら、お菓子を作りたいから材料を買ってきて欲しいと言われた。

 それで、那由多に頼まれた材料を買ってきた。


「お姉ちゃんは?」

「まだ寝てます」

 もうすぐ10時だ。

 那由多は少し考えてから、

「羽崎さん。お姉ちゃんを起こしてきてください」と言った。


 は?


 ……え? いいの?


「いや、ダメだろ?」

「お姉ちゃん、羽崎さんには怒らないと思いますけど?」

「……、那由多ちゃん、怒ってる?」

「……、昨日、お姉ちゃん。帰り遅かったです」

 ……。


「羽崎さんじゃないですよね?」

 うん、違うな。

「羽崎さんと会ってたなら、隠さないと思います」

「……それで怒ってるんだ?」

「はい。……告げ口です」

「何で俺に?」

「……羽崎さんがお兄さんになったらいいなと……。前にも言いましたよね?」

「うん、俺が高評価なのがわからない」

「……。お姉ちゃん、男に影響受けすぎだから……」

「ダメなの?」

「男の趣味悪すぎ……」

「?」

「見たらわかります。……あの、ビッチ……」

「那由多ちゃん」

「……ごめんなさい」

 那由多は小さい声で謝った。そんなに怒ってないつもりなんだが? いや、怒ってたか。


 那由多はどこか嬉しそうだった。叱って欲しかったのか?

 奈乃に似ている。姉妹だからか? ……姉妹?


「……、お姉ちゃん、起こしてくる」

「お姉ちゃんの部屋は手前です」

 俺は那由多を置いて2階に上がる。

 奈乃の部屋に入るのは初めてか。


 手前の部屋をノックする。

 ……返事がない。

「柏木、入るぞ」一応声をかけてドアを開ける。


 片付いた部屋だった。


 ピンクの花柄の布団にくるまって奈乃は寝ていた。

 枕元にぬいぐるみが並んでいる。

 大きめのぬいぐるみを抱き枕にしていた。

 何のぬいぐるみだ? クジラだろうか?


 枕元に立って奈乃の寝顔を覗き込む。

 寝るときはメイクをしていないし髪も短い。それでも女の子に見える。


 ぬいぐるみに見守られて寝る、眠り姫だった。


 那由多が言っていたのはこれの事か……。


 黒のガラスのピアス。


 ピアスをした男の顔がちらつく。


 ……。


「柏木、起きろ」

 奈乃は目を開ける。


「羽崎ぃー」奈乃は寝ぼけた顔で俺に手を差し出す。甘えるような女の子の声だった。

 俺は奈乃の手を取った。

 奈乃は微笑んでまた目を閉じた。


「寝るな」

 奈乃は再び目を開ける。


「え? 羽崎?」目が覚めたらしい。驚いた顔をする。「何でいるの?」いつもの素の声。男にしては高いがそれでも男の声だった。


「おはよう。柏木」俺は微笑みかける。


 奈乃は顔を真っ赤にして頭から布団を被る。それでもつないでいた手は離さなかった。


「ヒドイよ、羽崎ぃー。何の準備もしてないのに……」小さい声で抗議してくる。

 メイクしていない事を言っているのか?

 いや、今はどっちだ?


「柏木の寝ぼけ顔も可愛いな」

「むー、何言ってるの。着替えるから出てって」布団の中からくぐもった声が聞こえる。その割には握った手を離さない。


「柏木、顔見せろよ」俺は布団をめくろうとする。

「ダメ」奈乃は布団をつかんで抵抗する。片手は俺の手を掴んでいるから、それほど本気で抵抗していないのだろう。


 布団をめくる。

 顔を赤らめて恥ずかしそうな奈乃が俺を見つめていた。

 そして、目を閉じてゆっくりとため息をついた。


 再び目を開けたときには、奈乃はもう恥ずかしそうではなかった。


 奈乃は上半身を起こす。

 ピンクのルームウエア。半袖だった。デザイン的に多分下は短パンだろう。これ、レディースだよな。

「はぁー」奈乃は再びため息をついた。


「那由多が部屋にあげたのか?」男の声だった。

「ああ」

「あいつ、兄への扱いがぞんざいすぎる」

「そうか?」

「羽崎が来るって聞いてないんだけど?」

「那由多ちゃんに呼び出された」

「……、なら那由多と遊んでればいいだろ」少し不機嫌そうに言う。

「俺は柏木と遊びに来た」

「……、お、そうか……」機嫌が直ったようだ。


「那由多ちゃん、柏木の帰りが遅かったって心配していたぞ」

「いや、高校生の帰りが遅いくらいが何だってんだよ。羽崎だって遅くなるときもあるだろ?」

「まあ、あるな。でも、那由多ちゃんは心配なんだろ?」

「ブラコンか?」

 んー、シスコン?


「悪い、羽崎。俺、着替えるからリビングで待っててくれ」

「ああ。適当でいいから早く降りてこい」

「ああ」


 部屋から出ようとしたが、奈乃はまだ俺の手を掴んでいる。

 少し手を引く。手を振りほどかないように。


「あ、悪い」少しバツの悪そうな表情をして、目をそらす。

 そして、諦めたように手を離した。




 居間に降りると、那由多がコンシューマーゲーム機でレースゲームをしていた。

「お姉ちゃん、もうすぐ降りてくる」

「……、もうちょっと時間かかると思います」そう言ってゲームを終わらせた。


「お姉ちゃんの朝ごはん作ります。羽崎さんは何か飲みますか?」

「ありがとう。じゃあ、コーヒーで」


 那由多が朝ごはん作り終わってもまだ奈乃は来なかった。

 一階には降りてきているらしい音がする。洗面所で顔でも洗ってるのだろう。


 那由多とゲームをする。

 しばらくしてから奈乃が居間に入ってきた。

「おはよ」

「おはよ」

「お姉ちゃん、遅い。ご飯できてるから」

「ん、ありがと」


 白のキュロットを穿いて、ピンクのキャミの上にと白の無地の半袖シャツを着ていた。暑いんだな。

 髪をポニーテールにしている。ピアスがよく見える髪型だった。


「お菓子作りましょう、羽崎さん」

 奈乃の食事の後に那由多が言った。

「いいよ。作ろう」

「お姉ちゃんも」

「えー」

「柏木、作ろう」俺が言うと奈乃はしぶしぶ立ち上がった。

 柏木姉妹? とお菓子作るのは三度目か。


 那由多は地味な白のエプロンを着ける。奈乃はピンクの可愛い花柄のエプロンを着けた。


 冷蔵庫で冷やすタイプのレアチーズケーキを作る。

 那由多が作り方を説明する。

「お姉ちゃん、一人で作れるようにちゃんと聞いて」

「……上手く作れる気がしない……」

「手を抜かずにレシピ通りしたら、そんな酷い失敗はしないよ」

「何か羽崎の方が上手……」

「羽崎さん、器用ですよね。丁寧ですし」

 クッキーをめん棒で砕いてるだけだけどね。


「今度、みんなに食べてもらおうな」

「……うん」

「今日は羽崎さんに食べてもらお?」那由多が奈乃にやる気を出させようと言葉を送る。

 いや、俺も作ってるけど。

 それでも奈乃はめんどくさそうな顔をやめた。


 那由多に教えてもらいながら、何とか奈乃はケーキを冷蔵庫に入れるところまでこぎ着けた。

 俺は、クッキーを砕いたり、チーズとバターを混ぜたりと、ちょっと手伝った。

 そして、力尽きた奈乃の代わりに洗い物をした。


「羽崎さん、お姉ちゃんを甘やかしすぎです」

 そうかも知れない。


 お昼ごはんも三人で作って、三人で食べた。奈乃は相変わらずの料理スキルだった。

 そのあと、ゲームをしてケーキが冷えるのを待つ。本当はそんなに待たなくてもいいのだが、3時のおやつにケーキをだした。


「美味しい!」

 奈乃が一口食べて目を輝かせた。

 見た目もそんなに悪くない。

 那由多は優しい目で奈乃を見ていた。


 ま、大きく失敗するよう行程は無かったけどな。


 ケーキを食べた後、那由多は、「私は自分の部屋にもどります。1時間は降りてきませんので、羽崎さん、お姉ちゃんをよろしくお願いします」といつも通りの事を言った。

「那由多ちゃんも一緒にゲームの続きやらない?」

 そう言っても、那由多は少し寂しそうに微笑んだ。


「那由多は羽崎がお気に入りなんだから、いれば?」奈乃も引き留める。

 何か言葉通りとは違う感情が見えた。

 那由多はムッとした顔をすぐに隠して部屋を出た。


「柏木、俺は柏木と遊びに来たんだけど」

「那由多と仲良しに見えたもん」奈乃が分かりやすく拗ねる。

「柏木の妹だから仲良くしてるんだろ」

「……私の事見てくれないし……」口を尖らせて、拗ねているのをアピールしてくる。


 拗ねている奈乃も可愛いんだけどな。


「……どうして何も言ってくれないの?」


 言いたくなかったからだよ!


「何で、ピアス開けたんだ?」

「似合わない?」不安そうに訊いてくる。


「そのピアス誰に買って貰ったんだ? 柏木が選んでないよな?」

 奈乃がハッとした顔をする。

「……江島くん」怒られた子供のような顔をする。

 わかってたけどな。


 左側に座っていた奈乃を少し乱暴に抱き寄せる。左手で奈乃の身体を拘束し、空いた右手で奈乃の左の耳を触る。

 黒色のガラスのピアスを掴む。


「今取ったら、穴、塞がるよな?」奈乃をにらみながら言ってみた。

 奈乃は怯えた目で、少し涙目で、俺を見てくる。


 しばらく見つめあう。


 俺はピアスから手を離し、奈乃の頭を胸に抱き寄せた。


 何で嬉しそうなんだよ……。


 奈乃はずっと俺の胸に顔を埋めていた。


「似合ってる。可愛いよ」

「うん。ありがと」



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