第10話 ジンジャーエール

 江島貴司は柏木奈乃とライブハウスに来ていた。

 誘った手前ドリンクとチャージ料を払う。高校生に二人分はきついな。


「ありがとう」

 ワンドリンクのジンジャーエールを柏木に渡す。

 始まるまで壁際で壁にもたれて待っている。


「匂いきついー」柏木がジンジャーエールを一口飲んで顔をしかめた。

「大人って感じだろ?」

「んー、大人はビールとか飲むんじゃないかなー?」

「未成年が酒飲むなよ」

「飲まないよ!」



 ライブが始まる。

 出演者は一人だけ。打ち込みだからDJブースでボッチプレイ。

 いきなり四つ打ちの重低音から始まる。


 会場が盛り上がる。拳を突き上げ、ヘッドバンキング。いや、ヘッドバンキングはやめとけ。


「どうすればいいの?!」柏木が戸惑う。ライブもハードコアも初めてなんだろう。

「好きに踊れ!」

 踊るというより、ノルが正しいか?


 柏木は両腕を上に突き上げながら飛び跳ねた。

 楽しそうに奇声を上げている。


 柏木の服装はライブに合っていた。決まったファッションは無いのだが、今日の柏木のストリート系でビビッドな感じは合っている。


 柏木の服は、白基調で原色をあしらったストリート系のジャンパー。白のショートパンツ。黒のレギンス。白のスニーカー。つばを後ろに回したベースボールキャップ。そして、束ねた髪を青のシュシュでまとめて肩から胸に垂らしていた。


 柏木みたいなビビッド系のファッションの女の子はこの手のライブには結構いる。



 MCの後にゲストが参加する。女性シンガー。


 今日のアーティストの新譜CDでゲスト参加していた。

 柏木はボーカルつきの方が好みらしい。ノリノリで飛び跳ねていた。



 ライブ後の物販で新譜CDを買う。このCDは2枚目だ。



 帰りの電車の中。ベンチシートに柏木と並んで座る。

 座席は空いているのに柏木は体をぴったり付けて座ってくる。今日一日で、柏木の距離感がやたらに近いことはわかった。


「今日の曲」俺はスマートフォンのアルバムから曲を流す。

 イヤホンの左右を一つづつ柏木とわけて聴く。

 柏木は気分よさげに体を揺らしながら鼻歌を口ずさむ。

 女性ボーカルの入った曲が気に入ったらしいので、リピートしてやった。



 駅に着いた。かなり遅い時間になっていた。

「送ってく」

「遠いからいいよ」と柏木は断ってきた。家まで20分以上かかるらしい。

「一人歩きは危ないからな」

「私は大丈夫だって」微妙な表情で言った。なんか引っかかる言い方だった。

「送るって言ってんだろ」

「あ、……うん」


 やはり柏木は流されやすい。この性格は少し心配になる。


「ねえ、イヤホン」柏木がもう一度音楽を聴きたがった。

 柏木は左側にいたのでRのイヤホンを渡す。俺はLのイヤホンを左耳に入れた。

 イヤホンの届く範囲まで近づいて歩く。少し歩きにくい。

「手をつないでもいい?」柏木が上目使いに見てくる。

「おう」左手を差し出す。

 柏木は嬉しそうに手をとった。


 街灯の少ない夜道を二人で歩く。月が明るかった。

 柏木は曲に合わせて歌を歌い出す。何度もリピートして曲を覚えたようだ。回りに人気がないのを良いことに、結構な声量で歌う。


 イヤホンから流れる歌より、柏木の歌を聴いていたいと思った。



 柏木の家に着いた。

「これ、やるよ」俺はライブハウスで買ったCDを取り出して、柏木に差し出す。

「江島くん欲しかったのでしょ?」

「いや、持ってる」柏木のために買った。

 柏木は目をぱちくりとしてからCDを受け取る。そして両手で胸の前で抱くようにして、

「ありがとう。大切にするね」と微笑んだ。

「いや、聴けよ」


「じゃあな」

「うん、バイバイ」柏木は左手でCDを胸の前に抱いたまま、右手で小さくバイバイした。


 俺は来た道を戻る。

 曲がり角で振り返った。

 柏木はまだ門のところにいた。そしてもう一度手をふった。




 月曜日の昼休みに江島貴司は2Bの教室を訪ねた。

 躊躇無く教室に入る。

 俺に気づいた奴らが息を飲んで見てくる。

 俺、結構こわがられてるよな。

 気にしないが。……ああ、気にしない。


 柏木を見つける。友達らしい男と弁当を食べていた。

「柏木」俺は声をかける。

 柏木が顔を上げる。

 柏木と一緒にいた男子も顔を上げて、驚いた顔をした。そしてひきつった表情をする。

 こわがってるのか? まあ、大体のやつがこわがるよな。


 それどころか教室中が俺を注目しているのを感じる。誰も物音をたてない。


 ここまで注目されたのは初めてか?


 俺が柏木のところに来たせいか。

 柏木は有名人らしいから。


「どうした? 江島くん?」柏木が不思議そうに訊いてくる。

「いや、……高瀬にこないだの事謝ろうと思ってな」ちょっと気恥ずかしい。

「ああ、いいんじゃないか?」

「……」

「? 行ってくれば?」

「いや、俺が一人で行ってもこわがられるだけだろ」多分そうなる。

 柏木はちょっと驚いた顔をしてから、納得した顔をした。

「そうだな。待ってて」柏木は残っている弁当を急いで食べ、片付ける。


「おい、柏木……」一緒にいた男子が不安そうに柏木を見る。

「ちょっと高瀬さんのところに行ってくる」そう微笑んで返事をしていた。


 柏木と教室からでるまでずっと注目され続けた。

 教室からでた途端に、教室内がざわついた。



 2Cの教室にはいきなり入らなかった。

 柏木が入り口で、近くにいた男子に声をかけた。

「ごめん。高瀬さん呼んで貰えないかな?」


 すぐに高瀬がやって来る。友達らしい女子もついてくる。

 高瀬はにこやかな表情をしていたが、俺がいることに気づくと硬い表情になった。

「柏木くん、何かしら?」不安そうに尋ねる。後ろの友だちも不安そうにしている。


「昼ごはん終った?」

「ええ」

「ちょっと付き合ってくれるか?」

 不安そうに俺を見てから、柏木に視線を戻して、「ええ」と答えた。


 柏木は近くの特別教室、美術室に向かった。廊下の端にあるため昼休みは人が通らない。

 美術室には入らず、教室前廊下で立ち止まる。


「高瀬さん、呼び出してごめん。江島くんがこの間の事を、謝りたいんだってさ」そう言って俺を見る。

 意外と柏木は物事をサクサク進めるやつなんだな。

「高瀬、この間は悪かったな。こわがらせるつもりは無かったんだ」それだけ言う。

「え、……ええ」高瀬は戸惑いながらも返事をした。


「高瀬さんも」次に柏木は高瀬に話を向ける。「高瀬さん、この間の返事、江島くんにして無いよね?」

 何を言い出すんだ?

 高瀬も意味を取りかねている。


「ちゃんと返事しないとダメだよ」柏木は結構きつく言った。

 ああ。弱いくせに友達のために喧嘩を売る柏木らしいな。


 高瀬は意味がわかって、俺を見る。そしてやはり怯えた表情をした。

「高瀬さん、大丈夫。江島くんはそんなに悪いやつじゃない。俺もいるから」

 この前はあっさり俺に殴り倒されてたのに、説得力あるのか?


 高瀬はしばらく迷ってから、「ごめんなさい」と言って頭を下げた。


「ああ、いいよ。ダメもとでコクっただけだから」俺はあっさりと受け入れる。意外と平気なのが自分でも驚く。


「悪かったね。これだけだから。もう行くね」柏木は手を少し上げて挨拶すると、さっさと歩き出した。

 高瀬も、会釈して見送る。

 高瀬と一緒についてきていた友人が、柏木の事を不機嫌そうに見送っていた。


 なんだこいつ?

 俺は柏木の後を追いかけた。




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