終わった幸せ
終わった世界での生活が二十日を過ぎたが、助けなんて来ていないし、生きている人間を見ることすらなくなった。
それでも俺は彼女といられるならそれでよかったけど、そんな幸せな時間も終わりが近づいているようだ。
彼女がずっと眠そうにしているだけでなく、喋り方まで緩やかになってきた。
おじさんから聞いていた死の前兆だ。
「さいきんぞんびみないね~。またせかいがかわるのかな~」
学校に向かう途中、隣に並ぶ彼女が緩んだ笑顔を向けてきた。
「そうなのかな?この世界の神は君だから、俺にはわからないな」
たまたま通学路に現れなくなっただけで、ゾンビは今でもその辺を彷徨いているが、あくまでこの現実は彼女の妄想でなければいけないから、俺はわからないふりをした。
「ん〜、つぎはどんなせかいかな〜」
ずっとにへらと楽しそうに笑っている彼女のペースに合わせて学校に向かう。
本人はいつも通り歩いているつもりなのだろうけど、異常なほどにゆっくりだ。でも、こんなゆったりとした二人だけの時間も俺にとっては幸せな時間だからかまわない。
一緒にいられる時間が残り少ないからこそ、この時間を大事にしたい。
「今日は帰ってご飯食べたらちょっと出かけようか」
「だったらたまにはごはんもそとでたべようよ~」
それはまずい。さすがにそれは再現できない。
彼女は病気を患ってから、あまり外出したがらなかったから、彼女から提案されるのは予想外だった。
「珍しいね。どこか行きたいところでもあるの?」
「きみといっしょならどこでもいい~」
自分の頬が緩むのを感じた。
たったこれだけのことなのに、嬉しいと思ってしまったのだから仕方ない。だけど、やっぱり外食はなしだ。
「じゃあ、俺の手料理をごちそうしてあげよう」
「きみってりょうりできたっけ~?」
「最近両親とも帰りが遅いから、毎日ご飯を作ってるんだよ。だからそこそこまともなのを出せると思う」
両親は死んでしまったし、こんな世界では外食も出来ないから、自分で作るしかなかっただけなんだが、そのおかげで最近はまともなものを作れていると思う。
「そこはおいしいものっていおうよ~。でもきみのりょうりをたべられるのはたのしみだな~。やくそくだからね~。ぜったいだよ~」
まさか喜んでもらえるとは思わなかったけど、結果オーライだな。
普段十五分ほどの通学路を一時間近くかけて学校に到着し、まっすぐ保健室へと向かった。
彼女を見ると、ただ歩いただけなのにかなり疲れているようにも見える。それでもずっと笑顔でいようとする彼女が愛しくて仕方がない。
「おは……せんせいはまだきてないみたいだね~」
どうやら彼女の妄想内の先生は保健室にはいないようだ。
「そうだね。勉強してたらそのうち来るでしょ」
「ん~。きょうはからだがだるいからすこしねさせてもらおうとおもったんだけどな〜」
やっぱり疲れていたみたいだ。
彼女の病気は死ぬまで生活は送れると聞いていたけど、そもそも発症した人が少ないのだから、日常生活すら送れなくなる可能性もあるのだろう。
明日からは自宅学習にした方がいいかもしれない。
「具合が悪いなら寝てた方がいいよ。先生には後で俺からいっておくから」
「ありがと~。そうするね~」
彼女はにへらと笑ってからベッドへ向かった。
「水いる?」
「ほしいな~」
ベッドのとこまで行っていた彼女に声をかけたら、彼女が振り向いて戻ってこようとした。
「持っていくから横になってなよ」
「ごめんね。ありがと~」
彼女は申し訳なさそうにしながらも、上履きを脱いでベッドに乗り、ゆっくりと横になった。
彼女が横になったのを確認してから、水筒の水を用意し、彼女のベッドへと持っていった。
「飲める?」
「ありがと~。きみはいつもやさしいね~」
「そんなことないよ」
「……そんなきみがだいすきだよ」
ずっと想い続け、それと同時にずっといわれたいと思っていた言葉なのに、嬉しさよりも悲しさで涙が出そうだった。
きっと彼女に残された時間はもうわずかなのだとわかってしまったから。
どうにかしたくても病院は機能していないし、市販の薬に効果がありそうなものなんてないだろう。
だから俺はせめて彼女が不安にならないように日常を装うことしかできない。例えそれが偽りで、俺のエゴでしかないとわかっていても。
「俺も大好きだよ」
今までずっといえなかった言葉がなぜかすんなりと出てきた。もしかしたら、泣かないように意識がいっていたから、恥ずかしいとか思う余裕がなかったのかもしれない。
「じゃあいまからわたしたちはこいびとだね~。もっとかおみせて~」
付き合うということが今までなかったから、これでいいのかわからないけど、少なくとも俺たちは両想いなのだと知れただけでも俺は満足だ。
そんな満たされた気持ちで、彼女にいわれるがままに近づくと、弱々しい彼女の両手に頭を引き寄せられた。そして、俺はされるがままに彼女の唇に唇を重ねた。
キスが初めてだった俺はどうしていいのかわからず、息を止めて固まった。
そろそろ苦しいと思ったところで彼女は両手の力を緩めたから顔を離すと、少し頬が赤くなっている彼女の笑顔が目の前にあり、俺は急に羞恥心を思い出したかのように顔が熱くなった。
「えへへ~。ありがと~。わたしはしあわせだからね。おやすみ~」
彼女は一人満足したように満面の笑みを向けてから毛布を被って顔を隠した。
こっちはいまだにパニクっているというのに、本当に自由なやつだ。でも、彼女が毛布を被ったことで俺の真っ赤になっているであろう顔が見られないのは良かったかもしれない。
しばらくして俺の心が落ち着いた頃には、彼女は寝息をたてていた。
毛布を少しだけめくって、彼女の寝顔を見る。
こんなに可愛い寝顔をしている女の子が俺の彼女だとみんなに自慢したいが、そのみんなが既に誰もいない。
それなのに悲しいとも思っていない俺の心は世界が終わるのと同時に壊れていたのかもしれないな。
壊れてくれていたからこそ、こんな世界で生きていけているんだと思えば、案外いいことなのかもしれない。でも、壊れるのは俺だけでいい。
彼女には最後まで幸せでいてほしい。そして、その笑顔で俺を幸せでいさせてほしい。
あと何日の猶予があるかはわからないけど、残りの時間で思い出をいっぱい作ろうと思う。
互いに幸せな気持ちであの世に向かえるように。
だから、この日常が偽りであることを、最後まで君は知らなくていい。
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