終わった日常
世界が終わって二週間が経ったけど、助けはきていない。そんな状況でも保健室登校を続けているのは、彼女に日常を送ってほしいという俺のエゴだ。
この辺で一番大きなスーパーを占領していた怖い顔のおじさんがいなくなっていたおかげで食料の問題も解決したし、あと一ヶ月は偽りの日常を続けられるだろう。ただ、野菜や生肉がもう手に入らないから、あと十日もせずにバレる可能性はあるけれど、生きていくだけなら大丈夫だ。
「今日は保健室の先生は休みなのかな?」
教科書とにらめっこしながら勉強していた彼女が不意に質問してきた。
保健室の先生どころか、世界が終わってから学校内では一度も人を見ていない。学校外では何人か見たけど、そういえば三日前くらいから誰も見なくなったな。
「そういえば今日は来てないね。この時間まで来てないってことは休みなんだろうね」
俺は彼女に話を合わせた。なぜなら彼女はいつも通りの日常という妄想を現実だと勘違いしてくれているから。
「じゃあ今日はサボろうよ」
彼女が手足を伸ばしながら机に伏した。
そんなちょっとした行動が可愛くて仕方がない。
「ダメだよ。もうすぐ帰れるんだから、頑張ろう」
「君は真面目だなぁ」
「普通だよ」
彼女は唇を尖らせながら保健室の窓から校庭を眺めた。
彼女にはどこかのクラスが体育の授業をしているようにでも見えているのだろう。
「こんな勉強意味あるのかな」
突然の彼女の呟きに心臓が跳ね上がった。もしかして妄想が見えなくなって現実に気づいてしまったか?
彼女は毎日妄想を見ているわけではない。
世界が終わる一ヶ月前くらいから頻度が上がってはいたけれど、それでも毎日ではなく、現実と妄想が混ざるときもあれば正常なときもある。
「どうして?」
「だってこんな病気じゃ私は高校にはいけないからさ、勉強って意味あるのかなって思っちゃった」
そういうことか。でも、そう思うのも無理ないだろう。そもそも高校生まで生きていられるかすらわからないのだから。でも、彼女がそんな弱音を吐くなんて珍しい。
「俺は意味はあると思うよ。苦痛な勉強を我慢して続けられれば、今後勉強以外のことで何か厳しい状況になっても頑張ることが出来るだろうし」
「それって勉強内容がじゃなくて苦行に耐えることに意味があるってことだよね?でも面白いからその考えもらうね」
彼女は何が面白かったのか笑い出した。
「好きに使ってくれていいから、残りの課題も頑張ろう」
「おー」
彼女はやる気があるのかないのか微妙な返事をしてから、再び教科書とにらめっこを始めた。そして俺はそんな彼女を眺める仕事へと戻った。
学校は電気が止まってしまっているから、午前授業ということにして、昼前には帰って自宅学習ということにしている。普通なら疑問に思われるだろうけど、やる気のない彼女のおかげで、今のところは大丈夫そうだ。
給食を偽装なんて俺には出来ないから助かる。あとは曇りや雨で教室内が暗くならないことを祈るばかりだ。
今日も無意味な勉強を終え、彼女と一緒に家へと帰る。
今までは途中でスーパーに寄ることもあったけど、この前行ったら店内に腐臭が漂っていたから、そのときまとめて拝借した。だからしばらくは行く必要がない。
「前方に敵発見」
彼女が進行方向を指さしながらいってきた。もちろん俺にも見えているけど、この現実はあくまで彼女の妄想でなくてはならない。
「正確な位置を教えてくれたまえ」
「あそことあそこ」
俺がせっかく口調を合わせたというのに台無しだ。まあ今みたいに指で示してくれた方がわかりやすいのは確かだけどさ。
「それなら先制攻撃だ」
俺はそういいながら、最近常に携帯している金属バットを背中のバットケースから取り出して走り出した。俺が先に行かないと、彼女が空想の武器で向かいかねないからだ。
俺が先に向かえば彼女は空想の弓で援護に回るから安全だ。
ゾンビまであと三歩のところで、何体ものゾンビを葬ったことで凸凹になっている金属バットを持ち上げ、力の限り振り下ろす。
一体目のゾンビの頭が割れ、ゴポリと血が溢れ出す。
最初の頃のゾンビたちは頭を叩き割ると勢い良く赤い血が吹き出したけど、最近は赤黒い血がドクドクと溢れるように流れるだけだ。そしてそんな様子を見ても、おかげで服が汚れなくなったから助かるくらいにしか思わなくなっていた。
近づいたことで俺に気づいたもう一体のゾンビの顔がぐるりと動いてこちらを向いた。
俺はその顔めがけて、バットを思いっきり振り上げた。
当たりどころが悪かったのか、バットを持つ手が少し痺れた。
何度も何体もゾンビを殴り倒したせいで、マメが出来ては潰れてを繰り返して固くなってきてはいるけれど、まだ痛みが引いていないからバットの握りが甘かったのかもしれない。
「二体撃破」
「やったね。私も一発当てられたよ」
どうやら彼女の弓も当たっていたらしい。さすがに彼女の妄想は俺には見えない。
「凄いじゃん。弓は使い始めたばかりなのに当てられるなんて」
「でしょ。でももっと上手くならないとね。たまに君に掠っちゃうことがあるし」
「こんな世界で君の攻撃で死ねるなら本望だよ」
「私が嫌だよ」
俺は半分本心だけど、彼女の弓で死ぬことが出来ないのはわかっている。
彼女は俺が自分の妄想に付き合ってくれているだけだと思ったようで微笑んだから、俺もそんな彼女に微笑み返した。
こうして終わった世界でも彼女がいれば、偽りの日常を幸せに過ごすことが出来る。
こんな絶望的な世界でさえ、彼女を独り占め出来ていることに喜びを感じている。
俺の本性がこんなに醜いということを彼女が知ったらどう思うだろうか。
離れていってしまうだろうか。
それとも唯一の友人を手放したくないからと許容してくれるだろうか。
どちらにしても君の無邪気な笑顔は見られなくなってしまうだろう。
だから俺の醜い欲望のことなんて、君は知らなくていい。
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