花火の結晶

  ̄― ̄― ̄― ̄―


 二十一時を周った。あれから私たちは点滴を捨てて、院の正面から堂々と脱出、夏色に染まった水田を通り越し、何十年前かの八月に閉鎖されたという中学校の廃校へやって来た。

 道中、広げた畳を何個も並べて置いてみたような水田の真上に、良く晴れた華火はなびが藍空いっぱいに打ち上げられ、はじけて消えてゆく。いつもより賑やかな繁華街の様子が遠目に確認できた。太鼓の重い音も聞こえる。最後まで私たちの脱走劇が誰かに見つかることは無かった。

 廃校の階段を上り、踊り場からだって華火がすごく良く見える。

 ――そうだったそうだった、年内最後の夏祭りが今日だった。

 数十年に渡って放置されている衛生状態はおおよそ想像通りで、壁という壁そこらじゅうに派手な落書きがなされており、壊れた電灯スイッチの導線が露出し、栄養ドリンクの空き缶には変な虫がいている。冷えきった空気も寒いくらいだ。悪い面だけじゃなかったけれどね。


 最上階、四階、終わりの知れない廊下。

 廊下でも何処どこにでも窓さえあれば、泡沫うたかたのように儚く奥深い影を、華火はつくっていた。その華火の結晶をべる私と零の暗い影が伸びている。

 随分と長い間、打ち上がっていた。まだまだ終了の気配すら無い。

「司さん」並んで歩いていた零が足を止める。「うん?」

華火はなびって何色だい? 僕には見えないよ。 」

 沈黙が流れる。そんなことをかれたのは初めてだった。私の目は皿のようになっていたと思う。しかし、零の眼の色は真剣で、懇願こんがんするように返答を伺っている。

「そりゃあ、みどりとかあおとか色々――、って?」

「正しくは『虚無』の色が見える。」

虚無きよむ?」

 虚無の色。どんなモノだろうか。初めて耳にする色名だ。

 黒髪の青年は顎に手を当て、考える素振りをしながら云った。

「――透明とうめいだよ。華火というのは空高く昇り、やがてはじけて消滅するだろう? あの時、僕には透明な火華ヒバナが散っているように見えるんだ。」

 云い終わると私に背を向けて、壊れた人形のようにぎこちなく足を半歩踏み出した。やるせない結果になると解っているけれど、それでも自分の意思を貫き通すという、複雑な感情を語る背中だった。その隠された意味は、この時の私にはだ判らなかった。何も解っていないから、私は言ってしまった。

「それは、華火の結晶だと思う」

 自分でも何を言っているのか判らなかった。こぼれ落ちるように言葉が出たんだ。

 黒髪の青年は体を振り向かせ、キョトンと放心状態。――急いで両手で口を覆うと、桜の花びらを頬に浮かべて、ゆるゆると遠慮がちに笑った。

「面白いことうね、華火はなびの結晶かい? やっぱり君は個性的だ。」

 零が笑うところは本当に初めて見たかも。というか零も笑顔になったりするんだな。そりゃあそうか。なんだか私も楽しい気持ちになった。彼の人間らしさを知れた事だろうか。

 気づいたら一緒に笑っていた。何を思ったか零よりも大袈裟に、子どものように。

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