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深夜は深夜の風が吹く

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 其の夜、とある片田舎の道路を独り歩く者が居た。


 ――こちら、コードネーム『れい』。病棟付近に到着。


 暑い八月なつの日の夜、三十一日という熱風を身にまとう。

 時刻は午後九時前。夏とえども、夜のくせに熱くて仕方が無い。風も無い。

 翠。翠。翠。どこを見渡しても夜に包まれた暗い翠色ばかり。

 こんな草木にまみれた片田舎に僅かな数だけ設置されている街灯なんかは、いつからか故障してチカチカと翠色に瞬くようになった。充分な舗装が行き届かず廃れた道路を何キロか歩く。この時間は車も眠っているようで、夜の更け始めから今まで一度たりとも見かけていない。じわじわと不安を煽られる闇の中、辿り着いた場所は実の父親が経営する大学病院。

 ――やるべき作業タスクは病室で。失敗はしない。

 コードネーム『零』は与えられた任務に対して強靭な責任感を有す。持って生れた気質だが、今回は特に集中力を注いでいた。

 高校一年生。市内に構える某大学病院長の息子。

 れ以外、彼に結び付けられる情報は皆無である。誰も知らないのである。


 ――こちら、コードネーム『れい』。病棟に到着。


 病院の自動ドアを潜った零は思わず、その細い目をより一層細めた。

 数十分の間、闇を進んできた彼にとって突然の電灯が明る過ぎたのだ。

 黒髪に黒パーカー、カラスのような漆黒のスラックスと闇色のマスク。どこからどう見ても黑一色。よく目立つ。電灯がとどこおらない程良く明るい環境とは対照的で、の類の服装ファッションは暗闇と一体化できる。

 彼は受付まで全く慣れた足取りで直進し、控えめながら人の良さげな笑顔を作ると、壮年の男性事務員へそっと話しかけた。

「どうも、こんばんは。――僕はこういう者です」

「今晩は如何どういったご要件で――」

「父に招かれまして。部屋を訪ねて構いませんか?」

 左様で御座ございますか、と云い終ると事務員はれいに学生証を返却し、院長に確認の伝言を入れた。

 零は受付の前へたたずみ思考する。二十三時というが沈みに沈んだときに呼び出された事ではない。普段、仕事ばかりでほぼ病院に住んでしまっているような父と珍しく連絡を交わした事でもない。単に、面白かったのだ。熱中症にかかった友人が大学病院に入院して、医療費を支払いたくないの青年は院外へ脱走しようと零に助けを試みた。当然の事ながら今までそんなことを依頼してくる知り合いは居なかったし、そこまでの自信や行動力を持つ友人と巡り会えたのだと大変嬉しく思った。だから引き受けた。通常なら任務遂行時に感情移入する事は無い。疲れているのかもしれない。そんな気がする。

「えー……、日架懈ひかげ れいさまで御座いますね」

 壮年の事務員は少々困り果てて白い眉毛を下げた。零が顎に拳を当て大真面目に考え込む仕草のまま指一本ピクリとも動かないのだ。再び声掛けをしてみても気が付かない。待ちかねた事務員が肩を叩く。

「――あっ。すみません。」

 コードネーム『零』は考え事から意識を戻す。壮年の事務員から、病院の巧妙鍵マスタアキイを受け取った。院長の許可を得たのだ。

 零の実の父親である院長は興味を引く対象に熱中している間、他のあるゆる事象に注意を向けることを苦手とし、それは零に対しても例外でない。零でさえ病院に閉じこもっている彼の姿を殆ど見たことが無いので、そこで何をしているかさっぱり見当つかない。だが慣れている。その放置気味の距離感がちょうど心地良いとさえ感じる。

 母親は幼い頃に死んだ。死因は知らない。どうでも良い。

 銀色に輝く巧妙鍵を無くさないようしっかりと手中に収め、父の居場所でなく――神影かみかげ つかさの病室まで向かった。


 ――こちら、コードネーム『零』。鍵の入手に成功。

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