一章

>>1

炎天下の白昼夢

 ジージリジリジリ ミンミンミンミー

 蝉の怒号で叩き起こされた。晴天。雲一つ存在せぬ。退屈そうな時計の指針は、現在時刻が午前十時三十分である事を皆の衆に知らせた。

 日常が非日常へ変わり始めたのは、この日からだ。

 私は公園のベンチの上でぼうっと彼方を見つめていた。

 暑い。あまりの暑さに溶解ようかいするわ。今年の最高気温は何度だろうか?

 そういえば――、岩に体当たりされて死ぬ夢を観た気がする。忘れたけど。

 なんだか、やけに蝉の声が近いなと思ったら、彼は悠々ゆうゆうと私の顔面に張り付いて偉そうに求婚中だった。何だこいつ。手で振り払う。


『嗚呼、なんてお空はお美しいのでしょう、如何どうして時計は便利でしょう――。』私の自問自答は実に愚問である。何故なら先程の蝉の彼、私の顔面の上で求婚どころか、おしっこをかけていった。


 今日、八月三十一日。かやましい蝉たちの求婚を直近にして、どういう訳か幽鬱な気持ちになった。

 今日、八月三十一日。それはすなわち、夏休み最終日。嗚呼! どうしてときってやつは、私の前を何倍も速く駆けてゆくのだろうかっ!

 私は公園の一角に設置された長椅子ベンチから、重たい腰を上げた。

 暑くて熱くてたまったものじゃないね――。

 ジリジリと肩に食い込む蒸し暑さ。首筋に伝わり流れてゆく汗が喉のくぼみに溜まったのを手ではじく。飲料の自販機のボタンを押す指でさえ、グッショリと汗ばんでいる。

 私の名は、つかさよわい十八。天涯孤独。高校一年生。

 両親に先立たれ、身寄りもなく、バイトを掛け持ちして学費や生活費をまかなっておりましたが、今度は出席日数が足らず浪人する事態ことに。トホホ。

 つい先日、何か月も家賃を滞納した挙句、とうとうアパートから追い出されてしまったので、こうして公園で野宿しているという経緯いきさつであります。皆様、ご迷惑をおかけしまして申し訳ございません。マジで。

「あー――……」

 意味のない独白ひとりごと。この先どうして良いか判らないという深い溜息。

 飲み干して空になったペットボトルが爽快な音と共に潰れる。

 所持金、七百円。

 このまま野垂れ死にするか。

 それとも公園を不法占拠している罪で刑務所行き?

 どちらの道を歩むのも絶対にお断りだね。退屈も痛みもありとあらゆる苦痛が嫌いだよ。ゆえに出来れば避けて通りたい。君もそうでしょう?

「あー……、ああ…………。ああああ」

 暇だ。暇よ。お先真っ暗――、私はどうすればい――――。


 ……。………。…………、!


 私の脳裏に、とある一つのひらめきが駆け抜けた。炎天下にさいなまれる私にしては素晴らしく冴え冴えしたアイデアではないか! 私ってば天才!


 司のアイデアリスト

 ・店長に内緒でバイト先に宿泊する。

 ・友人の家に泊めてもらう。

 ・見ず知らずの他人の家に忍び込む。

 ・わざと罪を犯し、刑務所で楽しく暮らす。


 駄目じゃないか。私。いくら退屈だからって、道徳を踏み外してはいけないよ。駄目じゃないか。私。

 それから項目二について触れよう。親友と呼べる友人は一人。たった一人と捉えるか、一人いるから充分だと捉えるか。私の二つ年下の同級生である。しかし、彼のご両親に頭を下げてお願いするのかい?

「家賃滞納のし過ぎで追い出されたから泊めてください」などと抜かすのかい?

 ……。先程までの私よ、残念ながら、どれも実行は不可能に等しい。発言を撤回したまえ司くん。


  ̄- ̄- ̄- ̄-


 その間、私は心ここにあらずとった感じで、思考停止させた無駄な時間を、ただひたすらに公園で過ごしていた。

 何やら透明な耳栓でもしたかのように無音の世界を彷徨さまよっていると、おそらく私だけの映像――、白昼夢はくちゅうむを観た。


 炎天下、青空を入道雲を見上げて氷菓子アイスクリームを食べる映像。

 花火大会へ遊びに行った映像。あれ?


 遠い夏の日、実際に経験しなかったっけ。あの日は確か友人と。――気のせい。


 蝉の求婚が一キロ先のように遠く聞こえた。

 ははっ、結婚だなんて、今の私には関係ないし。

 何もしたくない。気力が沸き上がらない。体が重い。先刻とは程遠い無気力な感情。プールで泳いだ後のような心地好さ。私は退屈を楽しんでいるらしい。それに加えて何時いつもより空が高く――。

 ぐるぐると揺らめく視界を遮ったのは、一人の巨人だった。

「お兄ちゃんだれ?たくさん汗かいてるよ」巨人は少女のような幼い声で云う。顔は逆光の所為せいでよく判らない。

 ――巨人って本当に居るんだ。初めて見た。これから信じよう。

 おかあさーん、と彼女が声を張り上げ、母親らしき女性(巨人)が走って急接近してくる。僕のことなんか放っておけ。

 女性たちが私を取り囲んでいる状況。ああ。何だこれ――。

 本当に、何だこれ――――。

 世の中、意外と捨てたものじゃなかっ―——

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