第36話

 (※ナターシャ視点)


 その悲劇は、何の前触れもなくやってきた。


 アーノルドが出かけて、屋敷には私以外、誰もいない時のことだった。


 ノックもなしに、部屋の扉が開いた。

 最初は、アーノルドが帰ってきたのかと思った。

 しかし、彼は出掛けて来たばかりで、まだ帰ってくるには時間がかかる。

 部屋に入ってきたのは、アーノルドではなかった。


 部屋に入ってきたのは、強盗だった。


「え……」


 あまりに突然のことで、私はそれ以上言葉が続かなかった。

 

「おい、金目の物を出せ! そうしないと、どうなるかわかるよな?」


 入ってきた強盗は、一人だった。

 被り物をしているので、顔はわからない。

 彼の手には、ナイフが握られている。

 それを見ただけで、私は恐ろしくなって震えていた。


「あ、あの、私は、この屋敷に住まわせてもらっている者なの。お金がどこにあるかは、わからないわ」


 私のその声は、小さく震えていた。


「なんだと?」


 彼が、こちらを睨んできた。

 そのせいで、さらに恐怖を感じた。


「本当よ! お金は金庫にあるかもしれないけど、金庫の場所なんてわからないし、暗証番号もわからないわ! お願いだから、殺さないで!」


「騒ぐな! 外に聞こえたらどうするんだ。大きな声を出すな」


 彼がナイフを見せながら言った。


「わ、わかったわ。何でも言うことを聞くから……、お願い、殺さないで」


「安心しろ、妙な真似をしなければ、殺すつもりはない。どこかに、金目の物はないか?」


「そういえば、一階にある小さな壺が、高価なものだったと思うわ」


「どれのことだ? 案内しろ」


「わかったわ」


 私はベッドから立ち上がろうとした。

 しかし、そこで気付いた。


 立ち上がったらだめだ。

 体が治っていると、バレてしまう。

 たとえ強盗であっても、体が動くところを見せるわけにはいかない。


「あ、あの、私、ずっと長い間、体が思うように動かないの。案内なんてできないわ。言葉で説明するから、それでいいでしょう?」


「いや、だめだ」


 彼が、低い声で言った。

 私は身体に、悪寒が走った。


「そうやって嘘をついて、おれがこの部屋からいなくなったら、助けを呼びに行くつもりなんだろう?」


「そ、そんなことしないわ。本当に、体が動かないの」

 

 私は必死に訴えた。

 体が動かないのは嘘だけど、その姿を見られるわけにはいかない。


「おい、下手な嘘は止せ」


 彼がナイフを構えて、こちらに迫ってきた。


「壺があるところに案内しろ。無駄な抵抗はするな。そうすれば、殺しはしない。だから、手間を取らせるな」


 彼の目は、本気だった。

 私の言うことが嘘だと、本気で思っている。

 まあ、事実嘘なのだけれど、でも、私が普通に動いているところを見られるわけにはいかない。

 でも、壺のところまで案内しないと、私は彼に殺されてしまう。


 私はいったい、どうすればいいの……。

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