ある時期を通り過ぎる

鈴木松尾

ある時期を通り過ぎる

 黙ってピアスを開けた、と母さんは父さんに言っていたのが聞こえた。チクった。父さんはなんて言い方でなんて言うのか、聞き耳を立てることにした。


 夕ご飯を食べる前、母さんは実夏ちゃんの二つずつ開いたピアスの穴をついに見つけてしまった。母さんは「なんで開けたの」「いつ開けたの、なんで黙ってたの」「なんで開けていいって思ったの」という言い方だったから、それじゃあ何を答えても正解がない。実夏ちゃん、どうするんだろう?って思いながら、横目でダイニングテーブルの方を見ることにした。

 実夏ちゃんはほとんど黙っていた。母さんがひとしきり叱責した後「外しなさい」と言って、実夏ちゃんはピアスを丁寧に外した。「次のテストで学年二十位以内に入るからピアスは許して欲しい」と言って、多分、自分の部屋に行った。「夕ご飯は?」って母さんが叫んでいたけど、実夏ちゃんは答えず、それでボクが部屋まで持って行く事になった。ノックするとき「実夏ちゃん」って呼びたくないんだよな、と思ったのが顔に出て、母さんは「たまには手伝ってくれてもいいでしょ」と八つ当たりされた。

 父さんが帰宅してから母さんの密告を聞くと父さんは「そうか」と言って「それできみは実夏になんて言ったの?」と聞いていた。母さんはなんで相談もせずに開けたのか、一連の追求を説明していたけど、聞いている内に開けた事に怒っている訳ではないんだな、と思った。「きみは実夏のピアスがイヤだったんだね」と父さんは言っていた。母さんは「そんなのんびりしたこと言わないで」と詰め寄った言い方をして、「じゃあピアスをしても変な菌が入らない対策を一緒に検索しよう」ってゆっくりした感じで言い返していた。

 免許の事も怒られないかも知れない。でも原付を買ったら怒るだろうな。まだ貯まってないけど。話すとしても母さんには言わないで父さんに言う、ということに決められただけでもこの聞き耳の価値はあった。父さんがダメって言ったら、言うことを聞けるかというと聞けないけど。じゃあどうしたいのかというと分からなくなる。原付を買えたとして隠したまま乗っても、これでどこでも色んな所に行ける、っていう感じを満喫できる気はしない。

 実夏ちゃんはあれからひと言もしゃべらなくなった。挨拶も無視。ボクとはするけど母さんには無視。ご飯を食べてもすぐ部屋に戻る。そうして二週間ぐらい過ぎたときに母さんがキレた。朝、登校する前、実夏ちゃんが朝ご飯を食べて部屋に戻って着替えているとき、母さんが二階に上がって来て、実夏ちゃんの部屋の壁を殴っていた。なんでなんにもしゃべんないんだよ、と言って何度も壁を殴り、気は晴れていないだろうけど、実夏ちゃんの反応を待たずに階段を降りて行った。ボクは部屋から出づらかったけど、実夏ちゃんより先に出た。その日、実夏ちゃんがいつ部屋を出たのか分からない。21時ぐらいに帰って来て、母さんが「夕ご飯は?」と言うと「食べて来たけど、少しだから明日の朝、たくさん食べる」って言ってすぐ部屋に入ってしまった。

 父さんにはリストカットの跡がある。ボクらが小学生の頃、家族で真鶴で夏に開かれる船のお祭りに行った。旅館の温泉から上がって男湯ののれんを出た所で、すぐ前のイスに座ってボーッとしていた実夏ちゃんが、父さんを見つけてすぐ「この傷は何?」と聞いていて初めて傷の跡があるのを知った。父さんは「死のうとしていたことがあるんだよ」と言った。旅館に着いてすぐ買ったご当地Tシャツをその手首の先、手の平に乗せていた。父さんは宿泊する部屋に旅行カバンを置くとすぐにそのTシャツに着替えて、早くお祭りに行こうとみんなを煽っていた。宿を出るまでに「もう神輿が海に入る」と五十回ぐらい言っていた。その旅行はボクの誕生日祝いも兼ねていたのに、旅を満喫していたのはきっと父さんだったと思う。家族の中で何かあるとそのときの旅行のことを思い出す。実夏ちゃんも多分そうなのかも知れない。

 次の日から実夏ちゃんがピアスをしていても母さんは「学校で注意されないの?」とか「痛みとかそういうのは?」とか「なんで付けたいの?」とか聞いてはいた。原付欲しいって言えるタイミングかも知れない。実夏ちゃんは「注意されないし」「痛くないし」「みんなが付けてるから付けたかったの」と言って「似合ってるでしょ」と機嫌が良かった。クリスマスはきっと本命と会うんだろう。ボクは年賀状の配達バイトで原付に乗れるところを探して、普通のご飯を食べて終わるだろうな。


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ある時期を通り過ぎる 鈴木松尾 @nishimura-hir0yukl

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