収穫祭10日前
1日目PM
1日目 1 宿の主と来客
野ウサギと木漏れ日亭。
人通りのまばらな場所にあり、大きな補修跡がいくつも見える年季の入った安宿だ。
飾られているのは雨風に晒されて古ぼけた木製の
すっかり薄くなってしまった手書きのヘンテコ顔のウサギが情緒を醸し出す。
売れてなさそう? ……フン、余計なお世話だ。
野ウサギ。
木漏れ日。
連想するのは和やか、暖か。春っぽさじゃないか?
オレだけか?
『旅人が雪で閉ざされた峠の開通を春まで待てるように。
雪融けを待ちわびながら引き返すことなく、凍えず、過ごせるように。
そしてまたいつでも安心して帰ってこれるように――』
普段はふざけた奴だが――。
その真っ直ぐな瞳と横顔は覚えている。
だからオレは、今日も不在のそいつに代わって旅人を出迎える。
だりぃけどな……。
◇
眠気を誘う静かな晩秋の昼下がり。
陽に焼け色褪せている古びた木製の扉が、耳障りな軋む音を立てる。
一瞬目をやると、逆光で顔は見えないが人影が中に入ってくる。
一緒に吹き込む風は肌がささくれるような、もう冬のそれだ。
扉の異音からするにそろそろ修理の頃合いか。
油を注すだけじゃもたないだろうな。
前回直したのはいつだったか、雪が降る前にはやらないとな……。
そんなことを考えながら、オレは宿の受付カウンターの内側から客を見定める。
仰々しく出迎えなんて、やってたまるか。
ほっといても泊まりたいやつが泊まるのが宿ってもんだ。
特にここは。
ここらでは見かけない、旅をしているには小綺麗な格好のアンタ。
恐る恐る入ってくる、その姿に向けて
「……いらっしゃい」
と仕方なく声をかける。
抑揚無く、できるだけ静かに――。
◇
ここはとある国のとある地方。
宗教と文化の都市「聖都」と政治、経済の中枢都市「王都」。
二つを結ぶ街道沿いの宿場街から、少しはずれたところ。
峠の麓、「精霊の森」の近く。
「野ウサギと木漏れ日亭」という小さな宿屋。
今、宿場街は一〇日後に収穫祭を控えて、徐々に賑わいはじめている。
二つの都を結ぶ中継点という土地柄、国の各地、国外から様々な人や収穫物が集う。
一年で最も街が活気にあふれる時期だ。この宿を除いて。
――ん? ああ、オレか? オレは宿屋のオヤジだ。
こうしてカウンターに鎮座し一歩も動かず客が近づいてくるのを待って話しかける。
「見ない顔だな。はじめてか?」
まっすぐこちらを見て向かってくる整った顔が頷く。
しかし。
男か……? 女か……?
人の顔をおぼえるのは得意じゃないがそれでも覚えてしまいそうだ。
アンタみたいな身ぎれいな人はウチの客にはなかなかいないからな。
「やっぱりそうか……。だりぃな」
オレは短く刈り上げた後頭部を右手で掻きながらそう呟く。
だいたい誰もがきょとんとする。
アンタも例外じゃない。
客を歓迎しない宿屋ってのが問題なのは分かってるさ。
だが、「ようこそいらっしゃいました!」なんて出迎えるのは性に合わない。
でもって常連がほとんどだから、ツテの無い新顔ってのは苦手なんだよな。
説明が長くめんどくせぇ……。
紹介で来てくれれば、勝手を知った奴に丸投げできるのになぁ……。
というわけでこういう対応だ。
客からしたら迷惑極まりない。
用も無く入ってくるはずないよな……。
はぁ、とため息を一つ。
悪いがオレは働くのが嫌いだ。
面倒ごとが嫌いだ。
だからできるだけ働かなくていいようにこの小さい古びた宿屋で働いている。
――まぁ他にも理由はあるが……それは今は関係のない話だ。
ここなら仕事は多くない。
それでも客が来たら――それも新顔となると面倒くささが態度に出ちまう。
それで客を逃すことも少なくないんだが……。
幸か不幸か、あんたは残った。
「そこの紙に必要事項を書いてくれ」
残ってしまったら仕方ない。
満室でもない限り断らない。
稼ぎもいるからな……と自分に言い聞かせる。
カウンターの端、オレの指したほうにある粗末な紙とペン立て。
薄い灰色の羽根をあしらった羽根ペンを手に取り、アンタは紙に記されている項目を上から順に書いていく。
身なりからアンタなら字が書けるだろうと判断したオレの勘、アタリだ。
育ちによっては書けないやつもいる。
それはまた面倒なことになるが今回は無事に回避。
アンタが書いているのは「宿泊者カード」。
魔法がこめられていて、記入された内容が加盟しているギルドの情報と勝手に連携する。
記載のある所属団体に登録が無いと、ひとりでに燃え消し炭になる。
指名手配犯やら、何かあった場合に即座に所属ギルドへ連絡がいくらしい。
――原理は知らん。
ああ、「ギルド」ってのは冒険者や職人のような同業者が集まって作る団体だな。
一応うちも商人ギルドの宿屋部門所属だ。
個人個人が好き勝手やるより、まとまったほうが管理に都合がいいってことらしい。
このカードが普及したおかげで、ギルドは誰がどこにいるか知ることができる。
客はギルドに迷惑かけられないから、変な事はしにくい。
双方にとってありがたいものだと言える。
……一般的には。
中には馬鹿なやつもいるから困ったもんだが。
それでも身元が分かればまだいい。
ギルドに所属していないやつもいる。
ここはどこだと、記憶がないとか。
よくわからんことをいうやつもいる。
身元の分からない奴は十中八九トラブルの元だ。
基本的にそういう奴は受け入れない……といいたいところだが。
野垂れ死にされても夢見が悪い。
大きいところほど身元がはっきりしなきゃ入れてくれないからな。
うちのように小さい宿があぶれたやつらの受け入れ先ってわけだ。
……いや、規模の問題じゃないな。受け入れるのは此処を作った奴の理念だな。
もちろんあからさまに怪しいやつは断るが……。
宿屋だけに、
……笑っとけ。
アンタは書き終えたようで、羽根ペンはペン立てに戻しほんのり黄色がかった「宿泊者カード」をオレに差し出した。
その手は白くほっそりしていて指は長く、爪の手入れはきちんとされている。
きれいな手してんなぁ……。
なんて見とれそうになったのを我に返って紙を受け取り、中身に目を通す。
「……ずいぶん遠いところからきたんだな。それも一人旅か」
所属ギルドの地名を見て感想がもれる。
書かれていたのは、滅多に目にしない地方の町の名。
昔寄ったことがある、懐かしい地名。
あんな辺境から一人で来るってことは、見かけによらず腕が立つってか。
余計なことに巻き込まれないよう、普段は客の情報には言及しないようにしている。
ところが、不思議と今日は口にしてしまった。
アンタは静かに微笑むだけだ。
人畜無害そうな中性的な顔立ち。
その裏側では様子を探られているのかもしれない。
しかし無垢さを感じるその瞳を見ると疑っているのが恥ずかしくなる。
――やめたやめた。
「部屋は一階のそこを入った一番手前だ。人の出入りで多少音が聞こえるが、その分安くしている。いいか?」
そう説明をするオレにアンタはうなずく。
「まず、これが部屋の鍵。失くさないよう。風呂場は向こうの奥に入ったところだ。今日の掃除はもう終わっているからいつでも入れる。あと、食事が必要なら日没までに知らせてくれ。それから――」
設備について説明をする。
これがまただりぃ。
いつも言うことは同じだから、何も考えなくても言えるんだが……。
とにかくかったるい。
「――とまぁ、こんなところだ。わかんねぇことがあったら聞いてくれ。じゃあごゆっくり――」
そう言い、とオレは宿泊者カードを専用の紙受けの針に刺す。
やれやれ。一仕事終わりっと。
この紙受けが各ギルドと繋がっていて、こうして針に刺すことで情報が行き渡る仕組みらしい。
考えたやつ天才かよ。そんなことを考えると顔がニヤけてくる。
「……?」
いつまでもカウンターの向こうに気配がある。
気になってオレは顔をあげると、アンタはそこにいた。もうとっくに歩き出していてもいいのに。
「……ど、どうした? まだ何かあるか?」
取り繕うようにどもりながら尋ねる。若干上ずった。
ニヤついた顔を見られたか……?
独り言言ってないよな……?
いきなり変な奴認定は勘弁だぞ……。
オレの言葉に答えようとアンタが口を開き、声を出そうとした。
そのとき――。
大砲の発射音のような爆音が響き入り口の扉が乱暴に開け放たれる。
「ただいまっ!!」
苛立ちを含んだよく通る高音だが、その雑な言動から声の主の不機嫌さを予測する。
勢いで扉が外れてしまうんじゃないかと若干心臓の鼓動が早くなる。
あー……、うるさいのがおかえりだ。
そろそろだと思っていたが今日か……。
オレの平穏な日々はしばらくお預けだ。
アンタは大きな音に目を見開き、さっき自分が入ってきたほうを振り向いていた。
現れたのはアンタと同年代くらいの少女。
顎のラインで切りそろえた緋色の髪。
髪と同じ色の大きくくりっとした瞳。
申し訳程度に着けている皮の胸当ての下は
丈が短くヘソが出ている。
下半身は、脚線美を惜しげもなく見せるショートパンツ。
その上から交差させ二重に撒きつけられたベルト。
いくつもの宝石が散りばめられたきらびやかな二振りの短剣が、簡素な服装とは不釣り合いな豪奢な鞘に納まり括りつけられている。
足は革製ブーツ。手には同じく革製の手甲。
真夏ですかと突っ込みたくなるほど肌を露わにした軽装。
それを補うのは背中に纏った
背中に着けているだけで、毛皮を着こんでいる並の温かさを感じるという不思議な品だ。
わかりやすく頬を膨らませ、不機嫌であろう少女が大股でのしのしと入ってくる。
あまり強く踏まれると床板が抜けないか心配なんだが……。
今は言ってはいけない。
「あー、おかえり~」
こう機嫌が悪いと面倒だ。
目も合わせず書き物しているふりで気の無い返事をする。
……だりぃな。
右手で後頭部を掻きながら、オレは誰にも聞こえないように呟いた。
……はずだった。
ぷっ
アンタが吹き出した。
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