第4話 わたくしは

 意外にも、通されたのは謁見の間ではなく、国王の執務室の方だった。

 公的な場所ではあるが、長方形の机を挟んであちらとこちら。

 謁見の間で対峙するよりもよほど距離は近い。


 飾りけのない室内は書棚で囲まれ、机上には書類が散らばっている。

 わたくしを不要と断じた父ではあったが、国政に関する手腕は疑ったことはなかった。


「グレイリーデが御前に参りましたわ、国王陛下」


 深く礼をして顔を上げると、わたくしによく似た碧眼の男と目が合った。

 かつて陽光と讃えられた金の髪は、既に大半が白銀に変わってしまっていたけれど。


「……よく来てくれたな、グレイリーデ嬢」

「あなたのお情けで生きている臣民ですもの。お呼び出しがありましたら、来ない訳にはいきませんでしょう」


 皮肉な声色になったのは、怒りのためでも憎しみのためでもない。

 ただ、冷ややかな口調から、わたくしの意図を汲んでほしいという願いのためだ。


 王家に戻りたいなんて、わたくしは全然思っていない。

 今更国なんて背負わされても困るのだ。


 眼差しにその意思を込めてじっと見上げると、国王は苦笑し顎先で椅子を指した。


「座りなさい、グレイリーデ。話は長くなる」

「手短にお願いしたいところですが」

「お前が黙って頷けば、それで話は終わるがね」

「では座らせていただきますわ」


 わたくしが腰かけるのを待って、国王は握っていた書類を手から離した。


「さて、どうやら君は王女に戻るのが嫌だと駄々をこねているようだが」

「ええ、駄々だってこねますわ。なにせわたくしの人生がかかっておりますので」

「お前ひとりの人生と、国と、どっちが大事だと思っている?」

「わたくしの人生でしょう」


 ここまで言えば、まさかわたくしを王位継承者に指名する愚は犯さないはず。

 そう思っていた目論見は、しかし、国王の一言で砕けた。


「悪かったな、言い直そう。お前ひとりの人生と、お前ひとりの人生に国を足したものとどちらが大事だ?」

「……どういうことです」


 問い返したわたくしに、国王はこともなげに答える。


「お前が私の後を継がなければ、この国は隣国に呑まれる。そして、その時はけしてそう先ではない」


 国王は白髪混じりの自分の金髪を撫でてから、わたくしを――いいえ、わたくしを透かして更に向こうをぼんやりと眺めながら呟いた。


「現在の王位継承権第一位は誰かわかるか」

「お母さまとわたくしは放棄しておりますから……お父さまのご兄弟、はおりませんわね」

「私の父母ももう亡くなっている。母方の従妹は存命だが、私と同世代だからな。天国に召されるのもどっちが早いかと言ったところさ」

「あらまあ……それは困りましたね、では」


 今はいないとしても、いざとなれば誰かが担ぎ出されるだろう。玉座にはそれだけの魅力がある。

 そう告げて席を立とうとしたが、国王は構わず話を続けた。


「後は、父方の遠縁に隣国の王がいるな」

「隣国の……王?」

「従妹殿とどっちが近いか難しいところだ。私が死ねば、間違いなく名乗りを上げるだろう」

「つまり、この王国が隣国に吸収される、と?」

「向こうはそれを狙ってくる、という話だ」


 中腰の姿勢で王の話を聞いていることに気付き、わたくしは不承不承腰を下ろした。


「……で、わたくしにどうしろと」

「特にどうとも。事実を述べているだけだ」


 王が死ねば隣国の王が立つ。この国はなくなる。

 この国がなくなれば――わたくしも今のままではいられない。


「新たな王は、まずお前を狙うだろうな。考え得る方法はいくつかあるが、いずれにせよお前は今のままではいられまい」

「脅しですか?」

「言っているだろう、事実だ」


 淡々と述べるその表情は、だが、明らかに愉悦に近い感情を湛えていた。

 これでわたくしが思う通りに動くだろうという期待のために。


「予言しよう、わが娘よ。お前は必ず王位を継ぐ。そうせねば、この国では生き抜けないからだ」


 わたくしは今度こそ立ち上がり、王の前を辞した。

 王は、引き止めなかった。お母さまの――離婚した妻の近況を尋ねることすらせぬままに。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 国王の考えは正しい。わたくしは選ぶしかない。


 人気のない昼間の娼館、広間に一人立ちすくむ。

 いつの間にかカイヤが、後ろに立っていることにも気づかないままで。


「レディグレイ」

「……わたくしになにか用?」

「いえ、ずいぶん沈んでいらっしゃるようなので」

「そう? そんなことは……あ、いえ。そうね、沈んでいる、のかしら」


 顔を上げると、らしくなくカイヤが心配そうな表情をしているのが目に入った。


「陛下に会われたと聞きましたが……」

「それを聞いて気遣ってくれたの? 大丈夫、落ち込んでいる訳ではないの。ただ、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまったってだけだから」

「馬鹿馬鹿しい?」

「成長して一人前の女になったつもりで、自由になったつもりで、そんなの全然自由なんてものないんだなって思っただけ……」


 いつまで経っても、結局わたくしはあの頃のままだ。

 ありのままのわたくしではない理想の子として望まれ、父母のまなざしに怯えるだけの、幼い頃のまま。


「最初から、男だったらよかったのかしら。あなたはどう思う、カイヤ?」

「ではあなたは、僕が女だったらよかったと思いますか?」


 頬にかかる髪をかき上げて、カイヤはじっとわたくしを見つめた。

 わたくしは目をぱちくりとまたたかせ、即座に首を振る。


「いいえ、全然。だってあなたが男だからこそ、ラッツベリー卿はあなたをごひいきになるのだし」

「ではきっと、あなたが女であるからこそ得られるものもあるのでしょう、レディグレイ」


 優しい指がわたくしの髪をすいて、するりと抜けていった。

 わたくしはそっと目を細め――そして、思わず目を見開いた。


 そう、気づいてしまった。

 わたくしは、女だったのだ。

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