第3話 工作
グリザリエン娼館は今宵も盛況だ。
財務を担当するローヴァー卿が、わたくしの姿を見つけて席を立つ。
わたくしは彼の肩に手を置き、座るのを促してから、自分も隣に腰かけた。
宝石と金銀の指輪にうずもれた短い指がわたくしの腿に置かれる。ぴしゃりとそれを叩いても、なんだか嬉しそうに手を引くのだから、可愛い人だ。
挨拶と世間話に混ぜながら、今日一番の爆弾を投下することにした。
「それでね、ローヴァー卿。どうやらわたくしを宮殿へ戻そうとする人たちがいるらしいのだけど」
「ほう、レディグレイを宮殿へ。それは……この国にとって大いなる人材と機会の損失なのでは」
他人からは皮肉めいた言葉に聞こえたかもしれない。
だが、ローヴァー卿にその意図がないことをわたくしは知っていた。
「そうでしょう? ここからわたくしがいなくなってグリザリエン娼館がなくなってしまったら」
「まったく困るね! いや、もちろんあなたがそうしたいと言うなら、わしとしては力を貸すにやぶさかではないのだが」
「わたくしが王家に戻りたいと思う?」
「一切思わないな!」
はっは、と腹を揺らして笑うローヴァー卿のお腹を気安い調子で叩いてから、わたくしはひっそりと囁いた。
「それに、もしもわたくしが王家に戻ったら、きっとわたくしの代で財政を破綻させるわよ」
「おお、怖いな。レディグレイならやりかねん」
言葉もそぶりも冗談半分のままだったが、ローヴァー卿の顔に一瞬本気の警戒が走ったのが見えた。
外見からは享楽的で楽観的、ルーズな人物に見えるようだが、実は彼が自分の職務に関わることにはひどく真剣であることをわたくしは知っている。
そのまなざしの変化を見て、自分の雑談をしばらく続けた後、わたくしは次の席へと移った。
カリングリア王権伯領卿が、男らしい大きな手を振ってわたくしを呼んでいる。
彼に与えられた爵位は名誉職と言ってもいい、内容の伴わないものだ。本人は全く気にしていない――どころか、喜んでいるのだが。
経済的にはローヴァー卿に遠く及ばないはずだが、着慣れた上着は贅肉のない逞しい身体にしっかりとなじんでいて、男ぶりはむしろ上に見える。
「レディグレイ。やあ、今日も見事な装いだ。今年はどうやら赤が流行りそうだね、あなたが着こなす姿が宮廷でも噂になっているよ」
「あら、嬉しいわ。卿もいつも素敵ですこと。そのベルト、新調されたのかしら」
「前のが傷んできたのでね。あなたのように、夜会の度に一そろい新しいものを仕立てることはできないが」
「似合っていらっしゃるもの。それに、わたくしが男の方に求めるのは服より服の中身の方よ。知っているくせに」
指をついと動かして胸元を突くと、王権伯領卿は精悍な頬を緩めた。
軍人上がりの彼は、鍛えた身体を褒められるのがなにより好きだ。
そして、実際に褒めるに値するだけの見事な体躯をしている。
「今夜は私のところに来てくれるのかな、レディグレイ。それを期待して来たのだけど」
「あら、あなたのお好みはもう少し華奢なタイプでしょう。お世辞は無用よ、王権伯領卿。……この前の娘は、お気に召さなかった?」
「わたくしの方は、女性に体系よりも中身を求める方でね。気負わず話せる相手がいいよ、あなたのような」
指先でわたくしの顎を持ち上げて見つめてくる。
こういうことができる人だから、どんな娘でもだいたい娘の方は困らないのだけど……今日はそんな気分なのかもしれない。
承諾の証に、わたくしは王権伯領卿の腕に自分の腕を絡ませた。
もちろん、寝台の中でおねだりをするつもりで。
王権伯領卿は噂に敏感だ。聞く方も、広める方も。
わたくしに秘密の打診があった話なんて、きっと面白がって広めてくれるはずだろう。
正式な話が決定する前に噂が広まれば……そう、こんなナイーブな話はすぐに立ち消えになるに違いない。
わたくしの微笑みをどうとったのか、王権伯領卿は目元を緩ませて顔を近づけてきた。
わたくしはその唇を指先で留めてから、奥の寝室を目で指し示した。
たっぷりの媚びと期待に満ちたわたくしの目が、王権伯領卿の瞳に反射して映っていた。
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実際、わたくしの工作はうまく進んだ。ある程度までは。
国王がわたくしの復権を口にした途端、ローヴァー財務卿は財政を理由に反対の意向を示してくれた。
そもそもゴシップの多いわたくしには敵も多い。王権伯領卿から事前に話を聞いていた人々の多くは、やはりとうなずき合って眉をひそめた。
国王の権力は絶大だが、絶対ではない。
圧倒的な反対を押してまで、わたくしを王女に戻すことは不可能だ。
数の力で押し切れそうに思えたところ――わたくしのもとに届いたのは、国王からの召喚令状だった。
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