第2話 国王の遣い
国王の――わたくしのお父さまからの遣いが来たのは、ある日の昼間のことだった。
お父さま――いいえ、やはりそんな呼び方はできないわ。頭の中ですら敬称をつけるなんてしゃくだし、単に国王と呼びましょう。
国王からの手紙には、簡素な数行の文章が書かれているだけだった。
「……つまり、陛下はわたくしを王家に戻したいとおっしゃっている、ということ?」
困惑しながら遣いに目をやったが、彼の表情は変わらなかった。
「私には陛下のお考えはわかりませんので、お手紙に書かれていることがすべてでございます」
「今更、わたくしが王位継承者に戻ったところで何もできませんよ」
「私には陛下のお考えはわかりませんので……」
オウムのように同じ言葉を繰り返すようになったので、わたくしは黙って手を振って下がるように示した。
一礼して下がる遣いを見送ると、入れ替わるように母が入ってきた。
「グレイリーデ! 今の遣いはどういうこと! まさか、あなたの素行を見かねて注意に来たんじゃ……」
「逆ですわ、お母さま」
苦笑しつつ、わたくしは頭の中で可能性をひとつ消去した。
どうやら、お母さまの差し金ではないらしい。
「逆とはどういうこと、グレイ」
「わたくしに王位継承権を戻したいとの仰せです。陛下にわたくし以外のお子がいないのは存じていますが、さすがに寂しくなってきたのかしら」
「何を言うの、あなたは――」
目を見開いた母が、怒涛の如くわたくしを説得にかかる。
その必死な声色を聞き流しながら、わたくしは、さてどうやってこの件を断るかと考え始めていた。
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大司官であるラッツベリー卿は、実は女性という存在が苦手である。
公職にあるときは、そのようなそぶりはちらりとも見せないが。
だから、グリザリエン娼館にいる間、わたくしは彼には近寄らないようにしている。
わたくしも自分を偽るのは嫌だし、大司官だって楽しい時間を過ごしたくて来ているのだから。
代わりに彼に侍るのは、娼館の店員一号であるカイヤという青年だ。
大司官は彼がお気に入りで、いつも彼を指名する。
今夜も個室へ通された大司官の隣には、凛々しく着飾ったカイヤが座った。
程なく二人は奥の寝室へ向かい、大司官は朝方まだ人目のない時間に帰っていく。
長く続いている関係だが、その間にカイヤ経由でわたくしが得た情報はかなり多い。
よく晴れた朝。
小鳥の鳴き声と爽やかな風に包まれ、中庭のテーブルで朝食をとるわたくしの前に、少し頬のこけた顔でカイヤが席につく。
今朝も大司官を見送った後らしい。
「どうやら、昨今、国王陛下は男性機能の低下に悩んでおいでのようですね」
「作る気力がなくなった訳じゃなくて、作る体力がなくなったって訳ね」
「……赤裸々な物言いは上流階級の淑女には不似合いですよ」
眉をひそめたカイヤに、わたくしは片目を閉じて見せた。
自分自身は男娼と呼ばれる身の割に、カイヤはこういうところにうるさい。
元が上流階級の出だから、真面目なのだろう。まあ、そういうところが大司官に愛されているのかもしれないが。
「赤裸々な欲望で、王位継承権を剥奪したり与え直したりしている国王よりはマシでしょう?」
「僕には現王権の批判をする気はありませんよ」
「それに巻き込まれる可哀想なわたくしに同情する気は?」
「同情はしていません」
「あら、悲しい」
「とはいえ、あなたのことが嫌いなら、こんなに長く働いていませんよ、僕は」
「あら、嬉しい」
泣きまねの後に笑顔を見せると、カイヤは深いため息をついた。
「……面白いと思っちゃうんですよね、こういう人なのに」
「わたくしもあなたのこと面白いと思うわよ。男の人が好きな訳でもないのに、どうして男娼なんてしているのかしらって」
「あなたも同じでしょう?」
一瞬言葉に詰まったわたくしに、カイヤは意地の悪い笑顔を見せる。
「好きじゃなくとも、誰かに好かれることが好きなんだ。愛情に飢えているんでね」
「そういうのって、普通自分で言わないんじゃないかしら」
「自分で言わないのは自分で分かっていないからだ。分かってやっている方が向いているでしょう?」
「そうね、わたくしたち向いているのね、この仕事」
お互いに目を合わせ笑い合ってから、わたくしは気持ちを切り替えて立ち上がった。
驚いた小鳥が一斉に羽ばたいて青空へと向かっていく。
その風がスカートの裾を小さく乱すのを、カイヤはまだ微笑みの残滓を頬に残して見守っていた。
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