レディグレイの娼館
狼子 由
第1話 グリザリエンの娼館
生まれ落ちた瞬間から、失敗だった。
王子だったらよかったのにと、明に暗に言われた。
もちろんわたくしは強いから、そんなことで傷ついたりしないわ。
どうせなら、男だったら絶対できないことをしようと思ったくらいだし。
女だからできること――そう。
たとえば、娼婦になる、とか。
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華やかな酒席には、今日もいつもの面々が並んでいる。
長テーブルの一番奥で恰幅のよい腹を揺すって笑っているのは、現財務卿で司教でもあるローヴァー卿。
両側には、長い金髪を派手に巻き上げた娘を二人侍らせている。
どちらも最近お気に入りの娘であるから、ローヴァー卿は上機嫌にワインを重ねているようだ。ここは任せておいてよさそう。
紗のカーテンがかかった個室には、並んでもたれかかる男が二人。
影はぼやけて顔は見えない。だが、わたくしは知っている。
奥は大司官のラッツベリー卿。
手前は彼が長く寵愛する、グリザリエン娼館の看板店員だ。彼らの時間を、今は邪魔するタイミングではない。
長テーブルのこちら側に、カリングリア王権伯領卿。
わたくしが入室したことに最初に気付いて軽く手を振っている。
横にいるのは彼好みの華奢な娘だが、初めての相手なので話が弾んでいないのかもしれない。
そちらに足を向けると、王権伯領卿の笑顔があからさまに緩んだ。
「レディグレイ。やあ、今日も麗しい。その赤のドレス、あなたの碧の瞳と黄金の髪によくお似合いだね」
「王権伯領卿、いらっしゃい。あなたも素敵だわ。楽しんでいらっしゃる?」
ルージュで綺麗にととのえた唇を歪め、わたくしはワイングラスを軽く掲げた。
王権伯領卿がグラスを合わせると、澄んだ音が響く。
宮廷の宴席であれば許されないマナーも、ここでは自由。
酔って羽目を外すのも、取り揃えられた娘や青年、少年少女たちと騒ぐのも。
そして、奥の個室で一夜を共にするのも。
王都の一角、王家から与えられたグリザリエン城中にありながら、元王女の名の下に安全に遊べる場所として、わたくしの娼館は無事に繫盛している。
元王女――そう、元、であっても、王女の名には力がある。
始めた時は成功するなんて思っていなかった。
ただ、母の年金以外に、自分の収入が欲しかっただけだったのだけど。
わたくしの娼館――娼館と言っても、城内の一室を改装したものだ。
グリザリエン城の名をそのまま取って、グリザリエンの娼館と呼ばれている。
奥の間から向こうはわたくしたちの居室であり、元王妃である母が、王から離縁金代わりに貰った城の中。
あくまでもこれは私的な宴である――というのが、表面上の言い訳だ。
まあ、顧客からお金を取って一夜を買わせているのだから、やっぱり娼館な訳だけれど。
そろそろこの城だけでは手狭になってきたから、いずれはどこかに二軒目を出してもいいかもしれない。
さて、資金と人手はどのくらい必要かと脳内で計算しながら、いつもの顧客と順に挨拶を交わしていく。
名の知れた紳士方は、それぞれに店員たちを侍らせながら、わたくしへの称賛の言葉を紡いだ。
おかげで楽しい時間を過ごせている、とご満悦だ。
彼らも満足、わたくしも満足。互いにいい関係。
華やかな室内でさざめく男女の声に、当然、遠くから甲高い喚き声が混じった。
「グレイ、グレイリーデ……! どこにいるの」
母の声だ。
わたくしは談笑相手との会話を切り上げ、奥の間へと足を進める。
予想通り、髪を振り乱した母が、ちょうど廊下の向こうに姿を現したところだった。
「――グレイ! また宴だなんて……どういうこと、私はやめてちょうだいと言ったはずだけど」
「やめませんわと言ったはずですけど、お母さま」
にこやかに言い返したが、ぎろりと睨みつけられた。
幼い頃は、恐怖と絶望を感じたその冷たい視線も、今やわたくしの行動を止めることはできない。
社交界を辞して長い母が、今もこうして名士たちと夜の付き合いを続けているわたくしに敵うはずがないのだから。
美貌の王妃と称えられていた母は、結局、わたくし以外の子を孕むことができなかった。
円満な離婚の代わりに多額の年金と宮殿の外にある城を与えられ、諾々とその言葉に従った。
もちろん、今後の争いのないように自分とわたくしの王位継承権を放棄する旨の署名の上で。
わたくしからすれば、一度結婚しただけで死ぬまで気楽に暮らせる保障を得た訳で、なかなかやり手だったんじゃないかしら、とも思える。
だけど母は、長く自分の生き方に不満があったらしい。
折に触れ、わたくしが男だったらよかったのにと繰り返した。
「仮にも王の唯一の子が、夜な夜な怪しげな遊びをしているなんて。王都でどれほど噂になっていると思っているの?」
悲鳴じみた母の声にも、わたくしの笑顔は揺るがなかった。
「あら、今になってようやくお母さまのお耳に入ったの? 王都ではもう三年も前からわたくしの娼館の噂で持ちきりですわ。今年の流行は、きっとこの真紅のドレスになるわね」
「グレイリーデ! 世が世なら、あなたは次期王位継承者だったのよ!? それが……」
「でも、そんな世は来ませんでしたし、これからも来ないわ。来なくて構わないの。だって、今のままでわたくし、十分に楽しいですから」
わたくしは控えていたメイドに目で合図した。
メイドはやや乱暴に、母の手を取る。
「奥様、どうぞお部屋へお戻りください。そろそろ夜も更けてまいりましたので」
「メイド如きが主人に触れるなど――無礼な! すぐに解雇してやってもいいのよ」
「残念ね、お母さま。その子の主人は、わたくしなの。執事に言っても無駄よ、彼は誰のお財布から自分の給金が払われているか、よく知っているわ」
いとけない少女の頃のように、顔の横で小さく手を振ってやる。
そんなわたくしを最後に一度睨みつけてから、母は寝室へ引き上げていった。
――さあ、夜が始まる。わたくしの夜だ。
男だったらできないことを、存分にしようじゃない?
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