第9話 魔法使いの正体
万里は目を点にして、魔法使いを凝視する。
何の冗談か、と思ったが魔法使いは万里と目が合うと、含みのない微笑を浮かべた。その笑顔はとても冗談に言っているようには見えなかった。
「マリ嬢を迎えに? 彼女はこの国で生きることが決定している」
「あら、私はこの子を他国に迎えるとは言っていないわよ」
「ではどこに連れて行こうと」
スターリーが親の仇をみているような目つきで、魔法使いを睨め付けている。凄みがある顔だが、そんなスターリーに怯むどころか
「連れて行くんじゃないの。連れて帰るの」
「は?」
スターリーが素っ
「君はこの国の者ではないのか?」
「そうと言えるわね」
「だがこの学園に留学生はいないはずだが」
「あ、さっき言わなかった私の肩書きなんだけど」
唐突にその話になり、スターリーは虚を突かれたような顔になる。
ペースに飲まれているなぁ、と急な展開に理解が追いつかなくて万里は自分に関することだというのに対岸の火事のことのようにそれを見ていた。
我に返ったスターリーが何か言う前に、魔法使いは片手でそれを制する。
「アナタに名乗るほど安い名前ではないから、私の仕事だけ教えてあげる」
魔法使いが一歩足を出す。カツンっとヒールの甲高い音が会場に響き渡った。
腕を組み、妖しく笑いながら魔法使いは告げた。
「私は、異世界遭難者管理課に属する者。異世界に流れ着いてしまった地球人の遭難者を救助、及び管理することがお仕事」
え、と万里は小さく声を上げる。
(地球人、地球人って言った!!)
職業の名前は聞いたことがないが、名前で察することができる。そして告げられた仕事の内容を、頭の中で反芻して歓喜で心が震えた。
詳しく訊きたいのに、胸が高鳴って言葉が出てこない。パクパクと口を開け閉めしていると、魔法使いはさらに続けて言った。
「ここ最近、地球人、ああ、私と西園寺万里の世界の住人の総称ね。地球人が異世界に転移しちゃったり、管轄外である異世界に転生しちゃったりする事故が多発していてね。それを危惧した私の上司が急遽立ち上げた課なんだけど、そのお仕事の一環でここにいるわけ」
「そんな、マリはそんなこと一言も」
「要は秘密結社のお仕事なんだから、一般人である西園寺万里が知るわけがないわ。こちらは魔法とか魔術とか、そういった人知を超えた力というのかしら。そんなのは創作物の中でしか存在しない、それよりも科学を信じるっていうのが普通になっているしね」
信じられない、というより信じたくないのか。すっかり威勢をなくし、そんな馬鹿な、と血の気の引いた顔で小さく呟いている。
「あ、ああ、あああああの!!」
そんなスターリーを気にせず、万里ははやる鼓動を抑えながら魔法使いに詰め寄る。
「なにかしら?」
魔法使いが振り返り、万里に柔らかい笑みを向ける。先程までスターリーに向けていた笑みとは違う温かみのある笑みに、スターリーと話しているときの笑顔は貼り付けていただけだったのだと気が付いた。
気が付いたところで、諦めていた願いが叶うかもしれないという希望の前では霞む。
「つ、つまりわたし、帰れるんですか!?」
「ええ、アナタは合格したから、ね」
魔法使いが頷く。
帰れる。故郷に、家族の許に、恋人の許に帰れる。ずっと望んでいた願いが叶えられる。
へなへなとその場に座り込む。エムロードが焦った様子で、万里の傍に駆け寄り屈んだ。
「大丈夫ですか?」
「ええ、安心して力が……」
張り詰めていたものが抜けて、腰が抜けてしまった。そこで万里は、自分が思っていた以上に虚勢を張っていて、そうすることしか経っていられなかったことを自覚した。
「良かったな、マリ嬢」
「本当によかった」
公爵とエムロードの兄が涙ぐみながら言う。
込み上がる歓喜で涙が溢れそうで、返事をすることが難しく、その代わりに頷いた。
「そんなの……そんなの認めない!」
「認めないってなにを? もしかして西園寺万里が帰ることを?」
魔法使いは冷ややかな目でスターリーを一瞥した。
「西園寺万里が帰ろうが残ろうが、それは西園寺万里の自由よ。私は選択肢を与えているけれど、アナタと違って強制はしないわ。それを止める権利は、神にもないわ」
「だが、彼女は!」
「相手にもされていないのに何縋っているの? 最初からアナタに脈がないんだから、潔く諦めなさい」
魔法使いの冷たい声色に圧されてか、スターリーは口を噤んだ。
「さて、と」
魔法使いが再び万里の方に振り向く。
「答えは分かりきっているけど、西園寺万里。アナタはどうするの? 居場所もできつつあるみたいだけど、帰る?」
居場所。万里はエムロードを見る。
エムロードは優しく微笑む、小さく頷く。公爵とエムロードの兄のほうにも視線を向ける。二人もエムロードと同じように、小さく頷いて微笑んだ。
「帰ります、いいえ、帰りたいです」
「それじゃ今すぐ帰りましょうか」
「今すぐ!?」
確かにとっととスターリーから逃げたいと言ったが、それでもあまりの急展開だ。
驚愕の声を上げると、魔法使いは悪戯っ子のような笑みを浮かべ、こてっと首を傾げる。
「善は急げっていうでしょう?」
「で、でも、お世話になった人に挨拶を」
「これがその間になにもやらかさないと思っている?」
これ、と魔法使いが指したのはスターリーだった。そう言われると、前科もあるためぐぅの音も言えなくなる。
「魔法使い殿の言うとおりだ。母上と使用人たちには話しておくから、気にしないで帰りなさい」
「陛下たちに言っておこう。なに、こういう事情だ。マリ嬢に対して怒るほど器量狭くない」
公爵とエムロードの兄が背中を押す。
「寂しいですが、私も賛成ですわ。貴女の大切な人たちは一刻も早く、貴女に会いたいと思っているに違いありません。その人達に元気な姿を見せに早く帰りなさいな」
「エムロード様」
「それに早く殿下から離れた方がいいですわ。魔法使い様の仰るとおり、殿下が次は何を仕出かすか分かったものではありません。殿下のことも含めた後始末は私たちに任せて。短い間でしたが、貴女と過ごせてとても楽しかった。どうかお元気で」
万里の肩にエムロードの手が添えられる。万里はゆっくりと立ち上がり、公爵たちに対して頭を下げた。
「皆様、ありがとうございました。帰れないと言われて、死にたくなったけれど、皆様のおかげで立ち直り、こうして今日を迎えられることができました。このご恩はあちらに帰っても忘れません」
「私たちも楽しかったよ。君のことは忘れない」
「どうか元気で。私たちもここから君の幸せを祈っているよ」
「本当に……ありがとうございました」
もう一度お礼を言って、ふと周りを見渡す。
周囲の人たちは皆、ポカンとした顔のまま硬直していた。その中には万里を虐めていた令嬢もいた。
(嫌いだったけど、いざ帰れるって思うと感慨深いなぁ)
色々とされたがあの顔を見れただけでも、胸が少しだけスッとした。
「私が最初に言ったこととはいえ、本人の前でズタズタな発言をするとはね。よっぽど鬱憤が溜まっていたのね」
しみじみとした声に振り返り、万里は苦笑した。
「公爵家の方々には、本当に色々と助けて頂いたので」
「想像できるわね、その内容が」
魔法使いはスターリーを一瞥して、ふんっと鼻で笑った。鼻で笑われたスターリーは、顔を痙攣させていたが何も言ってこない。
「そういえばさっき、合格がどうのこうの言っていましたが、不合格もあったんですか?」
「キチガイを連れ戻したいと思う?」
「あ、思わないです」
実に分かりやすい理由に納得する。
スターリーや虐めてきた令嬢が異世界に行ってしまい、もし自分が魔法使いと同じ立場だったら連れ戻すのにかなり
万里はそこまで優しくないのだ。
「そういうのを含めて助けるべきだって上から目線の輩がいるけどまあ、そういうキチガイは帰りたくても帰れない可能性が高いから、どうこう言われる筋合いはないけど」
「そうなんですか?」
「私単体だったら地球に帰ることも、異世界を行き来するのもそんなに苦労しないんだけど、アナタみたいな一般人は
「えにし?」
あまり聞き慣れない言葉だ。けれど、縁結びの縁と書いて、仏語だということは頭の隅の方に記憶していた。
「アナタに帰ってきてほしい、会いたい。アナタと縁が深い人ほどそう願うし、愛しているから頭の中から離れない。そんな強い想いを使って、地球への道を開くんだけど、キチガイって基本嫌われ者でしょう? むしろ二度と帰ってくるなって大勢に思われるから、キチガイが帰せと喚こうが帰れるほどの強い縁がないから地球への道は開かない場合が多いのよ」
「はへぇ。そういうシステムなんですね」
機械ではなくそういう人智の超える力で地球に帰るのか、と呆けていたがよくよく考えてみれば、魔法使いは今までそういう力を使っていた。むしろ機械で帰るということになれば、それはそれでおかしいのかもしれない、と思い直す。
「ま、アナタの場合だと地球に帰れる分の強い縁が一人で賄っちゃったから複数人は必要なかったけど」
「強い縁?」
万里は考える。
魔法使いの話を簡単に言えば、万里に「会いたい」「帰ってきてほしい」と強く想ってくれる人がいれば地球への道は開ける。
説明から察するに、それは複数人いなくてもいい。要は想いの数ではなく想いの量の問題であり、その量が満たされたら道は開かれる、ということなのだろうか。
「もしかしてその一人っておと、父ですか?」
万里の父は過保護だ。万里は覚えていないが、父の不注意で万里を危険な目に遭わせたことがあるらしく、それがトラウマになっていて、以来万里を過度に心配するようになったらしい。
周りも引くくらいの過保護な父以上に、自分を心配する人はいない。
「アナタの父親は確かに過保護ね。けれど、その過保護はトラウマによるものだから、純粋に心配しているっていうのはちょっと違うわ。どちらにせよ心配しているのには変わりないけど」
「よく分かりませんが、純粋じゃないとカウントされないのですか?」
「カウントされるけど、なんていえばいいのかしら? 後ろめたさがある心配と、心の底からの心配の差……というべきかしら? トラウマがあるとないとでは温度差が違うというか、何かが違うというか。心配の種類が違う? ダメね、人間の価値観ってよく分からないから、それ以上は上手く言えないわ」
「では、父とは別の方向で心配してくれる人がいるということですか?」
「そうね」
肯定したので、万里はまた考える。といっても、他に思い当たるのは母くらいしかいない。母も父ほどでもないが、心配性なのだ。
「言っておくけど、母親でもないわよ」
見透かされた物言いに、万里はキョトンとなる。そんな万里を見て、魔法使いはやれやれと肩をすくめた。
「咄嗟に両親が思い浮かぶのは親の心を知ってて良いことだけど、もう一人心当たりあるでしょ? さすがに彼がちょっとだけ可哀想ね」
彼。
それを聞いて、まさか、と思った。
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