第5話 エスコートと舞踏会

 予定通り、万里はエムロードの屋敷に一時的だが引っ越した。スターリーが見送りに行きたがっていたらしいが、陛下が仕事を与えたので来ることはなかった。


 スターリーの顔を見たくないので有り難いが、その分彼が焦って何か仕出かすのではないかと心配になる。それなら一度くらい顔を見せたほうがいいかなと思うが、やはり会ってしまうと恨みつらみを吐き出しそうなので黙ることにした。


 エムロードの屋敷は王城よりも快適だった。スターリーと出くわすことがないので、張り詰めていた緊張感が解ける。


 使用人も万里に親切だった。平民になったときの暮らしを今のうちに学ばせるようにとエムロードの指示があっても、嫌な顔をしなかった。台所の使い方やゴミの出し方など生活を送る際に必要な情報はもちろん、城下町の散策も付き合ってくれて、分からないことがあれば一つ一つ丁寧に教えてくれた。


 城下町の散策はたまにエムロードも一緒についてきた。例のドレスを仕立てるために学園と王妃教育がない日だけだったが、それでもエムロードとの買い物は心が躍った。


 あれ可愛い、これ似合いそう、と友達、時々姉妹のような、そんな会話をしながら時間を忘れて楽しんだ。


 そんな万里とエムロードを見て、エムロードの兄も「まるでもう一人妹ができたみたいだ」と微笑み、エムロードの両親である公爵夫妻も「もう一人娘ができたみたい」だと万里を暖かく受け入れてくれた。


 公爵家で過ごす時間はとても暖かくて、その暖かさに触れる度にどうしようもなく泣きたくなる。この世界に飛ばされて初めて得られた安らぎと穏やかな時間を過ごしていくうちに、帰る方法を無に帰されたショックが少しずつ癒やされていった。


 エムロードの屋敷に来てからというものの、スターリーからの接触はなく逆に不気味だった。エムロード曰く、スターリーは昔エムロードの母親である夫人にこっぴどく叱られたことがあり、それ以来夫人に対して苦手意識を持っているという。


 おそらく、万里と接触しようとしたら叱られはしないが嫌みをねちっこく言われるからあちらから来ないのではないか、とエムロードが推測してくれた。


 見た目おっとりとした夫人が嫌み、と首を捻ったが万里が知らなくていい一面だと一蹴されたので、それ以上聞くことはなかった。


 社交界デビューの予行練習ということで、エスコートは必須だ。案の定というべきか、舞踏会の数日前にスターリーからエスコートに関する手紙を貰った。


 かなり遠回しな文章だったが、要約すると「万里の立場を考えて、今回だけ万里のエスコートをしたい」というものだった。


 万里の立場を考えているのなら、エスコートを申し込むな。


 手紙を読んだエムロードの家族がそう突っ込んだ。


 万里は精神衛生上見ない方がいいと言われたので、手紙自体は見ていないが怒れる四人の様子を見て、要約された以外で不快なことが書かれていたんだな、と察した。



「殿下は万里様のことになるとポンコツになりますわね。悪い意味で」



 エムロードが呆れかえった様子で呟く。



「婚約者以外の女性のエスコートをするなんて、非常識すぎる。許されるのは姉か妹までだ」



 エムロードの兄もそう憤った。それ以上に憤っていたのは、エムロードの両親だった。可愛い愛娘を蔑ろにされた、と青筋を立てている。



「昔よりかは大分良くなったと思っていましたのに、ねぇ。見当違いでしたわ」



 夫人は口元は弧を描いていたが、目が笑っていなかった。殿下が恐れるわけだ、と納得するくらいの迫力があった。



「よし、殿下からのエスコートは断るぞ。サフィ、エムロードのエスコートを頼む。私はマリ嬢のエスコートをする」


「はい、父上」



 エムロードの父、もとい公爵がエムロードの兄が頷く。



「いいんですか? 断って」


「断ったほうが周りから非常識扱いされずにすむから大丈夫だ」



 公爵が微笑む。憂いがないその笑顔に、万里は安堵したがすぐ疑問が生まれた。



「ですが、こちらがエスコートを断ったら殿下はどうなさるんですか?」


「なに、王族だから最悪一人で入場できる。まあ、周りの視線はどうか知らんが」



 公爵がニタァと笑う。悪い顔だなぁ、と思いつつ隣にいるエムロード様に小言で訊く。



「エムロード様が兄とはいえ、他の人のエスコートで入場したらエムロード様の評判に傷つきませんか?」


「それは殿下が他の女性のエスコートしていたら傷つきますが、私たちからエスコートを断われたら一人で行くしかありませんから、私の評判は守られますわ」


「わたしがダメなら次はエムロード様かもしれませんよ?」


「この手紙は貴女をダシにして、私のエスコートを一方的に断ったということ。ですから殿下に私をエスコートする権利はありませんわ。例え、じゃあエムロードでって言われてもこの手紙を理由に辞退しますわ。そうなると立場が悪くのは殿下のほうです。最近の殿下の行動は目に余るので、学園に通っている子息令嬢が自分の親に報告していることでしょうから、私が兄にエスコートされ殿下は一人で……となったら、周りはどう見るのかしらね?」



 と、公爵とそっくりな笑顔を貼り付けた。笑顔って遺伝するんだな、と怖さよりも逆に感心した。


 エスコートの件はお断りの手紙を送ったが、改めてエムロードにエスコートの手紙を送ることはなかった。


 さすがに躊躇したが、もしくは送ろうとしたが周りが止めたか、はたまたエムロードをエスコートする気がさらさらないか。


 どれか分からないが、どれにしろ不愉快ですわ、とエムロードがぼやいていた。


 それ以降は特になく平和な時間はあっという間に過ぎ、例の舞踏会の日になった。


 この日のために仕立てたエムロードとお揃いのドレスは、形は違うが色とアクセサリーはお揃いにした。


 万里のドレスはいわゆるプリンセスドレスで、エムロードはマーメイドドレス。色は淡いグリーン。真珠の首飾りに腰には黄色の花が飾られている。


 花について詳しくない万里だが、少なくても元の世界では見たことがない花だった。形的に向日葵に似ているが、向日葵とは少し形状が違うように見える。向日葵をマジマジと見たのは、小学生以来なので記憶があやふやだが少なくてもこの花のように、匂いはしなかったはずだ。



「この花はアメロアという花ですわ」



 ドレスのデザインを決めるとき、エムロードが説明してくれた。



「花言葉は希望。雨の後に咲く花なんですの」


「へぇ。タケノコみたいですね」


「そうですわね。あれも雨の後だと異様に伸びていましたわね」



 と、エムロードが遠い目をしていたのが印象的だった。この世界に来てから竹を見ていないが、エムロードはどこで竹を見たのだろうか。それは後になって湧いた疑問だったので、その時は普通に聞き流していた。


 お揃いのドレスを着て、エムロードとキャッキャッとはしゃいで公爵のエムロードの兄を連れて馬車に乗り込む。


 馬車で話した内容は主に、舞踏会でのマナーの復習だった。もしもヘマをしたら、エムロードたちに迷惑がかかる。だから一層頭の中にマナーを叩き込んだ。


 馬車が会場前の乗降口に着くと、そこからエスコートは始まる。まずエムロードがエムロードの兄にエスコートされ、馬車から降りてくる。次に万里が公爵と一緒に降りる。


 公爵家には専用の馬車があるので、屋敷で乗り降りの練習をしていたがいざ本番になると緊張して、身体がガチガチに固まってしまう。


 それに気付いた公爵が柔らかく笑んだ。



「大丈夫、屋敷で練習したときのように私に身を任しなさい」



 公爵は万里の世界でいうところのダンディーな大人の男性でそんな男性に微笑まれると、ニタァとした笑顔を知っていてもときめいてしまう。彼氏が一番好きだが、それはそれこれはこれである。


 公爵にエスコートされ会場に入った途端、会場中が悪い意味でざわめき始めた。一瞬だけ身が怯んだがすぐに背筋を伸ばす。


 噂の渦中にいる万里とエムロードがお揃いのドレスを着ていること、万里がエムロードの父親にエスコートされていること、エムロードのエスコート相手がスターリーではなく兄であること。


 それが原因で会場がざわつくが、堂々としていなさい、と公爵に言われたのだ。


 ざわざわが気になるが、とりあえず前を向く。すると前にいたエムロードがこちらに振り返った。


 万里と視線が合うと、エムロードは微笑した。まるで、大丈夫よ、と言われてたみたいで強張っていた肩の力が少し抜けた。


 だがざわざわが鳴り止まない。居心地が悪くて公爵の影に隠れていると、音楽隊による演奏が始まりざわめきが止んだ。


 舞踏会が始まる合図だ。


 音楽に合わせるように、上座の頂上にある大きな扉が開かれる。扉から学園長が入場し、その後ろからスターリーが学園長に続く形で入場してきた。


 本来、スターリーはエムロードと一緒に上座の扉から入場するらしいが、エムロードは一般入場をして万里のエスコートを断られたので一人での入場だ。


 ちなみにこれは予行練習なので、学園長を陛下と見立てているらしい。だからスターリーは学園長に続く形で入場したのだ。


 学園長が入場すると、参加者が一斉に頭を下げる。万里も合わせて頭を下げた。音楽隊の音楽が一旦止む。



「面を上げよ」



 学園長が厳かな声色で告げる。万里は隣にいる公爵を一瞥し、公爵が頭を上げたところで合わせて上げた。



「生徒諸君、今宵は来る成人式のための予行練習である。こういった場の雰囲気に慣れ、マナーをちゃんとし、本番で恥をかかないよう、しっかりと練習するように。またご参加されている父兄方、今宵はご協力頂き誠にありがとうございます。どうか楽しまれてください。では、挨拶もそこそこに舞踏会を開始する!」



 学園長が声高々に宣言すると、拍手と共に音楽が流れる。某老舗ゲームシリーズのテーマ曲みたいな曲で、これから何かが始まるような、とてもワクワクする曲だ。曲の効果と長引くと思っていた学園長の話が予想以上に短かったこともあり、少しだけ気が楽になった。



(たしか、この曲が流れてからは挨拶回りで、緩やかな曲が流れ始めたらダンスの時間)



 ダンスを踊る順番は高貴な者たちから、という暗黙のルールがあるらしい。踊る相手もエスコートしている相手を一番目にしなければならない。この場で一番高貴な身分はスターリーだが、スターリーにはエスコートしている相手がいない。


 こういう場合は繰り上がりになり、スターリーの次に高貴な者から始まる。次に高貴な者は公爵で、公爵家はエムロードの家の他に七つある。序列があってエムロードの家は序列四位だという。公爵の中では微妙な位置だが、なんでも権力的なバランスがあるとかでスターリーとエムロードの婚約が成ったらしい。万里には分からない世界なので、詳しいことを訊いていない。


 今日の場合、序列が上の公爵家の子息がいるが、立場的にエムロードが上なのでエムロードが先に踊ることになるらしい。



(一般参加みたいなものだから、家に合わせて踊ったらいいのにって思うけど、貴族って面倒くさいなぁ)



 一番目に踊るのはどうしても人目を引く。そのプレッシャーは容易に想像できた。そのプレッシャーに耐えられるエムロードは凄いが、こういうときくらいそういうプレッシャーから解放できたらいいのに、と思わずにいられない。


 万里はエスコートの相手は公爵だが、まだ身分というものがない立場で本来はエスコートの相手である公爵に合わせた順番で踊るらしいが、万里には関係のないことだ。


 万里はこの世界の常識と知識を先に知る必要があったため、ダンスの授業は特別に免除してもらい、その分この世界のことについて学んでいた。


 なので、ダンスが踊れないのである。そういう事情もあり学園長から特別に許しを貰い、ダンスの見学をすることにしたのだ。



「万里様」



 我に返り、エムロードを見やる。



「緊張なさっているのですか?」


「いえ、頭の中でこれからの流れをおさらいしておりました。今流れている曲が良くて、大分緊張が解れました」


「私もこの曲が好きなんですの。とても胸が躍ります」


「分かります。なんかこれから始まるっていう感じがしますよね」



 そのとき、公爵がわざとらしく咳き込んだ。



「二人とも、盛り上がっているところ悪いが殿下がこちらに向かっている」



 小声で告げられた台詞を聞いて、解れていた緊張が一気に戻ってきた。



「ということで、あっちに私の友人がいるからマリ嬢も交えて話してやり過ごそう。大丈夫、事前に友人にはこういう事情だから避難させてくれと頼んで了解を得たから」



 早口にそう言って、公爵は万里をエスコートして友人まで誘導してくれた。エムロードを一瞥する。エムロードはにこっと笑って左側に指を指した。


 手を軽く振って兄を伴い、そちら側へと歩いて行った。


 きっと友達のほうへ挨拶回りに行ったのだろう。



「やぁ、久しぶりだね」



 公爵が友人らしき男性に話しかける。その友人はとても逞しい身体をしていて、隣にいる娘らしき人が一際小さく見えるほどだった。



「久しぶり、元気にしていたかい?」


「ああ。ラベンダー嬢も久しぶりだね」


「お久しぶりです、おじ様」



 ラベンダーと呼ばれた娘が頭を下げる。本当に昔から親しくしている人たちなんだな、と思っていると男性がこちらを見た。



「そちらが噂のお嬢さんかい?」


「ああ、そうだ」


「は、はじめまして。西園寺万里と申します」



 万里は慌てて習った、こちら方式のお辞儀をする。



「本当にこちらと名前の響きが全く違うね。名前はどう区切るんだい?」


「西園寺がファミリーネームで、万里がファーストネームでございます」


「逆なんだね。本当に全く別の文化圏から来たんだ。うん、なるほど」



 男性はゆっくり頷いて、笑ってみせた。



「なかなか大変な境遇だと聞いたよ。今夜はゆっくりと話そうか」


「ありがとうございます」



 ガタイが良くて最初は威圧感を抱いていたが、話してみるとフランクで感じの良い男性で、さすが公爵が選んだことがあるな、と感心した。


 娘のラベンダーも率直で、悪い方面で有名な万里にも嫌な顔をせず話しかけてくれた。


 おそらく、公爵がスターリーのことを含めた万里の境遇を予め友人に説明してくれて、その説明をラベンダーにもしたのだろう。そう察するくらいラベンダーは万里に好意的に話しかけてくれた。話も万里を置いていかないように合わせてくれていることが分かる。


 その気遣いの塊と手を合わせてしまうほどの手回しに、公爵やエムロードを含む、公爵家一同の気配りに感謝するしかない。


 公爵家一同を感謝するたびに、スターリーの態度や根回しと比較して、ただただ格差を感じてしまう。公爵の場合は経験の差があるのは仕方ないが、同い年のエムロードがあれだけ気遣ってくれているのに、と思ってしまう。


 できるだけ会話を盛り下げないようにしていると、ザワザワと辺りが騒ぎ始めた。

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