第6話 vsスターリー
「? どうかしたのでしょうか?」
只事ではない雰囲気に、万里は視線で辺りを巡らしてみる。ざわめきはとある方向に向かっているようだ。
侵入者が現れた、でも、誰かが暴れている、という感じでもなく、どちらかといえば遠くで事の成り行きを固唾呑んで見守っている、という感じがヒシヒシと伝わってきた。
「ただのトラブルではなさそうだな」
「そうだね。状況が分からないけど、なんだか険悪な雰囲気だなぁ」
「怒鳴り声も悲鳴も聞こえませんし、ほんと何事でしょう?」
四人で首を傾げていると、ざわめきが起きている方向から、ひょろひょろとした四十代くらいの男性が慌てた様子で人と人の間をすり抜けてきた。
「む、あれは」
公爵が小さく唸る。
「公爵、お知り合いですか?」
「スターリー殿下の側近候補の父親だ。何を慌てているんだ?」
公爵が怪訝な顔で男性を見ていると、ふと男性がこちらに振り向いた。そして公爵と目が合う否や、救世主を見ているばかり表情を輝かせてこちらに向かって移動を開始した。
「わ、なんか嫌な予感」
公爵の友人が小さく呟く。万里もそんな感じがして、心の中で頷いた。
「こ、公爵!」
「どうかされましたか?」
男性は荒げた息を整える暇なく、腰を曲げて姿勢を低くしたまま告げた。
「え、え、ぜぇ、エムロ、ードじょ、と、ぜぇ、スター、リ、殿、下が、口論、を」
「エムロードとスターリー殿下が口論? 何故?」
「そ、それ、は、ぜぇ」
荒い息を整えようとする男性だが、なかなか息が整わない。よくみると心臓のほうを押さえていた。
「公爵、先にエムロード様のところへ向かったほうが」
「そうだな、すまないがマリ嬢をよろしく頼む」
「ああ、いってこい」
公爵の友人が頷くのを見て、公爵が騒ぎの中心へと歩いて行った。若干駆け足だったのは気のせいではないだろう。
公爵から再び男性へ視線を戻す。男性はまだ息が整ってなく、ぜえぜえと言っていた。見かねて、少しだけ屈んで男性の顔を覗き込む。
「落ち着いて、ゆっくり深呼吸してください」
「ぜえ……ぜー……」
だんだんと呼吸が落ち着いてきたが、心臓から手を離さない。
「もしかして、心臓が悪いのですか?」
訊くと男性は首を横に振った。
「その、恥ずかしながらパニックになって心臓が痛くなって」
「まあ、王族とその婚約者の口論は確かに心臓に悪いですな」
公爵の友人が神妙な面持ちで頷く。確かに国のトップに近い人たちの口論は、政治的な問題で心配になるのは分かるので、万里も思わず頷いた。
その後すぐに、二人の口論の原因に思い当たってハッと口元を押さえた。
「ま、まさか……二人の口論の原因って、わたしだったりします……?」
男性が気まずそうに顔を逸らす。そうだと確信してしまい、万里は困惑して公爵の友人に振り向いた。
「わたしも行ったほうがよろしいですか……?」
「いや、逆にややこしくなるから行かない方がいいと思うよ」
「えーっと、とりあえずお花を摘みに行くということで、会場を後にしたほうがよろしいでしょうか?」
ラベンダーがなんとも言えない顔をして、父親に伺う。
「そこまでしなくてもいいんじゃないかなぁ」
腕を組み、うーんと唸りながらそう応える。
「ですが、あの方はけっこう強引なので巻き込まれる可能性が」
「殿下って強引なのかい?」
「はい」
万里は強く頷く。公爵の友人は怪訝な顔を万里に向ける。
スターリーが強引になったのは万里と出会ってかららしいので、少し信じられない気持ちがあるのかもしれない。
「ですのでラベンダー様、お花を摘みに行きましょう。わたしがいてややこしいことになるのなら、会場からそれとなく立ち去るほうがいいかと」
「さっきまでオロオロしていたのに、君は切り替えが早いね」
「伊達に身一つでこちらに来て過ごしていませんから」
「あははは。ずぶとくなったんだねぇ。よし、ラベンダー、お願いね」
「はい、お父様。ではマリ様」
そこでざわめきが大きくなった。公爵の声と、エムロードの兄、そしてスターリーの怒声が聞こえてくる。
公爵もエムロードの兄も基本穏やかな人柄で、あまり声を荒げない。怒っても理性を総動員にして押しとどめるタイプだ。エスコートの手紙のときも怒鳴ってもいいのに怒鳴らなかったので、万里はそう思っている。
その二人が少し離れた場所、しかも雑音があるというのにここまで聞こえてくるほどの怒声を上げるとは、スターリーは何を仕出かしたというのか。
「嫌な予感がする……ラベンダー様」
「そうですね。行きましょう」
辺りからチラチラと視線が集まりつつある。ますます嫌な予感がして、胃がきゅうっと締め付けられた。
スターリーが行動を起こす前に立ち去ろうと、会場の出入り口の方向に踵を返したときだった。
「マリ嬢!!」
スターリーの呼び声が、会場中に木霊する。
シン、と辺りが静まりかえって、視線が一気にこちらに向かってきた。
ざわめきの中心から背を向けた格好だったので、視線が背中に当たってチクチクと痛い。
居心地悪さを振り切って、公爵の友人に視線だけ向ける。
「聞こえない振りをしても大丈夫だと思います?」
小声で訊くと、公爵の友人は苦笑した。
「ほんとうにずぶといね、君。そういうの好きだけど、正直それは少し無理があると思うよ」
「デスヨネー……」
ガクッと肩を落として、盛大な溜め息を出る。貴族の前で大きな溜め息をつかない、と習ったが今だけは許して、とマナー講師の先生に心の中で謝る。
気を取り直して、再び踵を返しざわめきの中心と向き合う。先程までざわめきの中心が人混みで見えなかったのに、今はその中心に向かって道ができていた。
(こういうときだけ余計な気遣いを)
心の中で舌打ちをし、意を決して一歩前に歩き出す。近付くにつれ足が重くなるが、無理矢理動かしてできるだけ背筋を伸ばした。
ざわめきの中心には、スターリー、エムロード、そして公爵とエムロードの兄。スターリーの後ろには側近候補四人がいる。側近候補は困惑していたが、そのうちの一人だけがスターリーを止めようと何かとスターリーに話しかけているが、スターリーがそれを制している。
スターリーは万里の姿を見ると、表情をパァッと輝かせた。そこから視線を外して
公爵一家の方を見ると、揃って申し訳なさそうな顔をしていた。こちらこそごめんなさい、という意味を込めて軽く頭を下げる。
スターリーと向き合って、ドレスの裾を掴んで頭を下げる。
「殿下、御前失礼します」
「そんな堅苦しい挨拶はやめてくれ。私と君の仲ではないか」
「殿下はわたしの保護者ですが、それ以外の関係はございません。どうか誤解を招く発言はお控えくださるよう、お願いいたします」
私と君の仲と言われたらこう言いなさい、とエムロードに教わった通りに告げると、周りから戸惑いの声が聞こえてきた。
耳を傾けていると、どういうことだ、とか、あの噂が嘘なのか、という声が聞こえてくる。
大きなザワザワが起きるほど沢山の人が勘違いをしていたんだな、と思うと同時に、これが外堀を埋めるっていうやつか、と恐怖を通り越して諦観してしまう。
「ああ、マリ嬢。そんな寂しいことを言わないでおくれ」
「事実なので。ところで、わざわざわたしを呼んだ理由を教えてくれませんか? 声があまり聞こえなかったもので、状況を把握しておりません」
さっさと話を進めたくて促す。そういえば発言の許可貰っていないな、と気付くも先の呼び出したのも先に会話のキャッチボールを始めたのも彼からだ。いちいち発言の許可は必要ないだろう、多分。
ちなみに今は頭を下げているので、スターリーの表情は窺えない。
「その前に顔を上げてくれ」
「かしこまりました」
ゆっくりと顔を上げると、スターリーと目が合う。微笑を浮かべているが、目元といい口元のいい、所々引き攣っているように見える。
(わたしの反応が想像していたのと違うってなっているのかな)
最初は媚び売らないといけないなと思い愛想良くしていたが、周り、主に両陛下の後押しもあり、ほどほどの塩対応をしているつもりだ。
それなのに色好い反応を期待していたのだろうか。
「殿下は私に言いがかりをつけてきたのですよ」
説明を始めたのはエムロードだった。
「言いがかり?」
「私が貴女を虐めていると」
「はあ?」
あまりの突拍子のない言葉にマリは素っ頓狂な声を上げた。
「わたしを虐めていたのは主に、金髪巻き毛の赤いリボンをつけた令嬢と、ロイヤルミルクティー色の髪のそばかす令嬢と、赤毛サイドツインテールの令嬢ですよ? エムロード様に助けられたことがあっても虐められたことは一度もありませんが」
「それこそ大きな勘違いなんだ」
スターリーが力説する。
「エムロードはその三人を使って、君を虐めていたんだ。その三人が証言してくれたんだ」
「はぁ」
続いた言葉も突拍子もなくて、呆れて相づちを打つ。
「なら、どうしていじめの対象であるわたしを助けたのですか?」
「自分の評価を上げるためと、君が油断するように。君が油断した隙に蹴落とすために」
「あ、たしかに言いがかりだ」
思わず素で返してしまい、万里は慌ててごほんっと咳をする。
「それ、証拠はあるんですか?」
「後で提示するそうですよ」
行き当たりばったりか、と内心溜め息をつく。
エムロードを庇うようにいる公爵のほうに視線を移す。ちなみにエムロードの兄もそこにいた。
「公爵。とりあえず移動を」
「そう言っているが、殿下がだだ、失礼。こちらの話を聞かなくてな」
「……」
駄々こねるって言いかけた。ツッコミを飲み込んで、再び視線をスターリーに移す。
「殿下、わたしからもお願いします。周りの方々にも迷惑が掛かりますので、とりあえず別室に移動して話し合いましょう?」
「いや、君の洗脳を解くにはここで」
「わたし、洗脳されていないんですけど」
全くもって心当たりがないことを言われても困る。淡々とした口調で返すと、いいや、とスターリーが反論をする。
「自覚がないのが洗脳なんだ! ああ、可哀想な万里、今すぐ助けてあげるから」
「公爵」
「なんだ?」
「いくら序列が低いとはいえ、仮にも公爵家の人間に対して洗脳とか言い出すのは失礼なのでは、と思うのですが。私がいたところは、事実無根だったら名誉毀損で訴えられるんですが、こちらでは違うのですか?」
「常識的には失礼に値するな。我が国の法律はわりと整っているから、王族相手でも訴えることができる。まあ、訴えることができるのは貴族だけで平民から王族へ法的に訴えることはできないが」
「教えてくださりありがとうございます。どうやら公爵家と殿下だけでの問題ではなくなりそうなので、別室は駄目でも後日話し合いといういうことで」
「それでは駄目だ。この場でハッキリしないと」
「ハッキリしたら駄目だということをいい加減理解してください」
エムロードの兄が呆れかえった声でスターリーに言う。スターリーを止めようとしている側近候補が声を荒げた。
「そうですよ殿下! ここで争ってはマリ様にもご迷惑が」
「大丈夫だ」
「どこが大丈夫なんですか! さあ、行きましょう!」
側近候補が必死に止めようとしているのに、スターリーは意地になっているのか動こうとしない。
(ていうか)
他の側近候補達を一瞥する。相変わらずオロオロしているだけで、暴走しているスターリーを止めようとしない。
(いくら王子相手だからって何も言わないなんて。側近に向かないんじゃ。いい加減止めてくれている人に加勢してよ)
オロオロしている側近候補に苛々、止めてくれている側近候補に同情していると、スターリーが声高々に宣言した。
「エムロード! 君がマリにしてきたことは許しがたい! またそのようなことをする人を王妃に据えることはできない! よって君とは婚約を破棄する!!」
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