第3話 絶望

 元の世界へ帰る方法を探してくれている魔法研究院が、謎の火災により焼失したと報せが届いたのは、魔法使いと出会ってから地球時間に換算して三ヶ月経った頃だった。


 その報せを万里に届けさせたのは、スターリーだった。



「火災……!?」


「ああ……昨晩、火災があって研究院の半分以上が焼け落ちたんだ。幸い、深夜だったこともあり死者はいなかったが」



 あまりの衝撃に目眩がして、ふらっと身体が傾く。倒れそうになったが、我に返り片足で防ぐ。


 スターリーを一瞥すると、倒れ掛けた万里を抱き留めようとしたのか、一歩大きく足を踏み出して手を差しのばす寸前のような格好をしていた。


 僅かに眉間に皺を寄せたが、姿勢を正した。


 危なかった。できればスターリーに触れてほしくなかったので、我に返ってよかった。


 冷静になってきたので、万里も姿勢を正しスターリーを見据える。



「死者が出ていなくてよかったのですが……研究は? 研究室はどうなったんですか?」



 一回だけ見学に行った研究室を思い出す。実際に元の世界へ帰るためにこんなことを調べているのだと、実際に見せて貰ったときは感動した。あまり親しくない小娘のために、研究員の人たちが世界中から情報を集め、それらを検証していた。研究員は偏屈ばかりかと思ったら、普通に良い人が沢山いて「絶対に見つけてみせるからね、安心して」と声を掛けてくれた。


 あの研究室はどうなったのだろうか。



「正確には八割くらいだ。ただ、界渡りの研究をしていた研究室が完全焼失した」


「そんな……」



 絶句する。


 今までずっと我慢してきた。いつか絶対に帰ることができると、彼氏に会えると思っていたから、訳の分からない授業内容も、目の前にいる王子による囲い込みも、令嬢達からの虐めも耐えられてきたというのに。


 目の前が真っ暗になり、ソファーに座り込む。スターリーが近寄る気配がしたので、片手でそれを制した。



「たしかあそこに集まっていた資料が、全部だと」


「ああ。君が元の世界へ帰るための資料が一晩で消えてしまった」



 悲痛な叫びを押し殺したような声で告げてくるスターリーから視線を逸らし、万里は混乱した頭を必死に宥めた。


 スターリーの前で無様な姿を晒したくない。けれど、取り繕う余裕もなかった。一言も発せず、ソファーに座り込んだまま動けずにいるとスターリーが口を開いた。



「これで君は帰れなくなった」



 言動に違和感を覚え、のろのろと顔を上げてスターリーを一瞥する。


 申し訳なさそうな、悲痛そうな顔をしているように見えるが、なんでだろうか。とてもちぐはぐだと感じた。



(なんか……声が若干……嬉しそう……?)



 声が少しだけ弾んでいるような気がする。細めている目は仄暗く、口の端がピクピク動いている。



「これから正式に君の戸籍を準備しないといけないね」



 ぞわっと背筋が凍る。震える唇を一度噛み締め、ゆっくりと口を開く。



「へ……平民は、戸籍がないと、聞きましたが……」



 この国にも戸籍の制度はあるが、それは貴族だけだ。万里がいた世界のように平民にはなかったはずだ。



「うん、そうだよ。ちゃんと勉強していて偉いね」



 スターリーがにっこりと笑顔を繕う。



「実は平民の戸籍も作ろうと思ってね。君にはそれの先駆けになってもらおうと思って、先に作っておこうかなと」



 それらしく言っているが、それでは矛盾している。今はまだ平民には戸籍がない。戸籍を作るということも発表されていなければ、そういう話も噂で流れていない。


 学園の噂はエムロード経由でしか知らないが、城や政に関する噂はメイドたちの間でも盛んに囁かれている。メイド達は万里によくしてくれているので、城の中の情勢を見極め、それに合わせて立ち振る舞いを変えられるようにと、こういった噂が流れていると教えてくれている。メイド達からそういった噂が出ていないということは、まだ正式に議論は出されていないはずだ。


 情報量で混乱する頭を整理したくて、万里はスターリーから視線を逸らした。



「…………………………すいません、しばらく一人にしてください」


「だが、君を放っておくわけには」


「殿下」



 尚も居座ろうとしているスターリーに、付いてきた護衛の一人が宥める。



「急に帰れないと言われたのです。マリ様も考える時間が欲しいのでしょう。ここは一人にさせてあげてください」


「だが」


「マリ様をご心配されているのなら、そうしたほうが賢明かと」


「しかし」



 不満げなスターリーを穏やかな口調で説得しつつ、焦っている護衛二人。


 ああ、この二人は味方は自分の気持ちを察してくれている。そう思うと肩の力を抜けたと同時に、怒りが沸々と込み上がってきた。


 万里はスターリーに対して冷たい声色で吐き捨てる。



「出て行ってください」



 護衛とスターリーの押し問答がピタッと止む。



「だが」



 スターリーが口を開く。その声色はどこか焦っているように聞こえた。



「いいから出て行ってください。これ以上話したくありません」



 ピシャッと言い捨てると、スターリーではなく護衛たちが動いた。



「すいません、お邪魔しました」


「マリ様、どうかゆっくりとお休みください」



 と、それぞれ言葉を残し、スターリーを引きずるように退室していった。ちらりとその様子を覗き見していたがその間、スターリーが何か言いたげだった。どうせ聞きたくない言葉だろうから、無言でそれを見送る。


 扉が閉まり、大きな足音も聞こえなくなったところで脱力して、全身をソファーに預けた。


 先程のスターリーの様子が脳内に蘇り、また怒りと苛立ちがジワジワと込み上がってくる。



(ご愁傷様、あなたはさぞわたしを慰めたかったみたいだけど)



 心の中で悪態つく。



(あなたの無神経な言葉は逆、効、果、な、の、よ!! 慰めたいんなら悦びを仕舞ってから出直してこいや、このすっとこどっこい!!)



 口の端をピクピク動いていたのは、おそらく吊り上げそうになる口を抑えていたのだろう。さすがにニッコリとした顔で残念なお知らせを告げるわけにはいかないと、スターリーも思ったのだろう。


 だが、その後の言葉がいけない。


 帰れないショックから立ち直っていない以前に、聞かされた直後にまだまだ先のことを話すなんて。


 涙がジワリと溢れてくる。怒りのせいなのか、悲しいせいなのか、どちらの涙が分からないほど感情がごちゃ混ぜになっていた。



(しかも話した直後に慰めの言葉をかけるわけでもなく、謝罪するわけでもなく、その話するか普通!? いくらわたしが帰れなくなって嬉しいからって)



 そこまで考えて、万里はハッと顔を上げる。



(よくよく考えてみると、わたしが帰れなくなって嬉しがるのは殿下だけ……)



 そうだ、魔法研究院を見学したときに色々と訊いた。


 災害大国と謳われた国出身者として、防災について訊いたついでに放火についても訊いた。


 そのとき、案内してくれた研究員が教えてくれた。



『この魔法研究院は魔法こそ廃れてしまいましたが、魔法に関する資料は多く、どれも貴重価値の高いものばかりなので厳重に管理しています。その分、警備と戸締まり、火気厳禁を徹底的に行っております。


とくに火災や盗難に遭わないように、戸締まりと片付けに関しては三度確認するよう指示しています。研究員も大事な資料と研究を守るため、こればかりは面倒くさがらずに守っていますよ。


前に盗難の被害に遭いそうになりましたし、昔も火災に見舞われたことがあったのでそこはとても神経質でして。警備も朝昼夜深夜問わず一日中文字通り、交代してやっております』



 それなのにどうして火災なんて起きたのか。たまたまの不注意だろうか。



(火災原因は言って……なかったな)



 昨晩に火災が起きたとだけ言っていたが、原因はなんだろうか。



(昨晩の今日で原因が分かるはずがないけど)



 なんでだろう。妙に引っかかる。


 火災とスターリーの言動。ピースが嵌まりそうで嵌まらない、そんな感じがしてモヤモヤする。


 案内してくれた研究員が言っていたように、徹底的に管理しているのならどうしてこのような事態になってしまったのだろうか。


 徹底的な戸締まりと片付けを怠っていたいたのなら許せないが、もっと許せないのは放火だ。けれど、警備があるからそう簡単には放火できないはずだが。

 


――あの坊やが素直に差し出すかしら、ねぇ



 急に魔法使いが放った最後の言葉が蘇り、バッと上半身を起こした。



(まさか)



 ある可能性が浮上して、万里は顔色を青くさせた。逸る心臓を抑えて深呼吸をする。



(殿下が、放火した……?)



 魔法研究院は王立で、王族の顔が利く。つまり見回りの時間とルートを把握することができるのはないだろうか。



(でも、魔法研究院にある資料と研究は国の宝らしいし、王太子の座に最も近いらしい殿下が私利私欲のために宝を燃やすようなことを)



 そこまで考えて、小さくかぶりを振った。



(ううん、その可能性は前からあった)



 拳をぎゅっと握りしめる。


 仲良くなりかけていた男子と話していると、横から入ってきたと思ったらしばらくしてその男子が学園に来なくなったと思ったら、家の不正が明らかになったから、と訊いていないのにわざわざ説明したり。その後に続いた、僕なら君を裏切らないよ、という言葉は無視した。


 エムロードの悪口をそれとなく言っては、エムロードが昔どういう子だったのか、悪いところばかり教えてきたり。エムロード様にもそんな時代があったんですね、と受け流すと少し不満げな顔をしていた。


 やたらと好きなものを訊いてはそれが異世界にしかないと分かると、こっちにも似たようなものがあるよ、と張り合っては、こっちにもあるんだから寂しくないね、と含んだ言い方をしたり。やっぱり本物が一番だ、と思ったので聞き流していた。


 その他諸々。


 何かと自分に依存させようとしてきたスターリーが、一向に靡かない万里に痺れを切らしてもおかしくない。とくにエムロードに対する悪口を口にすることが多くなった。おそらくエムロードとずっと一緒にいるのが気に入らなくて、自分のほうに引き込もうと躍起になっているのだろうと、本気にすることはなかった。


 そしてとうとう根本的な原因である、界渡りの術を燃やすことにしたのではなかろうか。そうすれば、万里をずっと傍に侍らせることができるのではないか、と考えたとしたら。



(殿下はわたしを逃がす気がないんだ)



 ギュッと身体を抱きしめる。



(わたしを学園に入学させた時点で、逃がすつもりはなかったんだ。無理矢理にでもわたしを手元に置こうと)



 目を閉じて、真っ先に瞼の裏に蘇るのは年上の彼氏の微笑みだった。



(柚くん)



 名前を呼んで、面影を手繰り寄せる。そうすると、抱きしめられたぬくもりを思い出されて、眠れない夜は何度もそうしてきた。



(抱きしめてほしいよ、撫でてほしいよ)



 抱きしめてほしいのも、撫でてほしいのも、キスをしてほしいのも、スターリーなんかじゃない。柚にされたい。帰れないことが確定しても、柚がいい。柚でないといけない。



(会いたい)



 口に出そうとした唇を強く噛む。



(会いたいよ)



 瞼の裏が熱い。閉じた目から滴が零れ落ちる。


 溢れそうになる嗚咽を噛み殺し、万里は一晩中ソファーの上で項垂れた。

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