7 告白

 神崎が、頼りなさげに俺の顔を窺ってくる。俺は大きく頷いて、ステージの真ん中へと歩いていく。それに合わせて恵先輩が神崎の背を押していき、そのまま川嶋先輩の腕をとってステージから降りて行った。


 峰岸先輩は、俺の顔を見て一つふっ、と笑い、くるりと踵を返した。


 三人が、無言で大講堂を去っていく。気を遣ってくれたのだろう。先輩たちに心の中で感謝して、じっと神崎の目を見つめた。


「神崎」


 話し始めようとした瞬間、ばっ、と神崎が両手を突き出して遮ってきた。

 門前払いかと不安がぐっと込み上げてきたが、すぐに神崎が口を開く。


「私は、恵先輩の気持ちは、もちろん知ってた。だから、二人はただの先輩と後輩だって、わかってる」

「それじゃあ、どうして」


 どうしてさっき、あんなに泣きそうな顔をしてたんだよ。


「幸村くんは、誰とでも仲良くなる」


 想像もしないような言葉が、神崎の口から紡がれ始めた。喋りだす神崎の顔は、苦しげで、やはり泣きそうな顔に見える。


「恵先輩。二宮先輩。峰岸先輩。菅原先輩。三枝さん。それから――日下部さん」

「日下部?」

「一緒にいた恵先輩と幸村くんを見て、幸村くんが語ってくれた、日下部さんとの思い出話が頭に浮かんできた」


 一瞬、因果関係がわからなかったが、矢継ぎ早に神崎が話したてた。


「私、幸村くんと仲がいいって、自分ではそう思ってた。でも、幸村くんはすぐに誰とでも仲良くなる。私だけじゃない。それに、もっと仲がいい人がいる」

「それが、日下部だって?」

「私よりも出会うのが早くて、私よりも長く一緒にいて、私よりも社交的で。何も勝ってないんじゃないかって」

「長くいるから好きになるってものでもないだろう」


 そう言ってから、はたと思い当たった。

 ――ああ、そうか。

 俺も、同じなんだ。


「……俺も、神崎は川嶋先輩のことが好きなんじゃないかって、そう思ってた」


 神崎は、きょとんとした顔で首を傾げた。


「え、どうして?」

「神崎の理想が、川嶋先輩にそっくりだなって」

「理想と、好きになる人は、違う」

「そうだな。でも、なんでかそう思っちゃったんだよな」


 きっと自信のなさから来ていたんだろうな、と自嘲気味に笑う。


「ねえ。幸村くん」


 神崎が、優しく微笑んで、真正面から俺のことを見つめる。


「私、幸村くんが好き」


 そうかも、とは自惚れてはいたけど、頭が真っ白になる。川嶋先輩と恵先輩はどうしてあんなに情熱的だったのだろうと、そんなことばかり浮かんできた。


「俺、神崎に好かれるようなこと、したかな」

「私を、私として見てくれた」


 神崎は真っ直ぐに俺を見据え続ける。恥ずかしくて目を逸らしてしまいそうだが、受け止めることが精いっぱいの礼儀だと思った。


「御厨さんもそうでしょ」


 なんて、照れ隠しは口にしてしまうのだけど。


「私は、自分がなかった」

「え?」


 自分がなかった。それは、俺が思っていた神崎と少し違って思えた。


「ただ、姉と同じ景色を見たいだけだった。でも、幸村くんの話を聞いて、『私』がどうしたいのか、ずっと考えてた。『私』は何をしたいのか、どう生きていきたいのか」

「……俺、神崎は自分の信念を持っているんだって、ずっと思ってた」

「だとしたら、変えてくれたのは、幸村くん」


 神崎の瞳に魅入られる。曇り一つない、綺麗な瞳に。


「そっか」


 胸が張り裂けそうだった。神崎の中に、俺がいた。最初から、ずっと互いに影響を与え合っていたんだ。嬉しくて堪らなかった。


「そうやって変わっていく神崎に、俺は惹かれていったんだ」


 神崎がピクンと肩を震わせた。そんな僅かなことですら愛おしく思える。


「俺は、俺がどうしたいかばかり考えてた。神崎みたいに、誰かに憧れて動いたり……そうやって『誰か』を想うことを忘れていた気がして。そんな神崎に憧れたし、惹かれていった」

「それは、幸村くんがいたから……」

「ああ。そうらしいな。だから」


 俺はゆっくりと神崎の手を取った。神崎の両手を。考える前に行動していた。なぜかそうしたい気分だった。


「だから、これからも一緒に変わっていきたい。神崎と、一緒に。二人で」


 神崎の目から、ポロポロと涙があふれだした。まだ言い終えていないうちに。

 スッ、と息を吸って、はやる鼓動を整えて……そして、俺も涙ぐんでいたのだと自覚した。俺は泣き笑いのまま、最後の言葉を紡いだ。


「神崎が、好きです。俺の恋人になってください」


 トン、と神崎が胸に飛び込んできた。ぐすん、と鼻をすする音が聞こえた。

 こんなときどうすればいいのかわからない。心がただオロオロとしていて、背中をさするしかできなかった。それすらも正解なのかわからない。

 しばらくして神崎が顔を上げる。すぐ近くに神崎の顔があって、鼓動がさらに早まっていく。息をぴたりと止めてしまう。


「はい。よろしくお願いします」


 それが告白の返事だと気がつくのに数刻を要した。ゆっくりと胸の中に、スーッと神崎の言葉がしみ込んできた。


「人を好きになる、っていう気持ちが、ようやく、わかった」

「神崎……」


 そのまま神崎を胸に抱き寄せようと――


「はい、ストップ」

「せ、先生……今はまだ……!」


 ピタリ、と時が止まった。そんな錯覚を覚えた。

 ギギギ、と首を横に向けると、ステージの下から口を真一文字に結んだ朝倉先生、慌てたような二宮先輩、顔をテカテカさせた御厨さんが登ってきた。


「あの、見てたならもう少しだけ待っていただけると……」


 それだけ振り絞ると、顎に手を当てた先生が小さく呻った。


「ふぅむ。人生経験が演技に表れるとはな。そういうのには懐疑的だったんだが」

「何の話でしょう」

「わかってんだろうが」


 ニヤニヤし始めた先生。声も楽しげだ。神崎が恥ずかしそうに震えているのが、手から振動で伝わってきた。


「で、そんな幸せ状態で明日の舞台に挑んで、お前らは本当に大丈夫か」


 いや、そうおっしゃられても。そこまでストイックになりたい精神状態ではない。


「ロミジュリだぞ。やきもきした状態で挑め。今日明日、明後日と、悶々とし続けろ。顧問からの命令だ」

「何ですかそれ」

「うるせえ。日曜の舞台が終わってからにしろ。解散だ解散。帰った帰った」


 あまり納得がいかなかったが、結局そのまま解散と相成った。

 幸い、間に御厨さんと二宮先輩が入ってくれていたおかげか、平静を取り戻した神崎と一か月くらい前のように自然に会話をすることができるようになっていた。今はただそれだけで心が安らいだ。


 家に帰ってから、神崎にメッセージを送ろうか、ベッドに腰かけて悩んだけど、結局やめてしまった。先生の言っていたことじゃないけど、そうすることが正解に思えたから。


 神崎からも連絡は来なかった。

 連絡はないけど、それでも、不安は微塵もなかった。いつでも繋がっているとわかったから。


 ただ……もしかしたら連絡が来るんじゃないかって、結局夜中までずっとベッドの中で悶え続けていたのだけれど。

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