6 向き合う想い
「角の席とれてよかったぁ」
「ここなら、川嶋先輩が入ってきても見えますね」
「幸村くん、目を光らせといてね」
恵先輩は入り口を背に、俺は入り口が見えるように席に着く。恵先輩からしたら、たとえ後輩が相手でも男と二人きりでいるところを川嶋先輩に見られたくないのだろう。気持ちはよくわかる。
……気持ちはわかる? 何で?
あまり考えないように、俺はメニューを開いて眺め始めた。
前に神崎と行った喫茶店とは違って、バラエティーに富んでいるから目移りしてしまう。
「は、八百円くらいまでなら出そうじゃないか……!」
「結構出してくれるんですね。ていうか奢らなくて大丈夫ですってば」
震え声の恵先輩が不憫だ。
実際、高校生の八百円は結構バカにならないから仕方がない。
「決まった?」
「あまり来る機会がないんで、とりあえずブレンドで」
「何も食べないんだ」
「夕飯が食べられなくなっても困りますから」
「甘いものなら別腹だよ」
その理屈、俺にはまったく理解できない。
「それに、糖分って大事でしょ」
「そうですね。わかります」
「甘いものとらないと、頭よくならないよ?」
その発言がもう頭よくない。でも、何も言うまい。
「よし、決めた。幸村くんは?」
「俺も決めました」
嬉々として呼び出しベルのスイッチを押す恵先輩は、子どもっぽくてかわいらしい。これも絶対に言うまい。
「すみません。カフェオレとママレードスコーンと、ベイクドチーズケーキお願いします」
八百円くらい頼んでる。
「……ブレンドコーヒーで」
熟考の末、初めての店はオーソドックスを頼むいつものパターン。前の店と味を比べてみたい、という意味合いもあったのだが……二人の落差が激しすぎて、変な目で見られていないか内心ドキドキする。お金で見栄は張りたくないから突き通すけど。
店員さんが去ってから、
「あの、そんなに頼んで大丈夫ですか」
「糖分は別腹だって」
「いえそうじゃなくて、お財布の中身の意味で」
「大丈夫。幸村くんの分が浮いたから」
完全に散財するタイプの人だ。
「ええと、話はメニューが来てからにします?」
「そうだね。そうしよう」
それからしばらく演技のアドバイスをいただいた。先輩方はみんな面倒見がいい。
ただ、恵先輩は結構な感覚派で、説明がふわっとしていてあまりピンとこなかった。来年は二宮先輩の負担が大きくなりそうな予感。
先にブレンドコーヒーだけ来たが、猫舌なので恵先輩のオーダーしたメニューを待つ。
三分ほどすると、全オーダーが一斉に並べられた。恵先輩は幸せそうに相好を崩している。にへら、という擬音が似合いそうな、緩んだ表情だ。
俺が頼んだブレンドがちょうどいい温かさになっていたので、まずは香りを楽しみ、それから一口。
チェーン店だけど、それでもやはり、インスタントとは物が違う。さすがにこの間の喫茶店には届かないが、十分に美味しい。
「いやあ、あったまるねえ」
若くてかわいらしい顔のお婆さんが、目の前に座っていた。
「それじゃあ話に入ろうか」
「先に食べなくてもいいんですか」
「そのために溶けないデザートにしたんだから」
なんと。しっかり考えたうえでの注文だった。もう少し考えるべきところがあるのではなかろうか。
「ねえ。幸村くん。私と組まない?」
「恵先輩と?」
「そう」
組む、ということは、俺に何かしらのメリットを与えてくれるということ。何のだ?
「私は茉莉也ちゃんの情報をあなたにあげる。だから、幸村くんには、信二先輩のことを探ってほしいの」
なぜそこで神崎の名前が。
やっぱり、俺が神崎のことが好きだと、そう思われているのだろう。なんとなくそうだろうなあ、とは感じていたけど。
「これだけは諦めきれないもん」
恵先輩はカップを置いて、ぐっと握り拳を作る。
「それに、幸村くんのためにもなるでしょ。悪い話じゃないと思うんだけどなあ」
「いや、まだ神崎とそうなりたいとか、そんなんじゃ」
「もう! 煮え切らないうちにどっかの誰かに持っていかれちゃうよ? 無謀な挑戦をしている恵先輩の、この雄姿を見なさい!」
「声、大きいですってば……」
隣に座っている女子大生と思しき二人が、こちらをニヤニヤと見ている。めちゃくちゃ恥ずかしい。
「無謀かどうかはわかりませんけど」
そう言うと、急に恵先輩がしょんぼりと縮こまった。
「……自覚はしてるんだよ? 私じゃ、琴美先輩には敵わない」
「敵う、敵わないって、そんな単純な話ですか」
「じゃあ、正直に言ってよ。私、琴美先輩より魅力的?」
随分と卑屈だなあ、と思う反面、相手が峰岸先輩だと考えると……。歩くカリスマと戦うのは勇気がいることだ。
「恵先輩には恵先輩の良さがあるじゃないですか。二人とも明るくて活発なイメージはありますけど、でも、恵先輩は溌溂、峰岸先輩は豪胆、って感じで。どちらが好みかなんて人それぞれじゃないですか」
「私でも琴美先輩に勝てるってこと?」
「勝ち負けは川嶋先輩に聞いてください。少なくとも俺は、恵先輩の明るさは素敵だと思います。でも、俺がそう言ったって意味ないじゃないですか。川嶋先輩から聞かないと」
よくもまあ、こんなことがペラペラと突いて出てくるものだ。我ながら節操がない。
そう思いながらも一方で、つまり本心で喋っているのだなあ、と冷静になる。
峰岸先輩は、そりゃあもう素敵な女性だ。魅力にあふれている。
けど、恵先輩の魅力が劣っているようには思わない。
失礼な話、峰岸先輩の方が美人ではある。それを差し引いてでも、恵先輩の良さはこの一か月ほどでも十分に伝わっている。
二人とも魅力的で――。
そう思ったとき、急に視界が開けたように、頭の中が冴えわたる感覚に支配された。
「――ああ、そっか」
思わず呟いてしまい、恵先輩が小さく首を傾げる。
「どうしたの」
「い、いえ……何でもないです」
「何よ。焦っちゃって。私に失礼なことでも思いついた?」
「違いますよ。そうやってすぐに卑屈にならないでください」
「じゃあ、言えるでしょ」
「うっ……」
恥ずかしくて、下を見ながら頬を軽く掻いて、また視線を上げる。恵先輩の顔には「逃がさないよ」と書いてあった。
「……恵先輩と峰岸先輩の魅力について考えていたら、ようやく気持ちがまとまったと言うか」
ここまで来たら、一気に口にした方が楽になる。
そうだ。正直に生きるべきなんだ。
恵先輩を見ていて、心からそう思った。
好きな人を射止めるために、戦う。それは勇気のいることで、とても格好いい。
うじうじばかりしていて行動しない奴を好きになる人なんて、よっぽどの物好きだ。正々堂々と、格好よく。
言い訳はもうやめだ。
そうだ。待っていたって何も動かない。それなら、少しでも好かれる努力をするべきなんだ。
「……どうやら俺にとって一番魅力的なのは、神崎のようです」
なんだかんだと言い訳して、結局出会ったあの日から、俺は神崎を意識してきた。
それから二か月近く一緒にいて、神崎の内面を色々と見てきて……好きになった。
恵先輩は、肘をついた左腕の手の甲に顎をのせ、優しげな眼で楽しそうに、そしてちょっと呆れたように笑った。
「さっきとは別人みたい」
「そうですね」
力強く頷いた。後戻りできないように、自分に発破をかけるように、口にする。
「どっかの誰かに持っていかれるのは、絶対嫌だって、そう思いました」
「だよね」
ニカッ、と恵先輩が笑う。つられて俺もニッ、と口角を上げた。
「まあ、告白は文化祭の後かなー。今は演劇に集中してほしいし」
確かに。告白が原因で気まずくなったりしたら、三年生たちの集大成の場を壊してしまう。神崎は察して取り繕ってくれるだろうけど、余計な気苦労をかけさせる必要もない。
まず俺がすべきことは、神崎を繋ぎとめることだ。ただ静観しているだけでは誰かにとられてしまう。想いを伝えずに、ただ神崎にも俺のことを好きになってもらう。
確実に好きになってもらえる保障なんてない。けれど、自分を磨いて、神崎の好みに合わせていく。地道に。コツコツと。好いてもらえるように。
まるで呪いだな、と自嘲する。実際に黒魔術でもあったら楽なのに。
「俺も、文化祭が終わったら、告白します」
「それまでに情報収集、頑張らないとね」
情報を制する者は戦いを制する。恋愛も、きっと一緒だ。俺と恵先輩は、顔を合わせて頷き合った。
「それじゃあ、一緒に頑張りましょう!」
「だから声大きいですって」
今度こそ、がっつり隣の女子大生に笑われた。
ようやく恥ずかしくなったのか、恵先輩はサイズが一回り小さくなった。
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