7 胸裡

 翌日の朝、いつも早くに学校に来ている神崎が、珍しくギリギリに登校してきた。どことなく眠そうというか、気だるげにも見える。


 気づけば神崎を目で追っていた。昨日の恵先輩との話の中でハッキリと自覚したからか、自然と視線を神崎に注いでしまっていた。


 体調が悪そうな神崎に声を掛けようか、と腰を上げようとしたところで、席に着いた神崎が瞬く間にクラスの女子たちに囲まれてしまった。


「神崎さんって、あんな大声出せるんだね。さすが演劇部!」

「あ、ありがとう」


 人の隙間から覗いている神崎の顔は、戸惑いと、照れと、喜びが感じられた。生き生きとしていて、口元が綻んでいる。案外と元気で、無理をしているわけでもなさそうだ。もしかしたら悩みでもあるのかもしれない。部活のときにでも聞いてみようか。


「神崎さん。舞台、見に行くから。クラスみんなで」

「ちょっと、恥ずかしい、かも」


 ワイワイとかしましい声が溢れかえる。そんな様子を見て、戸倉が苦笑いした。


「おうおう。一気に人気者だなあ、神崎さん」


 神崎は引っ込み思案だけど、決して人見知りではない。だからこうやって人に囲まれることも、別に不思議な話ではない。


「俺も昨日、お前らのこと見たよ」


 と、戸倉。バドミントン部は昇降口前の体育館で練習しているから、俺らの姿が目に入ったのだろう。


「じゃあ、ビラ貰ってってくれりゃよかったのに」

「どうせ見るんだし、いっかなって」

「一枚捌くだけでも、終わる時間が変わるんだぞ」

「ああそっか。そりゃあ悪いことした」


 たいして悪くもなさそうに戸倉がケラケラと笑う。


「神崎って、なんかいいよな。お前が言った通りだ」


 そう言ったきり戸倉は、未だ女子たちに囲まれている神崎をボーっと眺めていた。


 女子たちの中で人気が出るのは結構だが、男子からも視線が集まるのは、どうにも面白くない。どうせ舞台で注目されるだろうに、もう少し俺の中だけにしまっておきたかった。そんな独占欲があった。


 輪の中には三枝の姿もあった。

 あの日、三枝が余計なことを言わなければ、戸倉だって何も思わなかったかもしれないのに。そんな理不尽極まりない考えすら浮かんでしまう。


 俺は別段、神崎にとって何者でもないのだから、何を言う権利もないのだけれど。




「よし、そこまで! 十分間休憩!」


 パン、と峰岸先輩が手を叩く。


 今日は演劇部の正部員だけでの立ち稽古だ。木曜日は普段、吹奏楽部が使っているが、今日は向こうの都合で大講堂を使わせてもらえている。


 当初は御厨さんも参加予定だったのだが、急遽部活動が入ってしまったそうだ。文化祭に向けて文芸部も動き始めたそうで、無理強いはできない。


 神崎が、フラーっと舞台を降りていく。練習では熱が入っていたが、それ以外の時間は心ここにあらず。これはいよいよ、と心配になった。


 目が合った恵先輩が、キリッとした顔でサムズアップした。あまりにあからさますぎる行動なのはちょっと困ってしまう。


「何だお前ら。コソコソ隠れて……は、いないか」


 左手にペットボトルの水を持った川嶋先輩が、右手でグイッと俺の肩を組んでくる。


「ええ。まったくもって」

「なるほど。恵に、神崎のことを聞いてもらってるのか」

「そうです」


 客席に座る神崎へ、隣に座った恵先輩が明るく、けれど優しい表情で話しかけている。先輩方の面倒見の良さには、本当に助けられている。


「川嶋先輩も気になりますか」

「まあな。気もそぞろというか、ずっと考え事してる、って感じがするな。練習では人が変わったようになるけど。二宮と同じタイプだな。演技自体も、かなり可能性を感じた。少なくとも、今の時点で主役を任せてもいいと思うくらいには」


 そう。今日の神崎の演技は、いつもよりも惹かれるものがあった。

 突然コツを掴んだみたいに、程よく力が抜けていて、しかし声は響いて、動きはなめらかだった。さながら等身大のジュリエットがそこにいるかと錯覚するような。


「自分で行かないのか。神崎と一番仲がいいの、お前だろ」

「そう見えます?」

「ああ」


 恵先輩よりも、仲良く見える。女子も含めて。だとしたら、かなり嬉しい。妙な対抗意識だけど。


「こういうの、同姓の方が聞き出しやすかったりしません? 異性だから話しづらいこともあるかもしれませんし」

「まあ、そういうこともあるかもな。同級生だから、というのもあるかもしれない。けど、異性だから話しやすいことも、あるんじゃねえか?」

「でも、もしかしたら、俺に何か問題があって。気づいていないうちに失礼なことをしてしまったのかも。だから、ちょっと直接聞くのは躊躇われるというか――」


 そこまで言って、はっ、と我に返った。余計な愚痴を溢しすぎたかもしれない。

 しかし川嶋先輩は、俺の肩から手を離したあと、じっと神崎と恵先輩の方を見て、


「ああ、うん。そうだな。わかるよ」


 自嘲したように言ってから、俺の肩をポンと軽く叩いた。


「ま、怒ってるわけでもなさそうだからな。人間なんだ。悩みの一つくらいあるさ。お前が深刻な顔してたら、もっと不安にさせちまうだろ。明るく行こうぜ」

「はい。ありがとうございます」


 川嶋先輩でも、女子相手に不安になる。それって、もしかして……。


 峰岸先輩と二宮先輩は、揃って大講堂の外に出て行ったはず。念のため周囲を見渡し、峰岸先輩が帰ってきていないことを確認して、


「川嶋先輩って、好きな人いますか」

「何だ、藪から棒に」

「ちょうど異性って話も出たわけですし、興味本位です」


 川嶋先輩が、ねめつけるようにジト目の視線を送ってくる。


「お前もアレか。俺が琴美のことを好きだと思ってるのか」

「いや、その、ええと」


 完全にどもってしまった。これでは肯定しているも同然である。


「付き合ってはいないんですね」

「開き直りやがったな」


 と、川嶋先輩が呆れたように嘆息する。

 取り繕っても仕方ない。恵先輩との約束もある。聞けるところまで聞くのみだ。


「やっぱり、色んな所で噂されているんですね」

「揃いも揃って適当言いやがって。別に、ただの幼馴染だよ」

「ただの幼馴染、ですか」

「おい。信じてねえって顔してやがんな」

「まあ、ちょっとだけ」

「言葉のわりに百パーセント信じてねえだろ」


 正直どっちだかわからないもので、本当は付き合っているのに、恥ずかしがって隠している可能性だってある。


「お前は初めて口にしたことでも、こちとら他から散々からかわれてんだ。本当に付き合ってたら言ってるよ」


 飽きるほど言われてるからお前は黙ってろ、と遠回しに皮肉を言われるが、ここでへこたれてはいけないのだ。


「じゃあ、どんな人が好みですか」

「はあ?」

「今日の俺は面倒くさいですよ」

「お前に何があったんだよ」

「まあまあ。教えてくださいよ、アニキ」


 普段と違う気持ち悪いテンションのせいか、訝しげに顔をしかめられた。すべってるな、俺。


「言ってもいいけどよ。だったら、お前のタイプを先に教えろよ」

「俺は神崎一筋ですよ」

「……おう」


 はっきり言い切ると思っていなかったのか、面食らったように川嶋先輩がのけぞる。


「ということで、お返しに教えてくださいよ」

「……ああ、もう、しゃあねえな」


 頭の後ろをかきながら、面倒そうに、しかし律義に返事をしてくれる。


「行動的で、俺のことを引っ張ってくれそうな子だな」

「……峰岸先輩じゃないですか」

「あいつは引っ張る、と言うか、振り回す、だろう」


 川嶋先輩の苦労は近場で見ているので、否定することはできなかった。


「要するに、俺の一歩前を、同じ道に向かって歩いてくれそうな子だよ」

「それって……」

「これ以上は言わねえよ」


 そう釘を刺されてしまった。あまり突っつきすぎて怒らせては、今後の情報収集に差し障る。ここは大人しく引いた方がいいだろう。


「……お前、何を企んでやがる」

「そうですね。神崎の気を引くにあたって、参考になればと」


 嘘はついていない。ちょっと事実を伏せているだけだ。


「へっ。俺の意見が参考になるかよ」


 皮肉げに、川嶋先輩が鼻を鳴らした。


「俺だって、何もできちゃいないんだからな」


 グッと水を飲み干して、川嶋先輩はくるっと背を向けた。


「飲み物買ってくる」


 川嶋先輩はカバンから財布を取り出し、早歩きで大講堂を出て行く。まるで逃げるかのように。


 割と失礼な物言いだったかなあ、と反省。でも、川嶋先輩が不機嫌だったのは、俺のせいだけじゃないと思う。

 なんとなくだけど、自分自身に苛立っているような、そんな感情が見受けられた。それが何を意味するのか、俺にはわからなかった。


 一つ息をついて、舞台から降りて客席に座ってボーっとしていると、やや経ってから隣の席に恵先輩が腰を下ろした。神崎も大講堂から外に出たらしい。


「残念。何も教えてくれなかった」

「そうですか……」


 恵先輩にも言えないこと。プライベートなことなのだろうか。


「でも、何か悩んでいることは確かで、力になってあげると好感度アップしそう」

「弱みにつけこむみたいで心苦しいのですが」

「何言ってるの。恋愛では汚いことをしても許されるんだよ」


 なんだろう。もの凄く人聞きが悪い。


「川嶋先輩ですけど、峰岸先輩とは付き合っていないそうです」

「え!」


 恵先輩が驚きに目を見開き、腰を少し浮かせたまま固まる。しばし経ってから、現実に引き戻されたように顔をしかめて座り直した。


「ブラフかも」

「好みのタイプは、『自分を引っ張ってくれそうな子』、らしいです」

「琴美先輩じゃーん」


 足を投げ出して、バンザイしながら、ずりずり、と沈んでいく。


「峰岸先輩は振り回してくるから違う、って否定してましたよ」


 態勢を戻して、恵先輩は顎に手を当てて「むむむ……」、と小さく呻った。

 自分を引っ張ってくれそう。

 それは、恵先輩にも当てはまってると思うのだが……。


「うぅむ……優しく、リーダーシップを見せるということかなあ。次期部長として、何か腕を見せておかないと……」

「おい、恵。後輩に何を吹き込んでるんだよ」


 水を一本手に持った川嶋先輩が、神崎と一緒に戻ってきた。神崎の手にも水が握られていた。

 ほんの数分。でも、連れたって帰ってくると、二人がやけに親密なように見えて、勝手に嫉妬心を抱いてしまう。


「ぶー。悪人みたいな言い方しないでくださいよー」


 恵先輩がぴょんと飛び跳ねて、川嶋先輩に突撃する。

 とにかく会話を重ねていく。それが恵先輩の作戦の一つ。俺もそれに倣うことにした。


「あのさ、神崎」


 俺はゆっくりと腰を上げて、相変わらずボーっとしている神崎に、できるだけ優しく声を掛けた。


「俺、頼りないかもしれないけど、何か困ってることあったら、いつでも相談に乗るから」

「ありがとう」


 神崎は、あまり元気なく笑った。さっきまでの、舞台での演技はどこに行ったのだろう。カラ元気なのは明らかだった。

 それから、少しだけ上を向いて、考える素振りをする。ちょっとだけ間を置いてから、神崎は小さく頷いた。


「明日の放課後、空いてる?」

「空いてるよ」


 それを聞いた神崎は、心なしか晴れやかな微笑みを浮かべた。


「もしかしたら明日、ちょっとお願いごと、あるかも」

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