6 メイクも大事
一週間後、読み合わせもどうにか様になってきたころ。
なぜか女性陣に部室を占拠され、俺と川嶋先輩は締め出されていた。
肩身の狭い思いをしながら、屋上前の踊り場で雑談したり、台本の台詞を覚えたりしていると、サンバでも踊りだしそうなほどにやたらと陽気な恵先輩が呼びに来た。
釈然としない気分で部室に入ると、峰岸先輩がパイプ椅子に腰を掛け、黒のタイツをまとった御御足を組んでいる。眼福であった。
二宮先輩は部室にいない。席を外しているらしい。
そして、峰岸先輩の横に、見知らぬ女子生徒が座って――と、その女生徒の顔を見て、びっくりして飛び跳ねそうになった。
「え、あ……神崎?」
「う、うん」
気の抜けた調子でわかりきったことを訊ねると、神崎は緊張から鯱張った身体でコクコクとからくり人形のように首を縦に振った。
「驚いたろう? こうやって見ると、お姉さんの面影あるよね」
「凄く似てます」
どうやら俺たちを驚かせるために一旦退室させたらしい。その目論見は効果てきめんである。
今の神崎は、神前織江をそのまま五つ若返らせたようだった。メイクもあるけど、やはり姉妹なのだと感じてしまう。
「あ、でも、神崎は嫌なんじゃ」
「ははっ。確かに、このメイクはお気に召さなかったみたいだ。普通にやってしまうと、どうしてもお姉さんに似てしまうね。素材がいい。化粧のノリが凄くいいんだ」
「いやあ、逸材だねえ。腕が鳴るよ」
メイク道具を手にした恵先輩は、うっとりとした夢見心地の表情で神崎の顔を眺める。
「これはちょっとした実験さ。もちろん、ボツだ。似てるなあ、と思われても、姉妹という考えに至るかは疑問だが……わざわざ材料を与えてやる必要もないからね」
「どんなメイクをしたらお姉さんに似ちゃうかわかったから、もっと印象が離れるように。それでいてジュリエットの印象を……うーん、悩むなあ。でも、それが楽しい!」
飛び跳ねんばかりに身体をくねらせる恵先輩は、不気味の一言に尽きる。
「あの……メイクっていります?」
「合法的にメイクできるチャンスだよ!」
疑問をぶつけると、凄まじい勢いでお叱りの言葉が返ってきた。
「いや、でも、普段メイクしてないのに、違和感が……」
俺にとって神崎は、メイクをしていない神崎だ。それに元の素材がいいのなら、わざわざメイクをする必要もないだろう。
そう感じてしまうのは、結局は俺が男だからかもしれない。女性の感覚では違うのだろう。
「メイクっていうのはね。何も顔を綺麗に整えるだけじゃないの。そうすることで、心に余裕を作る意味もあるの。自信がつくの。人がどうこうじゃない。自分に自信をつけて、堂々といられることに意味があるの。ドゥーユーアンダスタン?」
いいこと言ってるんだろうけど、ちょっとイラッとした。
「ふむ」
顎に手を当てた峰岸先輩が、俺と神崎を交互に見比べる。
「茉莉也。颯斗の意見を踏まえて、改めてどう思う」
「ええと」
そこで区切って、神崎は俺をじっと見つめた。前髪が上がって顔がはっきりと見えるぶん、向けられる視線がとても恥ずかしく感じられた。
「最初は、ちょっとメイクしようかな、と思いましたけど……」
神崎は、少しだけはにかんだ。凄まじい破壊力だった。
「いつもの私で行きます」
力強くそう言うと、峰岸先輩が何かよからぬ笑みを浮かべた。今の流れで何を思いついたというのか。
「ぶーぶー。メイクしたいよー」
「いや恵先輩、だったら部長とか、二宮先輩とか、いるじゃないですか」
「だって私たち、兼役だから凝ったメイクできないもん」
じゃあ、菅原先輩や御厨さんにすればいいじゃない。
と思ったけど、それはきっと既定路線で、プラスで神崎をメイクしたいということなのだ。
「私は元々あまりしないから、それほど困らないがね」
「私みたいなちんちくりんはメイク必須です」
胸を張る恵先輩に、何と声を掛けたらいいのかわからなかった。
「なんかフォローしろ!」
結局怒られた。
「いや、俺が言ったって気味が悪いだけでしょ」
「いいから、フォローしろ!」
そうおっしゃるというなら、別に、正直な感想だってやぶさかではない。
「恵先輩だって普段から可愛らしいじゃないですか」
「お、おう……」
ジリ、と恵先輩が一歩後ずさりする。ほら、やっぱり気味悪がるだけじゃないか。
「キッパリ言い切ったね」
「なんか、照れる」
「幸村くん……」
ニターッとする峰岸先輩、モジモジする恵先輩、ジトーッと睨んでくる神崎。全員がそれぞれ何を考えているのか理解が追いつかない!
「何ですか、この空気! 川嶋先輩、ヘルプ願います!」
「俺に振るか!?」
興味なさげに部室の端っこで椅子に座って本を広げようとしていた川嶋先輩を巻き込む。
雑に話を振ると、川嶋先輩はコホンと一つ咳払いをした。
「まあその、何だ。そのままでいいと思うぞ、俺は」
顔を背けながら、川嶋先輩がたどたどしく言った。恵先輩はそれを聞いて露骨に喜んでいる。軽いステップを踏んでくるくる小躍りしているが、川嶋先輩はまったく見ていない。
そんな二人を、峰岸先輩がやっぱりニターッといやらしい笑みで見つめている。視線に気づいて、川嶋先輩が白けた視線を送った。
「何だ、ニヤニヤしやがって」
「いや。『俺も』、じゃなくて、『俺は』、って言い切ったところは評価する」
「何目線なんだよ」
「幼馴染目線だよ」
「やってられん」
ふん、と鼻息荒く川嶋先輩が部室を出て行った。うまく逃げたな、と感心している間に俺は一人取り残された。少しだけ川嶋先輩を恨んでしまう。巻き込んだのは俺なんだけど。
「では、メイク論争は終わりかな」
その一言に、俺は安堵からそっと息を吐いた。これ以上いじられるのは嫌な予感がする。
「まだちょっと未練がありますけどねー。せっかくの逸材なのに」
「何をさせるつもりなんですか」
「そりゃあもう、ナチュラルメイクに夢見がちなお年頃の男子を落とす――」
「ごめんなさい結構です聞いてすみませんでした」
ホント、聞かなければよかったね。
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