3章 目標――ありふれた日々の中で
1 配役(仮)
基礎練を重ねながら、更に一週間ほどが過ぎた。わずか一週間でも発声や姿勢がだいぶ矯正されてきたと思う。これは、ひとえに川嶋先輩の教えの賜物なのだろう。
「さて諸君。台本ができ上がったから目を通してみてくれ。自分の出番はもちろんだけど、他の人の台詞もしっかりチェックしておいてね」
「お前が書いたんじゃねえだろ……」
部長から少々厚めの台本を手渡される。A4が60ページくらいあるだろうか。
表紙は、無機質なフォントで『ロミオとジュリエット』とだけ書かれていた。
1ページ目をめくると、配役(仮)が記されている。
・幸村颯斗…… ロミオ
・神崎茉莉也……ジュリエット
・峰岸琴美…… ベンヴォーリオ
パリス
ロレンス
・大和恵…… 乳母
ティボルト
・川嶋信二…… エスカラス
サムソン
・二宮弘子…… マキューシオ
キャピュレット
・田中健吾…… グレゴリー
・菅原沙希…… バルサザー
・御厨紫苑…… キャピュレット夫人
「ちょいと苦労したぜ。パリスとロレンスが同時に登場するシーンを削ったり。そもそもパリスとロレンスの兼役って、少々ナンセンスな気もするけどな。そこは琴美にどうにかしてもらうわ」
「うむ。任された」
エキストラの三人には、台詞や登場回数の少ない役が割り振られている──と言っても、頻繁に顔を出せる御厨さんには台詞の多い役がふられているが。
「あとは……乳母がはけてからすぐにティボルトが登場するシーンがあるから、恵は衣装の早着替え頑張ってくれ」
「えっと、物による気がするんですけど」
「……頑張れ」
「殺生な!」
演じ分けか。大変そうだ。生半可だと混乱を生みかねない。
それほど心配はないけれど。恵先輩だし。
峰岸先輩はほぼ出ずっぱりと言ってもいい。あとは人数の関係か、召使やモンタギュー夫人を削除したようだ。
「何も問題が無ければこのまま行くつもりだ。茉莉也や颯斗が主役を降りるなら、私や信二、健吾あたりで調整しよう」
「新入生どもは自分の役のところにマーカーひくなり、わかりやすいようにしとけよ」
峰岸先輩は三色の蛍光ペンを持って、自分の役を塗り潰していた。役一つにつき一色ということだろう。シャッ、シャッ、キューッ、と紙に蛍光ペンを入れる音が響く。なんだか線を引く頻度が多いような。
ざっと眺めただけですぐにわかった。峰岸先輩の出番はかなり多い。
ロミオとジュリエットどころではない。最も台詞が多いのは峰岸先輩だろう。しかも、ひっきりなしに役が変わっていくため、どの台詞をどのタイミングで言うのか、こんがらがってしまいそうだ。難易度が一番高いのは峰岸先輩で間違いない。
俺の出番は――初挑戦の舞台にしては厳しくないだろうか、この台詞量は。きっと今、俺の顔色は青ざめていることだろう。
神崎は……無表情だった。肝が据わっているな、と思ったけど、驚いて固まっているだけかもしれない。その方が可能性は高い。
「一年生たち。言っておくが、毎年これくらいの出番は与えられているんだよ」
峰岸先輩がサラリと言った。峰岸先輩がずぬけているだけで、元々この部は代々スパルタらしい。
「私からアドバイスだ。自分の台詞だけじゃなくて、その前後の台詞も覚えておくのが重要だよ。自分の出番が一切無いところの台詞はともかくとして、前後くらいはまとめて覚えておいた方がいいだろうね」
確かに、自分の台詞だけ覚えたって、話し出すタイミングはつかめないもんな。
そう考えると、覚える台詞量は倍以上に膨れ上がる。先が思いやられる。
「しばらくは台本を手に持って、動きは気にせず台詞合わせの練習だけするから。とはいえ、なるべく早いとこ暗記をしておくように。それじゃあ、今日はこれで解散。各自台本に目を通しておいて」
今日は火曜日。舞台が使用できない日だ。
それならば今日は休んで台本を暗記し、明日に備えよう、ということである。
家に帰るか図書室にでも行くか。どうしようか迷っていると、神崎に袖を引っ張られた。
「あの、一緒に台本、読んだりできないかな」
「自主練ってこと?」
「そう」
神崎は、いつになく真面目な表情で肯いた。
「ロミオとジュリエットについて、共通の認識というか、意識を擦り合わせたくて」
確かに、二人の感覚がずれていると練習でぶつかり合ってしまいそうだ。擦り合わせるなら今なのだ。
「練習するのはいいけど」
と、川嶋先輩が横から声を掛けてくる。
「認識の共有程度に抑えておけ。今は動きとか、読み合わせとか、本格的な練習はするなよ。変な癖がついても困るからな」
「そこまで無謀なことはしないです。恐れ多い」
神崎も、大きくぶんぶんと首を縦に振る。頭にぐわんぐわん響きそうだ。
「それならいい。存分に話し合ってくれ。殴り合うくらいがちょうどいいと思うぞ」
「いや、そこまでは」
物の例えとはいえ物騒な表現である。
殴り合うくらい、か。神崎と言い合いをするのは……どうしても想像が及ばない。
「意見をぶつけ合うのは大事だよ」
峰岸先輩が、川嶋先輩に賛同する。この二人はたぶん殴り合うコミュニケ―ションを続けてきているのだろう。容易に想像がつく。
「二人で思っていることをぶつけ合うことで、言葉にすることで初めてわかることもある。そのときに抱いた気持ちはとても大切だよ」
言葉にすること。
言葉は不思議な力を持っている。神崎を呼び捨てにしたときだってそうだった。気持ちを整理するには、言葉にして吐き出すことが大切だ。相手の気持ちをすべて推し量ろうなんて、おこがましいことなのだから。
「それで、今度は私とも存分に殴り合おうじゃないか」
どうやら殴り合うコミュニケーションが峰岸先輩のデフォルトで、その相手は決して川嶋先輩に限らないようだ。
二宮先輩の苦笑いが、すべてのことを物語っていた。
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