8 ちょっとずつ
「幸村くん」
放課後になるとすぐ、神崎さんが珍しく俺の席までやって来た。いつもはもっとのんびりとしているのに。
「ちょっと待って」
神崎さんを挟んだ先に、じっと神崎さんの背中を見つめている戸倉が見えた。
別に惚れたとかそんなんじゃないだろうが、気になっているのは確かだろう。
……やっぱり、何か面白くない。
もやっとした気持ちを払いたくて、さっと立ち上がって鞄を持って廊下に出た。
「どうしたの。今日は早いじゃん」
神崎さんは、スススと俺の後に、小動物みたいについてくる。俺は斜め後ろに首を向けながら、肩越しに神崎さんに話しかけた。
神崎さんは、割と人の後ろにいることが多い。広がって歩いて幅を取らないように気を遣っているのだ、と気づいたのはつい最近のことだ。
「もしかして、三枝のこと?」
訊ねると、神崎さんはコクリと肯いた。
「色々聞かれた。ちょっと驚いた」
その様子は見ていたので、苦笑いを浮かべるしかない。
「お姉さんのことは言ってないから」
「うん。ありがとう」
神崎さんは、小さくほうっ、とため息をついた。
「むしろ、私の方が口を滑らせそうになった。三枝さんは凄い。スッと距離を詰めてくるんだもん」
「ありゃあ一つの才能だよ」
「私には無理かも」
「誰とでも仲良くなるなんて、必要なわけでもないだろ」
うーん、と呻る神崎さんを見ていると、引っ込み思案を克服したい気持ちはあるのだな、というのがわかる。
恥ずかしがり屋なのも神崎さんで。同時に、それを是と思わないのも神崎さんで。
応援したい気持ちはあるけど。でも。
「別に、神崎さんには神崎さんの良さがあるんだし」
「そう、かな」
照れたように顔を赤らめる神崎さんを見て、罪悪感がふつふつと込み上げてきた。
神崎さんはこんなにも純粋で、対して俺は煩悩というか、自分ばっかりで欲にまみれている。陰鬱とした心持ちで俯いていると、後ろからチリチリとした視線を感じた。
「どうした?」
「ええと……」
神崎さんは言い淀んでから、意を決したように息を大きく吐いた。
「三枝さんのことは、呼び捨て」
「ああ」
言葉足らずだけど、伝えたいことは理解できた。
最初におっかなびっくり「神崎さん」と呼んで、そのまま二週間が経過した。
あのときはまだクラスメイト全体の距離感を測りかねているころだったから、男が相手ならいざ知らず、女子相手となるとちょっと気がひけていた。
対して三枝は、だいぶクラスの雰囲気がほぐれたころで、しかも山崎経由で話したから、なんとなく流れで呼び捨てになっていた。
だからこれもいい機会だろう。願ったりかなったりだ。
「それじゃあ、神崎。……これでいいかな」
「うん」
神崎さん――いや、神崎は満足そうに、なぜかドヤ顔で頷いた。
一度口にしてみると、不思議と距離が縮まったようで気分がいい。ホント、単純だよな。
「俺のことも幸村でいいぞ」
すると、困ったように神崎は眉根を寄せる。
「男の子のこと、呼び捨てにしたことなくて」
嘘だろ。そんなの、この世にいたのか。だいたい大人しい女子だって、男子のことは呼び捨てにしているイメージなのだが。
「しばらくは、幸村くんで」
「まあ、そこは神崎のペースでいいさ」
自惚れじゃなければ、俺への壁はそれほど感じない。なら、今のままでもいい。
ちょっとずつ距離が詰まって行けば――。
ふと、昼休みの、三枝とのやりとりを思い出す。
『二週間で無理があるだろう』
『わからないよ。男と女だもん』
……いや、まさかね。
やっぱり、二週間で好きだなんだとアホらしい。
興味が湧いていることは、否定できないのだけれど。
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