3 自己紹介――演劇部部員
「仮入部期間が終了し、週が明け、月曜日の部活動の時間だ。みな大儀であった」
部室の片隅、ホワイトボードの前に立っている峰岸先輩は、なぜか扇子を取り出し、説明口調で優雅に微笑んだ。
扇子には、達筆な字で『将軍』と書かれている。どこに売っているのだろう。
「琴美。部長だからって偉そうにし過ぎだ」
「冗談だとも。みんな、ありがとう」
パチン、と扇子を閉じて机の上に置く峰岸先輩。何のために取り出したのだろうか。
「さて、今年の勧誘の成果を発表する」
ゆっくりと歩き出し、俺と神崎さんの前で止まる。そして大きく右手を広げ、俺たちのことを手で指した。
「今年は二名の部員が加入した。おめでとう!」
パチパチパチ、と手を叩く峰岸先輩。他の先輩方も一応続くが、あまり元気がない。
「現状維持だな」
ボソッと川嶋先輩が溢すが、峰岸先輩はしたり顔で頷いた。
「ま、部を潰さずに済んでよかったよ。うん」
「小っちぇえ。マジで小っちぇえよ」
川嶋先輩は嘆息し、パイプ椅子の背にもたれて足をだらんと伸ばし天井を仰ぎ見る。
「つーかよ。幸村も神崎も、最初から入部するつもりだったんだろ。つまり、俺たちの勧誘の成果はほぼゼロだ」
「エキストラは集まりそうだから、ゼロではない」
そう。部員は増えなかったものの、時折なら参加してくれる、というエキストラを四人ほど募ることができたのだ。
一人は、太一だ。最終日にちょろっとやってきて、筋トレに参加してから余裕の表情で文化祭のエキストラに志願した。峰岸先輩ともマイペースに会話していたので、こいつはやはり大物ではないだろうか、と改めて感じた。ちなみに、囲碁将棋部に入ったらしい。
二、三人目が、体験入部初日に一緒した、高倉さんと猪瀬さんだ。演劇部の活動自体は興味あるらしく、文化祭準備などは手伝ってくれるそう。二人はすでに手芸部に籍を置いており、「幽霊部員でもいいんだよ……?」、という恵先輩の一縷の願いを砕いて去って行った。
四人目が、
文学少女と紹介するからには、彼女は文学に興味津々なわけであり、当然のように文芸部に所属している。新聞部とも迷ったらしいが結局は文芸部に落ち着いたそうだ。
新聞部を考慮するくらいには活発な性格でもあり、演劇部の活動もやぶさかではないと言う。
そんな彼女を、なんと神崎さんがヘッドハントした。
まあ、実のところ順序が逆で、御厨さんいわく「同じ文学志向の匂いがします」、という神崎さんに話しかけたところ、うまく神崎さんが取り込んだのである。
同士を文芸部に引き込めなかったことは残念がっていたが、二人は友人関係になったので、それで満足はしたらしく、神崎さんが執心する演劇部に強い興味を持ったとのこと。
本日は文芸部の活動のため不在だが、手隙の際には演劇部の部室に顔を出してくれるらしい。週一回は来てくれるそうなのでとても頼りになる。
以上、四名がエキストラとして参加が決定した。
が、新入部員は二人である。先輩方からすれば心許ない人数だろう。
「エキストラは集まったさ。だから『ほぼゼロ』って言ったんだろうが。部費にはならねえんだぞ」
「どうせ使い道も大してないだろうに」
「あるに越したことはない」
「グチグチとうるさい副部長だこと。誠に小さい男だよ、信二は」
ふぅ、とため息をついて、峰岸先輩は仰々しく肩をすくめた。
川嶋先輩は青筋を立てながら「解せねえ……」、と呟いてから俯き、それっきり黙ってしまった。鬱憤を貯めているようで、峰岸先輩はそれを見て楽しんでいる節がある。実に高尚な趣味をお持ちだ。
「では、改めて自己紹介といこうか」
自然と身体が峰岸先輩の方へ向いてしまう。間の取り方、明るい声のトーン、声量などが絶妙で、人心掌握というか、人を誘導するのが非常にうまい。
「私が演劇部の長、峰岸琴美だ。やるからには全力疾走、全速前進、全力投球だ。座右の銘は『粉骨砕身』。よろしく頼むよ。一年諸君」
「よろしくお願いします」
よりにもよってなんて言葉をチョイスするんだろう。という気持ちと、峰岸先輩らしいなあ。という気持ちが交差していた。
「それじゃ、ちゃっちゃと回しますか。俺が副部長の川嶋信二。琴美のお目付け役だ。締めるところは締めるが、まあ気楽にいこうや。よろしく」
お目付け役、と言われた峰岸先輩は、一切を意に介していない。それが信頼の証であることは二週間の間で十二分に感じられた。
峰岸先輩は、川嶋先輩を信頼している。だから無茶ができる。
しかし、その信頼を一身に背負う川嶋先輩が多大なる苦労を強いられているのには、ちょっぴり同情してしまう。
あと、止め切れていないし、峰岸先輩が一切止まる気がないのも、本当にこのままでいいのかと疑問に思ってしまう。
二人は付き合っているのではないか。そう考えたこともあったし、結構噂も広まっている。少なくとも、一年の間でも話題に上がっているほどには。二宮先輩にそれとなく聞いてみたが、「たぶん違う」と否定された。断定はされていないので、本当のところは謎のままだ。
真偽はともあれ、二人の間に固い絆があることは紛うことない事実である。
「では、二年生の紹介だ」
「はいはい、
ガタン、と勢いよく立ち上がった恵先輩が、明るい声でピョンと手を挙げた。
「前も言ったけど、『大和』が苗字だか名前だかややこしいので、一年生は私のことを『恵先輩』、もしくは『恵さん』と呼ぶこと。以上、よろしく!」
峰岸先輩ほどの異常なカリスマと比べると、陰に隠れてしまっている感は否めない。
だが、その実力は折り紙つきで、川嶋先輩が「安心して来年の舞台を任せられる」、と称するほどだ。
部活動勧誘での一件で実力の一旦は垣間見ているし、あの感動は今でも思い出せる。紛うことなき次期エースだ。
ちなみに恵先輩は、川嶋先輩への恋愛感情を隠そうともしていない。それは気を引こうとするのと同時に、峰岸先輩へのけん制でもあるようだった。
もっとも、肝心の川嶋先輩は、恵先輩の気持ちにちっとも気づいていないようだが。
恵先輩が腰を下ろすと、入れ違うように音もなく二宮先輩が立ち上がって、深々とお辞儀をする。
「二宮弘子です。よろしくお願いします」
何か言葉が続きそうな。でも所作を見るともう挨拶を終えたような。なんだか不思議な間を残して、二宮先輩はまた音もなく静かに腰を下ろす。
ちょっとだけ間を置いてから、峰岸先輩が苦笑いした。
「……弘子、それだけか」
「あの……何か言おうとしたんですけど、忘れてしまって」
「これも弘子らしさかな」
姉のような優しい目で、うんうん、と峰岸先輩が頷く。
二宮先輩は、ほんわかふわふわしているのだが、舞台上では只者ではない。
体験入部の際、何度か発声練習に加わっていたのだが、豹変、という言葉がしっくりくるくらいの別人に様変わりする。普段はどこか心あらずのようにボーっとしていることも多いのだが、一度スイッチが入ると目つきや声質が鋭くなり、抜群の迫力を生み出すのだ。
川嶋先輩は補佐役だったため実力は未知数だが、女性陣は三人とも、素人でもわかるくらいにずば抜けた能力を持ち合わせている。
また、二宮先輩は有事の際にはテキパキと動き場をまとめる力も持っている。次期部長と峰岸先輩からも直々に言われていたほどである。実際、とても頼りになる先輩だ。
「さて、以上演劇部四名」
峰岸先輩は、カツカツと足音を立てて窓際に移動して、俺たちの方へと手を差し出した。
「私たちは、君たちを歓迎する」
変わる。変わりたい。今までの自分から、新しい自分に。
自分本位ではなく、人を楽しませられるような役者に。
ここから、俺の演劇部生活が始まるんだ。
「では、二人にも自己紹介をしてもらおうか」
神崎さんと視線を合わせる――と言っても、神崎さんは前髪で目が半分隠れているが。
アイコンタクトで、『どっちでも、いいよ?』、と言われた気がする。
こちらもアイコンタクトで『お先に行かせてもらいます』、と返事をする。神崎さんが頷いた。伝わったのだろうか。伝わっていてほしいところだ。
俺はスッと立ち上がって、小さく深呼吸する。
先輩方四人の目が、俺に集中する。それだけで緊張が高まってしまう。
舞台ではもっと緊張するんだろうなあ。
そんな風に一歩退いた感想を抱いたからか、少しだけ気分が軽くなった。
クイッと顔を上げて、先輩方一人一人と視線を交わしてから、ゆっくり言葉を紡ぐ。
「一年四組、幸村颯斗です。誰かを楽しませる演技がしたい。そう思って演劇部に入りました。精一杯頑張ります。よろしくお願いします」
頭を深々と下げると、拍手の音が耳に届いた。まだどことなくふわふわしていて、音が遠くから聞こえてくるようだった。
身体を起こし、ギクシャクした動きで椅子に座り直す。ようやくホッと一息つけた。
座るのと入れ違うように、神崎さんが俺以上にぎこちない動きで立ち上がる。いや、もしかしたら、俺もこれくらい緊張していたのかもしれない。
人が緊張している様子を見ると冷静になれる、というのは本当だなあ、としみじみ感じた。そして、俺が緊張しながら自己紹介していたのが目に入らないくらい、神崎さんは心底緊張していたのだとも感じられた。
俺の自己紹介、見てくれてなかったのかも。そう思うと、少し残念な気もする。
「お、同じく、一年四組、神崎茉莉也です。みなさんにはお話しましたが、私の姉は、俳優の神前織江です。姉も高校生のとき、演劇部でした。演劇部って、どんな部活なのか、興味が湧いて……今、私はここにいます。お役に立てるように、頑張ります」
ペコリ、と前髪を揺らして頭を下げる。
二週間前の放課後、淡い微笑みとともに語ってくれた言葉を思い出す。
『お姉ちゃんの見ている景色を、少しでも見たかったんだ』
かなりの恥ずかしがり屋なのは、十分にわかっている。
そんな彼女が、五つの集中した視線にさらされながら、顔を赤らめながら、たどたどしくも熱のこもった自己紹介をしている。
気づけば自然と、強い拍手をしていた。
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