7 演劇部、入部します!
「よかったぜ、幸村」
練習を終えてからの撤収中、川嶋先輩が俺の横に並んだ。
「夢中だったんで、いまいち自分がどんな声を出してたのか、覚えてないんですけどね」
「声出し、悪くねえよ。でも、演劇経験者じゃないよな?」
「はい。ただ、中学の友人に演劇部員がいたので、ちょっとだけ練習を見にお邪魔していた時期がありました」
「なるほど。さすがに初心者っぽくはあったからな。でも、声を出してみようっていう勇気がよかったな」
ポン、と俺の肩を叩いて、川嶋先輩が爽やかに笑う。
「幸村のおかげで、他の子たちもだいぶほぐれた。みんなあのとき、ぶっ倒れそうな表情してたからな」
「ですね……」
話しながら歩き出し、屋上を後にする。
全員が屋上を出た後、川嶋先輩がポケットから鍵を取り出して屋上に錠をかけ、扉にどっと寄りかかった。
「いきなりの運動で、そのうえ心の準備をする間もなく発声だろ。琴美のやつは急すぎるんだ。緩急がない。困ったもんだよ」
舞台上では違うんだがね、と嬉しそうな、困ったような、複雑そうな声音で言う。
「俺もあのときばかりは止めようと思ったがな。幸村が割り込んでくれて助かったよ」
「今思うと、ちょっと出しゃばったかなって。反省してます」
「いや、結局は俺が止めても、それでみんなの準備が整うとは限らない。けど、初めて見学に来た新入生にとっては、同士が頑張る姿ってのは力になる。上に言われる以上にな」
想像してみる。もし、神崎さんが先陣を切っていたら……?
見た感じ恥ずかしがり屋っぽい神崎さんが、大声で練習をする姿。それは励みになりそうだ。俺だって頑張りたい! って気持ちになりそうだし、人によっては、負けてなるものか! と昂っていくだろう。
「でも、俺が頑張る姿なんて、そんなに効果ありますか?」
「言い方は悪くなるが、粗削りだったのがなおさらよかったと思うぜ。これで幸村が超高校生級だったら、全員ノックダウンだったろうよ。お前が初心者だってわかるから、みんなついてきたんだ」
「そういうものですか」
「そういうもんだ」
外から見ていた川嶋先輩が言うんだから間違いないか。
何より、褒めるだけでなく現実的な批判をくれるのも、川嶋先輩なりのエールだろう。
「どうよ。演劇部の感触は」
屋上から下りながら、川嶋先輩が階段の手すりに右手を添えて、左肩越しに振り返って訊ねてきた。
「そうですね。思ってた以上にはまりそうです」
「そいつはよかった! ぶっちゃけ今日は全員ダメかと思ってたところだ」
「明日からのことは部室で話しますよ」
「おっ。やる気だね。サンキュー」
部室に戻ると、右奥のホワイトボードの前で峰岸先輩が仁王立ちしていた。なぜか得意げに胸を張っていた。その両脇には、二年生の女生徒が二人控えている。
峰岸先輩の左手側に立っているのは、外で部活動勧誘をしていた快活な先輩だ。大和恵先輩、だったか。ウサギのようなイメージが浮かんでくる。
もう一人の長身でスラッとした先輩は、どこか苦笑い気味。一年生たちの重たげな空気を察してだろう。この反応が普通な気がするけど、隣の二人が泰然としすぎている。
ちなみに一年生組だが、神崎さんは先ほどと同じ位置で椅子にちょこんと座っている。少しボーっとしているようだ。
高倉さんは椅子の背もたれに寄り掛かっており、猪瀬さんはテーブルに身体を預けるようにぐてっとしている。
みな疲労の色が見て取れる。俺だって、なまった身体が脳からの命令に反抗し続けているのだ。さっさと自宅のベッドの上にダイブしたい気分でもあった。
「全員集合したね」
部室の扉を閉めると、峰岸先輩は凛とした声を投げかけた。
それに呼応するように、神崎さんたちが身体を起こして峰岸先輩に向き直る。
「まずは幸村くんも座ってくれ」
そう促されたので、部活動前に座っていた椅子にゆっくり腰を下ろす。背中が突っ張って、筋肉の衰えを再度実感した。
川嶋先輩は億劫そうにしながらも、大和先輩の隣に立って、くいっと視線を上げる。
「一年生諸君、どうだったかな。感想を聞かせてくれ」
峰岸先輩が一番近くにいた高倉さんを見つめる。高倉さんは少し考えてから、言葉を選ぶようにたどたどしく口を開いた。
「そう、ですね……正直なところ、驚きました。想像より運動するんだなって」
「私もびっくりしました。結構大変でした」と、猪瀬さんが続く。
「うむ。演劇部の舞台は、程度の差こそあれ一時間前後は上演される。出番がないときも、着替えや、周囲の手伝いや、ひっきりなしに動くものだ。人によっては出ずっぱりのこともある。決して楽なものではない」
ここに来てさらに脅さなくても、とは思う一方で、今のうちにギャップを埋めておかないと入部してから後悔する、ということだとも理解できる。
峰岸先輩なりのある種の優しさなのだと、そう受け止めることもできるだろう。
「でも」
再び猪瀬さんが口を開いた。その表情は晴れ晴れとしている。
「久しぶりに大声を出して、スッキリしました」
「疲れたけど、その疲れも心地いいです」
高倉さんも、気力はかなり削がれているものの、決してそれを嫌がっているわけではない。身体を動かせば疲れを伴う。それとは裏腹に心が充実することもある。俺も久しぶりにそう思うことができた。
「では二人とも、入部は考えてくれるかな」
二人は顔を見合わせて数秒だけ気まずそうに固まった。その雰囲気からなんとなく答えは察することができた。
「数日、考えさせてください」
絞り出すように、猪瀬さんが言った。
峰岸先輩は残念そうにしながらも、
「ふむ。部活動はたくさんあるからね。ゆっくり考えるといい。もし興味があるなら、舞台があるときのエキストラで参加してくれても構わないからね。入部してくれるなら、これ以上のことはないのだけれど」
エキストラ。部員にならずとも、こうやってアピールしていけば、何人かは募ることができそうだ。多いに越したことはないだろう。
「幸村くんはどうだった。君がみんなを引っ張っていたように思うが」
峰岸先輩の言葉に、高倉さんたちが小さく頷いたのが見えた。ちょっとこそばゆい。
少し身じろぎをすると、床に置いていた鞄に足が触れた。
出すなら、今かもしれない。見えない力に背を押された感覚だった。
「引っ張ろうとか、考えてません。がむしゃらだっただけです」
そう言ってから、俺は鞄を開けて、ファイルに入れていた入部届を取り出した。
「入るからには全力で。それが礼儀だと思ったので」
立ち上がって、峰岸先輩に直接手渡す。
二年生の先輩二人の喜びの顔、川嶋先輩の安堵の顔が目に入った。続いて後ろから、高倉さんの感嘆したような「おぉ」という声が聞こえる。
「なるほど。最初から……」
そう呟いた峰岸先輩は、しげしげと入部届を眺めて、
「揺るがぬ意思。面白い」
ニヤリ、と笑った。良からぬことを考えている顔にも見える。心の裡が見えてこなくて、少し恐ろしい。
「琴美先輩」
長身の二年生の先輩が、ゆったりとした足取りで峰岸先輩の横に並ぶ。
「私、入部届を朝倉先生の所へ持っていきます」
「ああ。頼むよ、弘子」
「幸村くん。まだ初日だけど、本当に提出してしまっても構わない?」
弘子と呼ばれた先輩は、俺に視線を預けると、ほんわかした顔つきながら念を押した。
「問題ないです。参加して、むしろそれで気持ちは強く固まりました」
「わかった。ありがとう」
聖母のように微笑んで、相変わらずゆったりとした足取りで部室を後にした。落ち着き払っていて、一つ違いなのに大人な女性のイメージがある。つい頼ってしまいたくなるような、そんな雰囲気をまとっていた。
「はっはっは。いやあ、これで部員も二人。順調だねえ」
川嶋先輩の「どうだろうなあ」という呟きを無視して高笑いした後、凛とした出で立ちに戻る。
「幸村くん――いや、同士として、名前で呼ばせてもらう。颯斗くん」
「はい」
改まって何を言われるのだろうか。緊張して、背筋を伸ばしながら返事をする。
「私の直感が告げている。君は、将来この部の軸になるだろう」
「え?」
「私の勘は当たるんだ」
これはどう受け取ったらいいのだろう。
褒められているのか、発破をかけられているのか。普通に考えれば、単なる社交辞令ということだろうが。
こういうときには過度な期待をしない方がのちのダメージが小さい。それが俺なりのメンタルケアだ。後ろ向きなようで、前向きに生きるためのコツなのだ。
「ははっ。颯斗くんと、茉莉也ちゃん。これから楽しみになるねえ」
くるっと反転して、部室の隅に座る神崎さんを振り返る。
俺を見る神崎さんは、前髪で隠れているが、戸惑いの表情を浮かべているように見えた。
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