4 演劇部は文化部と運動部の中間

「体験入部一号で、新入部員……」

「そう。神崎はな、もう昨日のうちから入部届を渡しに来てくれたんだよ」


 川嶋先輩が視線を遣ると、神崎さんは小さくコクリと肯いた。


「にゅ、入部は、入学するときには、決めていたので」


 神崎さんはつっかえながら恥ずかしそうに言って、すぐにまた本で顔を隠した。

 驚きとともに喜びがあった。

 言わば、同士。話のとっかかりになるのではないだろうか。これから一緒にやっていくのだ、早いうちに仲良くなりたい気持ちがある。

 神崎さんは見るからに恥ずかしがり屋だ。裏方志望だろうか。


「いやあ、本当にありがたい。そんな一年生がもっと入ってくれるといいんだがなあ」


 川嶋先輩が困ったように言うものだから、今が提出どきだと、入部届を出そうと鞄に手をかける。

 ちょうどそのとき、ガチャッ、と小さく音を立てて扉が開いた。


「やあやあ。戻ったよ、信二」


 ふわっと花が咲いたかのように、周囲の空気が一変した。

 現れた峰岸部長は、そこにいるだけで他のすべてを呑み込む存在感を放っていた。

 舞台を降りても、彼女がこの場の主演なのだと感じさせる。

 彼女が立つその場所がステージになる。そう思わされる圧倒的なカリスマだ。


「何だ、琴美。その芝居がかった声のトーンは。仰々しい」

「ふふっ。部活動紹介でステージに立ってから、どうにも止めどきを間違えたね。『舞台の上の私』=『普段の私』と思われたみたいでね」


 ふっ、と峰岸先輩のまとっていた雰囲気が変わった。カッコイイのは変わりないけれど、少しだけ物腰が柔らかくなったような。そんな、剛と柔が同居した佇まいだ。


「いやあ。参った参った」


 相好を崩して、頬をポリポリと掻く。

 その仕草や表情は、大人びていながらも、なんと言うか、高校生らしさのような、『ああ歳が近いんだなあ』という感じがする。峰岸先輩をほんのちょっとだけ身近に感じることができて、ほんのちょっとだけ安心感を覚える。ほんのちょっとだけ。


「とか言って、楽しんでるだけだろ。お前の場合」

「否定はしない」


 茶目っ気たっぷりに、峰岸先輩がウィンクする。キザな所作も様になる。

 主演が似合う人、脇役が似合う人。どちらが優れているとかではない。脇役で目立つ人も、いくらでもいる。

 どちらの方が映えるか、その人の持つ適正というのは滲み出るものだ。

 峰岸先輩は、間違いなく主役向き。その方が映える。絶対に。

 俺は、どうだろう……やっぱり脇役かな。


「おや。体験入部かな」

「は、はい」


 本当に今気づいたのだろうか。もっと前から、部室に入ったときから気づいていたのではないだろうか。それくらい自然な動きで、毅然とした態度で、けれど人懐っこく俺に向かって微笑んだ。元が美人だから、そう笑いかけられると照れて緊張してしまう。


「それは僥倖。立ってないで、座っていいんだよ。ほら」


 そんな俺の緊張をほぐすように、峰岸先輩は手近なパイプ椅子に座るように促した。

 それから、部室を一通りぐるりと見回して、川嶋先輩に向き直り、


「ふむ。一人だけかい?」

「ああ……言いにくいんだが、一人だけだ」


 苦虫を噛みつぶしたように渋い顔をして、川嶋先輩は両肩を上げた。


「少ないね。ま、放課後はまだ始まったばかりだ。ゆるりと待とうじゃないか」


 名簿を手にして、悠然と椅子に腰かけ、足を組む。紺のハイソックスと、白い脚線美のコントラストが目に眩しい――とガッツリ凝視しそうになって、鋼の理性で振りほどいた。


「幸村颯斗くんね。へえ。茉莉也ちゃんと同じクラスなんだね」


 語尾を弾ませながらゆったりと名簿を眺めて、再び俺に楽しげな視線を送る。


「演劇に興味あるんだ?」

「はい」


 ちょっと食い気味に返事をしてしまった。


「おお。はっきり言い切ったね」

「よし。これは脈アリだな」


 峰岸先輩と川嶋先輩が、顔を合わせてニヤリと笑う。


「ちなみに、役者と裏方なら、どっちがご所望かな」

「可能ならですが、役者で考えてます」

「いいね。これも即答だ。二人目で決まりかな」


 冗談めかして峰岸先輩が言った。

 本気で期待しているわけではないようだが、ところがどっこい。そうです。入部希望者、二人目です。


「失礼します」


 返事をしようとしたところで、二人の女生徒が入ってきた。思わずガクリと肩を落としてしまう。

 タイミングが悪い。いや、俺が気を逸しているだけか。

 なんだかなあ、とこっそりため息をつく。


「やあ、ようこそ。体験かな?」

「はい。高倉あずさです」

猪瀬いのせ由香里です」

「よく来てくれたね。歓迎するよ」


 高倉さんと猪瀬さんが、川嶋先輩の指示に従って名簿に名前を記入する。

 二人とも、チラチラと峰岸先輩を窺っていて、憧れを抑えきれていないようだ。


「あの、部員募集のチラシをもらって」


 高倉さんが、綺麗に折りたたんだチラシを丁寧に広げる。


「ああ、恵から誘われたんだね」

「あ、はい。大和恵先輩、でしたか。そうです」


 大和恵先輩。外で、人並を掻き分ける澄んだ声で勧誘していた、ぴょんぴょん飛び跳ねていた先輩のことだろう。


「その、今日は発声練習を見せてくれるんですよね」


 高倉さんが、チラシの右下を指差す。

 部活動紹介のパンフにも、『月・水・金は大講堂で練習』とか、『火・木は屋上や空き教室で練習』とか、『見学時は主に筋トレ、発声練習』などと書いてあった。

 今日は火曜日だから、ステージでの練習の見学はひとまずお預けだ。機会は今後いくらでもあるのだから構わないけど。


「ここ、『ジャージ持参で発声練習に参加可』、って書いてあるんですけど」

「そうだね。今日は屋上を借りているから、そこで練習する。身体を冷やさないようにジャージは着ておいてほしいかな。練習は、私と、そこの信二の二人で教えるよ」


 高倉さんと猪瀬さんの顔が華やいだ。結構好感触で、部活への興味もあるらしい。

 川嶋先輩はその様子を見て、安堵の表情でしきりに頷いていた。


「茉莉也ちゃんは持ってきてくれてると思うけど、幸村くんは?」

「あ、はい。持ってきてます」

「うむ。よろしい」


 峰岸先輩が「茉莉也ちゃんはもう入部届を出してくれたんだよ」、と言うと、高倉さんたちはさすがに驚いていた。そりゃそうだ。俺だって驚いたんだから。


 そのまま峰岸先輩は部活動見学に来た二人と世間話で盛り上がり始めた。高倉さんたちは実に楽しそうだ。

 手持ち無沙汰になった俺は、鞄を椅子の横に置いて、ぐるりと周囲を見渡す。


 本棚には文庫本、単行本がいくつも並んでいる。本棚の横には木製のクローゼット。年季が入っている。窓際の壁の端っこにはホワイトボード。あとは鍵付きの、謎の棚も置いてある。中には重要な書類でも入っているのかもしれない。


 不意に神崎さんを横目に見ると、どことなく顔色が悪そうだった。

 前髪が長いから陰鬱そうに見えるとか、そういうのじゃなくて、本当に憂いを帯びた表情で、例えるなら日曜日の夜のような憂鬱さ。あ、これ結構しっくりくるかも。


「ええと、神崎さん、大丈夫?」


 歩み寄って、できるだけ柔らかく声を掛けると、神崎さんはコクリと頷いた。


「だ、大丈夫です。ただ」

「ただ?」

「昨日、ちょっと、見学させてもらって……」


 神崎さんは、思い返すようにちょっと上を向いて、ぶるっと身震いする。


「筋トレ、あまり気が進みません」

「ああ、なるほど」


 演劇部なのに筋トレ? と思うかもしれないが、舞台は長い時間、例えば一時間から二時間ほどステージの上を動き回る。体力は必要だ。その中で大声を張り続けなくてはならない。腹式呼吸のために、綺麗な姿勢を維持するために、腹筋と背筋は必要なのだ――これは、日下部から聞いた話である。


 俺が通っていた中学の演劇部は、あまり筋トレをしていなかった。そもそも顧問が演劇に詳しくない。

 日下部は、独自にトレーニングしていたらしく、「ちゃんと専門的な指導を受けたいな」、とよくぼやいていた。


 神崎さんは、本を持っているのもあると思うけど、ぱっと見のイメージで文学少女ぽい。教室で見かけたときから今まで、そのイメージは変わらない。肌の白さからも、どちらかというとインドアなのは見て取れる。


「そりゃそうだよね。元運動部の俺でも筋トレは好きじゃないし」

「あ、たぶん、勘違いしてます」

「勘違い?」


 神崎さんは、一層落ち込んだ様子で、精気が抜けたような表情になった。ズーン、という効果音が聞こえてきそうだ。


「練習、行ってみれば、わかります」

「え、どういうこと」

「聞きますか? 先に聞いちゃって、いいんですか? 後悔しませんか? 本当に、後悔しませんか?」


 割とよく喋る子なんだなあ、なんて余計な分析をしながら、特に何も考えないで頷く。


「運動部と同じくらい、筋トレ、しますよ」

「へえ」


 演劇部って文化部だよなあ、と、うろんな気分で相槌を打った。

 確かに筋力が必要だとは聞いていたけど、「運動部と同じくらい」と言われると、そんなにやる必要があるのだろうか、と訝しく思ってしまう。

 いつの間にか横に立っていた川嶋先輩が、「逃がさねえよ?」、と言いたげな獰猛な笑みを浮かべていた。


 へえ。本当にそうなのか。

 ……そうなんだ?

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