第9話

 猪や鹿は弓矢とか罠とか使って狩るのが基本らしいから、オレは相手にしたことがなかった。

 食堂で肉をご馳走になることはあっても、本体はあんま見たことがない。そりゃ、知識としてどういう姿をしてるのかは知ってたけど、動いてるトコは見たことがなかった。

 だから、「大猪だ」って言われても、それがどれくらいの大きさなのかイマイチよく分かってなくて、実物を見てギョッとした。


「逃げろー!」


 村人の誰かの叫びに、キャー、ワー、と悲鳴が混じる。

「猪は真っ直ぐにしか走れねぇ! うまく避けろ!」

 大声で注意して回ってるのは、弓を担いだ猟師たちだ。

 のどかなハズの夕暮れの山村、夕闇に包まれる村の端に不穏な土埃が立ち上がり、時々ドゴーンと破壊音が響く。

 その度、建物や柵や塀が壊されるみたいで、キャーキャーと悲鳴が響いた。

 ものすごいスピードで駆けてる「何か」は、平原の野牛よりも大きそう。確かにまっすぐにしか走ってないけど、すごく力は強そうだ。背中に何本も矢が刺さってるのに、ちっともダメージないみたい。


「そっちへ行ったぞ!」

「逃げろ!」

 大声で忠告され、反射的に剣を構える。弓矢でダメならコレしかない。

「皆、下がれ! エル、やるぞ!」

 シドも同じく剣を構え、いつもみたいにオレに言った。

 彼の言葉には力がある。身分を知る前は分かんなかったけど、きっと支配者の器ってことなのかも。

 その覇気は事情を知らない人にも伝わるみたいで、みんな見知らぬ顔の彼に従い、自然とオレらから離れてる。さっきオレを庇ってくれた、あの少年も離れてる。


 土埃を立て、まっすぐこっちに向かって来る大猪。

 オレらを怖がる様子も、剣を警戒する様子もない。ぐるんと突き出た2本の牙が、夕日を受けて光ってる。まるで怒って角を振りかざした野牛みたい。けど、だから、狩り方も分かる。

 シドと左右に別れ、前足を狙うオレ。

 猪の突進をギリギリで躱し、狂走の前足をすれ違いざま斬り付ける。同時にシドは剣を下から振り上げて、大猪の首を斬り払った。


 ブヒィィッ。悲鳴を上げ、大猪がドウッと倒れる。よし、と思ってる暇もない。ダッシュで駆け寄り、飛び上がって上から剣を叩きつける。

 1撃、2撃、シドと2人がかりで斬りつける度、大猪がビクンと跳ねる。再び立ち上がられたら厄介だから、その前にトドメを。

 怖くても気持ちを強く持ち、ためらいや優しさを封じて戦う。

 手負いの獣程怖いモノはない。中途半端な哀れみは仲間や周りに被害を及ぼす。戦士なら戦え! そんな知識も、シドと相棒になってから知ったことで――その懐かしい感覚に、涙がにじんだ。


 大猪にトドメを刺した後、ふう、と息を吐いて剣を収めると、同時に周りからどわっと歓声が沸き起こった。

「やったー」

「すげー!」

 避難してたハズの子供たちの声も聞こえて来て、ハッとする。

「エル、すごかった!」

「格好いいー!」

 子供たちの無邪気な称賛の中に、「息ぴったりだったな」って狩猟者仲間の声も混じる。


「当然だ、最高の相棒だからな」

 シドが得意げにそう言って、「なあ」ってオレをまっすぐに見た。

 整った顔にはいつも通り自信が満ち溢れてて、格好良くて眩しい。好きだなって思った。胸が痛い。やっぱオレの相棒は、シドでしか有り得ない。けど。

「でも、オレはふさわしく……」

「ふさわしいかふさわしくないかは、オレが決める。それに周りをよく見ろ、オレたちがふさわしくないなどと、誰が言う?」


 促されるように周りを見ると、みんな笑顔でドキッとした。

 「いやー凄かった」なんて笑ってて、オレやシドの肩をぽんぽんと叩いてねぎらってくれる。


 山村の住民はみんないい人で、贔屓ひいきだとか邪魔者だとか、オレをキツイ目で見る人はない。

「おーい、解体場持ってけよ」

「荷車がいるな」

 わいわいと大猪を陽気に囲み、お祭り騒ぎな雰囲気だ。

 弓矢を持って走り回ってた狩人たちも、「倒せてよかった」ってホッとしてて、獲物を横取りしたなんて怒ってもない。


「ここは、もうあの街ではない。オレも家を出た。もう貴族ではないし、アレイの名も名乗らぬ。今はただの狩猟者のひとりで、お前の相棒だ」

 オレに言い聞かせるように、シドがキッパリとそう告げる。

 夕闇に包まれ、あちこちに篝火が焚かれる山村。賑やかでよそよそしい街とは何もかも違ってて、シドひとりだけが目の前に立つ。


「帰れなどと、今更言うな。オレにはお前だけいればいい」


 ゆっくりと伸ばされる腕に、抵抗しようなんて思えなかった。

「い、いの……?」

 呆然と呟くオレを抱き締め、彼が「さっきからそう言っている」って苦笑する。

「で、も、お見合いのお相手は」

「縁談は、最初から断るつもりだった。だからお前に告げる必要もないと思った。すまない」

 初めて聞かされた事実に、胸のつかえが融けて行く。すぐに消える訳じゃないけど、息苦しさが減っていく。


「オレもお前のことが好きだ」

 耳元に告げられる言葉に、じわじわと喜びが広がる。

 オレの好きと彼の好きとが同じだとは限らないけど、嫌われてないならそれでいい。ふたりでまた狩りができるなら、今はそれ以上望まない。

「ほら、皆がお前を呼んでいる」

 穏やかな声と共に背中をぽんぽん叩かれて、シドから身を離し、目元をぬぐう。


「おーい、解体していーのか? 毛皮はどうすんだ?」

 解体師のオジサンが、遠くからランタンを振るのがちらりと見えた。

「なあエル君、牙は不要だろ?」

「肝はあたしにくれんかね?」

 武器屋のおじいさんや、薬屋のおばあさんが、嬉しそうにオレに声を掛けて来る。


「獲物を狩って、売って、それで終わりではないのだな」

 興味深そうにやり取りを聞きながら、シドが感心したように言った。こんな村のやり取りも彼に見せたかったモノの1つだから、夢が叶って嬉しい。

「いい村だ」

 しみじみ呟かれる言葉に、「うん」とうなずく。



 貴族で、街の領主の子息でもあった彼が、この山村の良さを分かってくれる。オレを「相棒」って呼んでくれて、一緒に歩幅を合せてくれて、当たり前のように隣を歩いてくれる。

 それがすごく大事なことだって分かるから、オレも素直に良かったと思った。

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