クラブでの邂逅
土曜日が明けて午前零時過ぎの渋谷円山町に克文は朋恵と一緒にいた。葵と来て以来だった。克文は葵と利用したホテルに向かって歩いていた。他のホテルでも良かったのだが、行ったことがあるホテルの方が安心できた。
土曜日の午後、あろうことか朋恵から誘いがあった。待ち合わせ場所に現れた朋恵は、スリットの入った白のタイトスカートに黒Tシャツという服装だった。カジュアルながら適度に女性的であり、克文は魅力を感じた。
二人で渋谷のワインバー――客の大半が若い女子という克文には初体験の店――で飲んだ後、ビルの十階にあるDJバーに行った。客は外国人率が高かった。モデルでもやっていそうな美人の白人女の二人組が目についた。他には若い男のグループやカップルがいた。ワインバーで、朋恵は克文にいろいろな質問をぶつけてきた。それに答えて、克文はどの大学を出て、どこに就職して、いつから翻訳の仕事をしているかといったことを答えた。自分が朋恵に魅力を感じていたことはバレていた可能性があった。そこで今日のこの誘いがあったのだ、と克文は考えた。
DJバーで向き合って踊るとき克文は葵と踊ったときのような興奮を覚えた。妙齢の女は、微笑をたたえたまま自分から目をそらさなかった。それは紛れもないサインだった。克文の視線は朋恵の顔とTシャツを押し上げる胸の膨らみを行ったり来たりした。
(最高だよ。朋恵ちゃん)
克文は美女の頬に触れた。次に髪と胸に触れた。朋恵はされるがままだった。克文はその胸の柔らかさを堪能すると、今度は手を下に伸ばした。克文の手が相手の股間に触れると手首を掴まれた。
「ダメよ。ここでは」
朋恵は克文の耳元でそう囁いた。
「じゃあ、場所変えようか」
「そうね」
克文はまだ半分以上残っているジントニックを急いで飲んだ。
ホテルの部屋まで葵と使った部屋と同じだった。克文はここに来て、これは完全に遊びであると認識した。朋恵は自分のことを好きというわけではない、と。
「じゃあ、シャワー浴びてくるね」と朋恵は部屋に入って開口一番に言った。
克文はベッドに横になった。朋恵が親戚であることがまたぞろ頭をもたげてきた。別に親戚でも付き合うのは問題ないが、遊びでこういう関係を持つのはまずい気がしてきた。確かに朋恵のことを好きと言っても良かったが、やはり関係を持つのはどうなのか。妹のようなものなのに。たとえば、付き合ったとしてもそれは妹に話せることではない。少なくとも結婚するまでは。
しかし、今更止めることはできなかった。克文は朋恵と入れ替わり、シャワーを浴びると、ベッドで全裸になっている朋恵の体を弄った。朋恵の身体は華奢で、胸は小ぶりだった。陰毛は長めだった。克文はM字開脚させると、クンニした。
メイクラブというよりはプレイと言ったほうが適切なセックスが終わると、二人でシャワーを浴びた。時間は午前一時半だった。ホテルは宿泊コースだったが、克文は眠れそうになかった。朋恵も土曜は昼まで寝ていたそうなので、まだ元気そうだった。この付近はクラブが密集しているエリアだった。そこで、克文はクラブに行くことを提案した。
「いいね、行こうか」と朋恵。
二人は老舗のクラブ、〈WOMB〉に来た。メインフロアの他にいくつかフロアがある大箱である。今日のイベントのメインDJは、ウクライナ出身の若い女性DJだった。
メインフロアは人でごった返していた。克文は朋恵の手を取り、フロアの半ばまで進んだ。テクノの重低音と闇を走るライティングが相まって、いやが上にも興奮は高まった。闇の中に浮かび上がるDJは神々しいものがあった。
ひとしきり踊るとバーフロアのソファに二人で座った。バーフロアは、ある程度照明があり、メインフロアよりも音量は下がっていたが、会話しやすい音量ではなかった。
「今日はなんで僕を誘ったの?」
克文は訊きたかったことを訊いた。
「なんでって。この前のお礼というか……」
「義理堅いんだね」
朋恵は宙を見ていた。自分が言ったことが聞こえていることは明らかだった。
「私、トイレ行ってくる」
朋恵はそう言って立ち上がった。彼女はただ寂しさから自分を誘ったのだ、と克文は考えていた。いずれにしても、自分は受益者である。少なくとも短期的には。かりにこのまま従妹と付き合うとしたら、長期的にも客観的に見て自分は受益者になるだろう。しかし、それは現実的なことだろうか?
朋恵と関係を持ったことの帰結についてあれこれ考えているときに、フロアの「クラウド」の中に見知った人たちを見つけ、目を疑った。それは葵と拓だった。二人は向き合って踊っていた。葵は肩が露になった白のオフショルダーのトップを着ていた。
今や大音量の音楽もBGMになった。克文の全神経は二人だけに注がれた。今すぐ二人を引き離したかった。
(完全に葵の色香にあてられたな)
嫉妬の暗い炎がメラメラと燃えたぎった。と同時に、拓への怒り・悲しみが渦巻いた。
(再会して、友情がまた始まると思ったのに。これでどんな友情もあり得なくなったというものだ)
目の前の光景は拷問でしかなかった。葵と「友達でいる」とはこういうことを許可することだが、それが不可能なことはもはや明白だった。
二人はついに唇を合わせた。ちょうど克文が出会った夜に葵にそうしたように。
その時点で嫉妬は諦めと傾いた。拓ならまだましだ、と克文は思った。見ず知らずの男でないだけましだ。思えば、自分も言葉を裏切る行動を取った。つまり、朋恵と関係を持った。これは因果応報ではないか。とはいえ、これは妻帯者のやることではない。
克文の中のどす黒い感情は、嫉妬から義憤へと変わりつつあった。拓に何か言えるとしたら、人倫に悖ることをしていると言いたかった。
「どうしたの? 険しい顔して」
朋恵が戻ってきた。克文は朋恵を自分の対面に座らせた。そうすることで、克文はフロアから見て朋恵の陰に入った。
「踊ろうか?」
会話する気にならなかった克文はそう言った。
「いいけど……」
朋恵は怪訝な顔をした。朋恵に説明するのは面倒だった。克文は二人から離れたフロアの隅に来た。自分が何をしようとしているのかわからなかったが、イチャイチャしている二人から目が話せなかった。どうしたものか、と克文は思案した。
「何、見てるのよ?」と朋恵。
「……何って」
「あの二人でしょ。知り合いなの?」
「知り合いというか……。前に話した彼女なんだ」
「えっ!? 本当に?」
朋恵は二人の方に視線を向けた。
「でも、一緒にいる人と仲良さそうだよ」
「そうだね」
「どうするの?」
そう問いかける朋恵は自分を取るのか、葵を取るのか選択を迫っているようだった。目の前の妙齢の女を取るのが普通だろうか? そうすれば、何の波乱もなくことを丸く収めることができる。しかし、克文は二人をそっとしておくことはできなかった。
最初に克文に気づいたのは葵だった。葵は目を見開いた。次に拓が振り向いた。
「あっ! こんなところで会うなんて、すごい偶然だね」と拓。拓の顔は引きつっていた。
「ずいぶんと葵と仲良さそうだね。これも戦略なの?」
「そうだよ。察しがいいね」
「でも、キスはやりすぎだろ」
「ああ、それはまあ何というか。流れでそうなったんだ」
「信じられないな」
克文はもう拓が言っていた計画が終わったことを悟った。そこで、直接葵を奪取しようと試みた。克文は葵の方に歩み寄ると、言った。
「彼は僕の友達で、妻子がいる。君のことが本当に好きなわけではない。でも、僕は違う。君の最後のメッセージから辛い日々を送っていた。こうして今日再会できて、嬉しいよ。また、二人で会ってくれないか?」
葵は一瞬拓に険しい視線を向けた。それから、こちらを見て言った。
「でも、彼女と一緒でしょ?」
葵はそう言うと、克文が今までいた方を目で示した。克文が葵の視線の方を見やるとそこにはこちらに視線を向けている朋恵がいた。
「あー、彼女が例の従妹だね。なるほど雰囲気似てるじゃないか」
拓は急に勢いづいて言った。
「そうさ、ビンゴ」
「彼女は従妹なんだ」
克文は葵に向かって言った。
「彼女は最近失恋してね。僕はまあ、何というか寂しさを埋めるための存在に過ぎないんだ。僕はまた君と仲良くしたいってずっと思ってた」
「無理よ。残念だけど……」
そう言うと、葵は背を向けて、克文から離れた。拓が後を追ったが、拓も突っぱねられた。葵の反応は想定内だったが、力が抜けた。克文はソファに沈んだ。朋恵もいなくなっていた。かすかな希望が潰え、克文はもう葵とは友達にもなれない、と悟った。一つ良かったことがあるとすれば、拓の思惑を阻止したことだった。
克文がソファで一人ぼんやりとウイスキーを飲んでいると、朋恵が隣に座った。朋恵は暗い表情だった。さっきまで一緒に浮かれて踊っていたときのテンションとのギャップがひどかった。
「踊ってた?」と克文はどこか間の抜けたことを訊いた。
「彼女さんから聞いたよ。さっき従兄さんが彼女に言ったこと」
「……ほんとに?」
二人が会話を持つなど予想だにしなかったことだった。
「私のことそんな風に見てたなんて、心外だわ」
「『そんな風に』ってどんな風に?」
「……『寂しさから誘った』なんてひどい!」
「違うの?」
「違うよ」
「じゃあ、僕のことが好きなの?」
「どうかな。今は好きじゃないかも。じゃあ、私帰るね」
朋恵はそう言うと、立ち上がった。時間は午前三時になったばかりだった。
「まだ電車ないよ」
克文はそう言うと、朋恵の手首をつかんだ。
「寂しさから関係を持ったのは自分のほうだ。悪かった」
「もういいのよ。でも、女を甘く見ないでね」
「また会ってくれるかな?」
「さあね。好きな女に振られたからと言って、私を代わりにしないで」
「……代わりだなんて」
克文は自分が代わりになったと思っていたが、口にしなかった。
「とにかく、今日僕らの間にあったことは、悪いことではなかったはずだ。それを大切にしようよ」
「考えてみる。私やっぱりタクシーで帰るね。もう眠くなったし」
何か顔にチクチクする感触があった。三毛猫が顔の側で寝ていた。克文は自分が店の奥の個室席で寝ていたことに気づいた。時間は午前六時近くだった。
「起きましたか」
克文が姿を現すと煙草をくゆらせていたマスターは言った。
「ご迷惑おかけして、すみませんでした。ところで、拓……、あの、僕は誰かと会話してましたか?」
「いえ、誰とも。眠そうだったので、そちらの席に誘導したんですよ」
「そうでしたか」
克文は家まで歩いて帰った。その途中で葵にメッセージを送信した。
「わかった。それでいいよ」
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