4章 第7話 確かにあったもの
「………はぁ………はぁ」
レイナを背負ってがむしゃらに走った。
息切れする頃には、もう病院は見えなくなっていた。
「逃げ切れた………?」
「………ふひひっ」
背後からの声に背筋が凍った。
そこにいたのは───No.4ラフだった。
「どうしてここに………?」
嫌な予感がする。
「……お、おれバザーから言われたんだ。そ、その、君たちを好きにしてい、いいって」
ラフが鼻息を荒く立てる。
「だ、だから………ふひひっ」
「きゃ………ッ!」
ドンッ、と勢いよく吹き飛ばされる。
弾みでレイナが落っこちた。
「レイナ………!」
ラフはわたしに馬乗りになり、両手を動かせないよう、強く掴んだ。
(ヤバい………!動けない……!)
ラフが乱暴にわたしの服を破く。
白い肌が露出する。
「ん………ッ!」
「はぁ……はぁ……一目見たときから、君に夢中だったよ………。とっても、き、きれいだ………。君の"中身"も見たいなァ………」
興奮するように捲し立てる。
───その顔は、おぞましいものだった。
「……ふひひっ。ガイアを差し置いて、おれがなんでラフって、な、名前か知ってる……?」
それは、笑いではなく"嗤い"。
見たもの全てを恐怖させる不気味な嗤いと、粗暴な態度。
ラフという名に見合う、おぞましい生き物だった。
「そ、その美しい眼も、生温かいはらわたも、未発達な膣も……や、優しく取り出してあげるから………ね?」
「だ、誰か………助けて……!」
必死にもがくが、この男はびくともしない。
むしろ、さっきに増して興奮してるようにも見える。
「ふひひっ……!まずは目玉か─────ら?」
─────突然、ラフの動きが止まる。
「───え?」
同時にラフの首元から血が激しく吹き出した───────────!
「ンーこれって裏切りカシラ?ま、どうでもいいかそんなコト☆」
虚な目でラフが倒れると同時に、視界が開ける。
そこに立っていたのは─────口角を吊り上げたカプチーノだった。
「カプ……チーノ……?」
「そうよォ☆元気にしていたカシラ?」
カプチーノは笑顔を絶やさない。
それが、今は悪い想像が働く。
「あなたもわたしたちを追って………?」
「ンーまあ、そうなるわね。バザーの命令でね。あなたたちを消しなさい、って」
「………!!」
ラフだけじゃなくカプチーノまでも差し向けてきた。
バザーは本気でわたしたちを消す気だ。
「バザーは極度の心配性でね。不穏因子は根絶やしにするタイプなの。ガイアなんか、最優先の抹殺対象だったんダカラ☆」
陽気にカプチーノが語る。
「……で、何があったかは知らないケド、肝心なのはそこじゃないの。命令されたら、逆らわない。これが天使のモットーよね☆」
カプチーノがわたしに銃口を向ける。
「なにか言いたいことはある?」
顔から表情が消えた。
まるでさっきまでのは作り笑いで、素はこっちであるかのように。
「なんでわたしを助けてくれたの………?」
ラフは仲間だったはずだ。
なぜあんなことを………?
「………か弱い女のコの悲鳴なんて聴いてられないでしょ。気にしないで。あれは自分のためよ」
カプチーノがなんでもないように言った。
それが本心かどうかは読み取れない。
でも───────────。
「それで終わり?命乞いはしないのカシラ?」
「………あるよ。言いたいこと」
「何カシラ?」
初めに会った時に、言わなければいけなかったこと。
これは、伝えなければならなかった。
「───カプチーノたちを裏切ってごめんなさい。そして、助けてくれて────ありがとう」
信じる、と体のいい考えで戦線離脱して、カプチーノたちに迷惑をかけた。
わたしの話に賛同してくれたのにも関わらず、だ。
悪いことをしたと思ってる。
罵って、殺すのも正当な権利のはずだ。
なのに、カプチーノは理由はどうあれ、わたしをラフから助けてくれた。
だったら、ちゃんと謝罪と感謝を伝えなければならない。
「────そんなこと言って、命を乞う気?」
「出来ればまだ生きていたい。けど、あなたの手で裁かれるなら────それは正しい"死"のはずだよ」
ライヤーが命懸けで救ってくれた命だが、きっとこの終わり方は正しいものだ。
わたしにはもう何が正しくて、何が間違っているのか分からなくなってしまった。
だからせめて、本当に正しいんだろうと信じれることだけ貫いて死ねれば。
わたしもきっと、報われるはず───────。
「……………ふざけんじゃないわよ」
「………え?」
カプチーノが勢いよくわたしの胸ぐらを掴む。
咄嗟のことに反応出来なかった。
「正しい死?ふざけんじゃないわよ!死に正しいもクソもないわ!そうやって繋いでもらった命を軽々と捨てちゃダメだろうが!!」
カプチーノが激昂した。
それは、今までのカプチーノからは思いもよらない形相だった。
「………いい?アナタはたくさんの命を奪って、そしてたくさんの命に救ってもらってここまで来たんでしょ!?なら簡単に諦めんじゃないわよ!!」
「わたしみたいな………機械に?」
わたしは機械だ。
もしも、なんて馬鹿らしい。
役割も、心も、存在意義も、機械として与えられているに過ぎない。
「………カプチーノ。わたしはそうはなれないよ。バザーとの話ではっきりしたんだ。わたしは機械だって。だから、そういうのは理解出来ないよ」
「────アナタは卑下のようにその言葉を使うけど、同時に諦める理由にしてるのは自覚してる?」
「────!それは………」
「考えるのを放棄して、ただ自分のやってることが"正しい"って妄信的に信じて生きてきたのね。レイナが心配するのも頷くわね」
「レイナが………?」
いつの間にか意識が戻ったのか、路傍でうずくまってるレイナに顔を向ける。
レイナの反応はない。
「そ。ひどく憂いていたのよ、あのコ。いつ壊れるか分からない心で、"正しいこと"を成そうとするアナタをね。こう見えて結構相談されてたのよ」
(レイナが………)
心配してくれていたのは知っていた。
だが、そこまで苦しめていたなんて、思いもよらなかった。
「………ねえ、カプチーノ。わたしのやっていたことは………正しいことだったのかな……?ヒトを殺して、本当に幸せにしてあげれてたのかな………?」
───自分の中の、大事な支柱が崩れ去るのを感じた。
これだけは正しいと、信じたかった。
だからここまで続けられた。
この支えがなければわたしもとっくに壊れたか腐っていたはずだ。
ちょっとした疑念はあった。そのために、女神様を探した。
ただ今考えれば、それさえ疑念を否定する答えを求めていただけなのかもしれない。
後悔しても今更遅い。
(────ハルカ。リョウスケさん。リエ。わたしが殺してきたみんな…………)
───いなくなった人たちは、もう帰ってこないのだから。
顔が熱くなる。
ぽろぽろとなさけなく涙がこぼれる。
遥香を殺してしまったあの日から、わたしは全く成長していなかった。
それどころか思考を停止させて、自分が機械だと思い込んで、取り返しのつかない過ちをいくつも重ねてしまった。
「わたしは、いったいどうしたら─────!!」
「………それこそ、自分の頭で考えなさい。奪った命と向き合って、何をするべきか決めなさい」
カプチーノが真っ直ぐにわたしを見つめて、そう答えた。
それが───わたしたち天使が背負うべき責任と言うかのように。
「自分の頭で………考える」
「……大丈夫よ。アナタの心は死んでないし、機械なんかじゃない。このアタシと───レイナが保証してアゲるわよ」
カプチーノが、今度は優しく微笑みかけた。
……わたしは機械─────じゃない?
……わたしには─────心がある?
───────なら、わたしは今どんな気持ちになればいいの?
「これ以上アタシから言えることはないわ。ここからは、アナタが勝手に向き合いなさい」
「……………ごめん、なさい」
無意識に声を漏らす。
これはきっと、言わなくてはいけないこと。
「ごめんなさい。今まで殺すしかないと思って………ごめんなさい………!!」
口から漏れた言葉は───懺悔。
心があるとは、ずばりそういうこと。
親しくなった者が死ねば悲しいし、苦しくなるものなのだ。
わたしはそんな者たちを殺して、心は機械だと感情を押し殺してきた。
────だが、たった今心があると知って。
この苦しくて、どうしようもない後悔は本物だと気づいて。
ここで、初めて──────わたしは機械じゃないと識った。
今まで我慢してきた激情が暴れ出す。
動悸が激しくなり、呼吸も絶え絶えになる。
決して許されないことをした。してしまった。
辛さ、苦しさ、後悔全てに刺し潰される気持ちになって。
────けど、同時にすごく、嬉しかった。
人並みの感情を持って、わたしは生まれてきていたこと。
人並みの気持ちで、彼らの死の悲しみ理解して、わたしも悲しくなれたこと。
そして───今まで出会って話した者たちに、感情を持って接していたことに気付けたこと。
仕事とは別に、わたしはもっとみんなと仲良くなりたかった。
もっといっぱい話して、みんなを知りたかった。
遥香とはもっといっぱい一緒にスイーツを食べたかった。
理恵とは仲直りして、もしそれが無理でも関わっていたかった。
ローズとミカとも、ずっとずっと一緒にいたかった。
……だが、今となっては叶わぬこと。
それらは全て過去に描いた幻想であり、決して忘れてはならない喜びと悲しみが詰まった、大事な思い出なのだから。
………今、自分がどんな顔をしてるか分からない。
ただ────みっともなく泣きじゃくっていたということだけは、確かだった──────────。
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