4章 第5話 託されたもの
────上北病院11号室前。
あのまま上北病院まで直行した。
病院はあの廃病院とは違い、まだまだ新しい印象を与える。
「ついたよ、レイナ」
レイナの方を振り向く。
「……すまない。ボクとしたことが取り乱した」
今ではすっかり平静を取り戻したようだった。
「それじゃあ、行こう」
「うん」
扉を開く。
この先に女神様が────────。
目の前に広がった光景は、普通の病室だった。
なんてことはない。ただの病室。
今が深夜なのもあって、暗くて視界が悪い。
目を細めてやっと見れるレベルだった。
───ふと、病室の奥、窓際のベッドに何かがいるのに気がつく。
「あそこに誰かいる」
物音を立てないよう、慎重に進む。
ついに、目の前まで来た。
───そこにいたのは、一人の女性の人間だった。
女性は寝息を立てながら、すやすやと眠っていた。
その姿はとても神秘的で、どこか既視感を覚える。
「このヒトが、ボクのお母さん……?」
レイナが喜びと疑惑が入り混じった声を上げる。
ここには、この人以外誰もいなかった。
(なら、本当にこの人が女神様………?)
それは本人に直接問う他ない。
「ねえ、ウィシュ。起こしちゃって大丈夫かな?嫌われたりしないかな?」
レイナが心配そうに尋ねる。
「大丈夫だと思う。ゆっくり起こしてあげて。決して怖がらせないように」
レイナが慎重に女性の体をゆする。
すると、何かに気づいたように女性は目を少しづつ開いた。
「………どなたかしら?」
眠そうに目を擦りながら体を起こした。
「あの……お母さん」
レイナが強張った声で言った。
「…………?」
女性は首を傾げた。
「聞こえてる?ボクだよレイナだ」
女性はなおも困惑しているようだった。
まるで、わたしたちのことを不可解そうにしているような────────。
「無意味だ。そいつはお前らの母ではない」
突然、ドアの方から聞き覚えのある声がする。
────そこに立っていたのは、白衣を来たバザーだった。
「バザー!?」
(どうしてここに?今は来れないはずじゃ………)
「お前らがウィシュとレイナか。顔を合わせるのは初だな」
バザーの発言に困惑する。
「初………?」
「それよりどういうこと?ボクたちのお母さんじゃないって」
レイナが警戒心を
「その前に、だ」
バザーが何やら取り出して、口に取り付ける。
不思議な形をしたマスクだった。
すると、バザーはそのまま喋り始めた。
『すまない私だ。起こしてしまったな』
さっきより多少口調を柔らかくして喋る。
「………!ああ、先生でしたか。お気になさらないで下さい」
女性はホッとしたように、また眠りについた。
「………!?一体どういうこと?」
状況が飲み込めない。
バザーは今何をした?
バザーがマスクを外す。
「お前らに話してやる義理はないが────暴れられたら面倒だ。教えてやろう」
バザーが対面のベッドに座り込む。
「全ては、あそこから始まった─────」
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
桜の花びらが芽吹く時期。
殺し屋の俺は、ある依頼を受けた。
下北病院の病院長望月カレン。
彼女を殺せという依頼だった。
俺からしたら、これも他愛もない仕事の一つに過ぎなかった。
俺は世界一の殺し屋だった。
それは驕りではなく、歴然たる結果と実力から導き出せる真実だ。
いつもと同じ。なんの感動もなく、終わらせる。
そう。そのはずだった─────。
「ちわっち〜☆久遠君元気〜?」
「はい。おかげさまで」
"研究員"という肩書きで忍び込んだ俺は、カレンと接触を果たした。
久遠というのは、もちろん偽名だ。
俺に名はない。
カレンという女は底抜けに明るいやつだった。
ただ、馬鹿では無かった。
隙だらけに見えて、誰よりも他の人のことを見ていた。
患者のことを第一に思い、自分の"研究"に命をかけていた。
命を奪う仕事をしている俺とは、性格も含めて真反対な人間だった。
「久遠君好きな人いる?」
「そんな無駄口叩いてないで手を動かしてください」
「無駄口じゃないよ。生物ってのはいつか好きな人同士くっついて、新たな生命が生まれる。この"研究"に関わる大事な部分だよ」
「………そもそも、なんでこんな研究を?」
「ナイショ。出来てからのお楽しみってやつだよ」
"研究"は新たな人類───"天使"を作る計画だった。
もちろん人道的に禁忌の研究だ。
俺が雇われたのも、研究の中断、あわよくば強奪を狙ったものだろう。
この女はそれを秘密裏にやっており、この研究の詳細とその"目的"を知ってるのは彼女だけ。
助手の俺でさえ、知り得なかった。
────殺人計画当日。
痕跡が残らないようカレンの研究室を訪れた。
ここで殺せば仕事は終わり。
足どりが一テンポ遅れてるようにも感じたが、今は無視する。
いつものように、無感動に殺すだけ。
機械のように心なく。
少なくとも、そのはずだった────────。
彼女はそこで息絶えていた。
死因は薬品による自殺と見て間違いない。
訳がわからない。
自殺する理由がない。
なぜ、なぜ、なぜ?
残されたものは、デスクに置いてあった一枚の紙切れ。
そこには、端的な二言が書いてあった。
『完成した。後は任した』
分からない。あの女のことが、何一つ分からなかった。
もはや俺への嫌がらせとしか思えなかった。
俺は、託されてしまった。
この病院の行末と、"天使を作る機械"を。
これこそが、俺が生涯唯一失敗した仕事だった───────。
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