3章 第5話 つららとスイーツ

 ────討伐対象はNo.116。

 街中で堕天使化したらしい。

 このままでは、人間に大きな被害が及ぶ。

 その前に仕留めなければならない。


「情報からすると、まだなりたてっぽいから"具現化"も扱いこなせてないはず。今回はチュートリアルみたいなものさ」

 レイナが走りながら説明する。

「………前に言ってた、心が腐るって何なの?」

堕天使は、心が腐った天使がなってしまうと聞いた。

「さあね。少なくとも、ボクには一生理解できない感覚だろうね。さぁ、行くよ」

「………」

 わたしは無言で立ち止まった。

「……どうしたんだい?」

レイナが心配そうに尋ねる。

「本当に、殺さなきゃいけないのかな?まだ、助ける術は─────」

「ウィシュ」

レイナが睨む。

 いつになく、真面目な顔になっていた。

 つられて慄く。

「で、でも元はわたしたちと同じ天使で────」

「訓練のとき───には言ってなかったか。いい?戦場では同情は禁物。これはあくまで命の取り合いなんだ。───だから捨てて」

 これが最後の忠告だとばかりに、レイナが先を急いだ。

 レイナの言っていることは、正しい。

 でも、諦めきれないわたしがいる。

 本当に、これは正しいことなのか?

 堕天使は救いようがないのか?

 ローズは殺すしかなかったのか?

 いくつかの迷いはある。

 だが──────────、


「レイナの期待には、応えたい────!」


 それらは一旦考えないことにする。

 わたしも走り出した────────。




レイナが、わたしが追いついたのを見ると笑みをこぼした。

「ボクのバディは伊達じゃないね」

「はぁ……はぁ……どうも」

 今いるのは、ビルの屋上へと続く階段の踊り場。

「情報通りなら、このビルの屋上に堕天使がいる。ウィシュ準備は出来た?」

「ちょっと待って……。……すー……はー。うん、行ける」

 呼吸を整えると同時に、銃を握る手に力を入れる。

「オーケー。じゃあ、作戦通りボクが囮になるから、キミが裏から仕留めて」

「うん、わかった」

「数えるよ。3……」

 レイナが扉に手をかける。

「2……」

 銃を手に、集中する。

「1────え?」


激しい轟音とともに扉とレイナが吹き飛んだ。


「………!!レイナ!!」

(何……!?何が起きたの!?)

 慌てて振り返る。

「こっちは無事!ヤツに集中して!!」

レイナの声を聞いて一安心するとともに、前方に意識を尖らせる。

 ───途端、寒気がわたしを襲った。

 考える暇もなく、直感的に伏せた。

 すると、わたしの頭上を何かが通り過ぎた。

 

 ─────氷のつららだ。


 前方に見える少女。

 彼女が"具現化"を使った堕天使だった──────。



 ローズのときのように、バグのようなモザイクが煌めいている。

 目は真っ黒の空洞。

 纏った雰囲気は、わたしを萎縮させるに十分なものだった。

「………ひっ!」

「ウィシュ作戦変更だ。キミはとにかく死ぬ気で!」

 レイナの声で、なんとか喝が入る。

 同時に、幾本ものつららがこちらに向かってきた。

 それらを紙一重で躱す。

 そして、天使の翼を広げて上空を舞う。

(こちらの方が当てにくいはず………)

 レイナの訓練がなかったら今頃蜂の巣だったかもしれない。

 一旦、冷静に状況を分析する。

 レイナはまだ階段にいるはず。無事だと言っていたが、実際は分からない。

 対象の堕天使はわたしを狙っている。

この子の"具現化"はこの氷のつららで間違えないだろう。

 氷のつららは横幅50cmぐらいの図太いもので、先端は鋭く尖っている。

 天使は頑丈だが、直撃は避けた方が良さそうだ。

 ひとまずは避けることに専念して、勝機を探した方がよさそうだ。

「………」

 堕天使の少女の顔を盗み見る。

 表情はなんとも分からないが、不思議と辛そうにも見えた。

 まるで、何かに凍えているような………。

(いや、そんな暇は、ない!)

「く……ッ!」

 つららが腕を掠った。

 余計なことは考えてはいけない。命取りだ。

「ウィシュ!!裏取って!!」

 入り口の方から、何かが堕天使めがけて突っ込んでいった。

 レイナだ。

「危ない!」

レイナは無防備な状態で突き進む。

 もちろん、ターゲットはレイナに移る。

 無数のつららが天使を襲う。

 つららは無垢な天使に突き刺さり──────、


 ─────否。

 天使の少女に触れる寸前で、ソレは砕けた。

「効かないよ」

堕天使がレイナから距離を取り始める。

 近距離に対する対抗策はないようだ。

堕天使は真っ黒な翼を構えると、それをはためかせた。

 空中戦に持ち込むのか。はたまた逃げるのか。

 どちらにせよ────────、


「チェックメイトだよ」


 レイナが注意を引いてる間に、わたしは堕天使の真後ろまで来ていた。

 後頭部に照準を合わせる。

 わたしは躊躇いなく、引き金を引いた─────────。




「いやーナイスだったね。それでこそバディだよ」

「……うん」

 初の堕天使討伐を終えて、ちょっとした打ち上げをレイナとすることにした。

 ちなみに、提案したのはレイナだ。

ここは巷でウワサのスイーツ店らしい。

 渡されたメニュー表にあるスイーツは、どれも美味しそうなものばかりだった。

「………」

「どうしたんだい?調子悪い?」

 一足先に頼んだチョコバナナナッツクレープを頬張りながらレイナが尋ねた。

「ううん、大丈夫。ちょっと昔のことを思い出していただけ」

 食べることは大好きだ。

 甘いものは特に好きだ。

 だが、初仕事を終えて以来、ろくに食事をしてこなかった。

 天使は食事を必要としない。

 とはいえ、何も口にしなかったのは、単純に意欲が湧かなかったからだ。

(……そう言えば、結局みんなにクレープ奢れなかったな)

 ローズ、ミカ、ライヤー、ジョン。

 わたしが報告会をすっぽかして、みんなにとっても心配された。

 あの時はもちろん悪いことをしたと思ったけど、それ以上に、大切に思われていたことが嬉しくてたまらなかった。

「ウィシュは何を頼む?せっかくなんだ。ここはボクの奢りさ」

気前よくレイナが胸を叩いた。

 その自信に満ち溢れた姿に、わたしは安心を覚えているのだろう。

「ありがと。じゃあ、このフルーツショートケーキで」


───ほどなくして、注文したケーキが届いた。

 ケーキは煌びやかにデコレーションされており、各種フルーツが入っていた。

「美味しそう………」

思わずゆだれが垂れてしまいそうだ。

 いつからこんなに美味しいそうなものを食べなくなったのだろう。

 フォークで切り取り、口にする。

「………!!」

───やはり、思った通り美味しい。

 そして──────懐かしかった。

「これ、ハルカの………」

遥香がわたしにプレゼントしてくれたケーキ。

 形も味も違うものの、クオリティとしては同レベルのように感じた。

(やっぱり、ハルカは凄かった。……わたしはハルカになんてことを─────)


「───ウィシュ、それはダメだよ」


 ────レイナがわたしを諭すように言った。

 瞳は神秘的に輝いていて、見たものを硬直させる空気を帯びていた。

 これは特殊な能力とかそういうのではない。

 レイナのその美しさと、幻想的な儚さ故に成せる技だった。

 わたしは逆らう術なく固まった。

と、それも束の間。

 すぐにいつものくずれた様子に戻る。

「はぁ。キミの抱えてるものにグチグチと説教するのはゴメンだったんだけどさ。バディとして、土足で踏み込ませてもらうよ。……ウィシュ、ボクにとって、ニンゲンと関わるのはあくまで仕事だからだ。ボクは殺せと言われたら、会話なんてしないで無感動にニンゲンを殺す。そういう線引きだ」

レイナが一拍置く。

「だから、キミのやり方はボクからしたらアホらしくて仕方ない。ヒトを知ろうとして、そのくせ最後には殺す。このまま続けても、キミの心がズタボロになっていくだけじゃないか」

「それは………」

「違う、なんて言わせないよ。キミは────機械なんかじゃないんだ」

「─────」

「ボクたちは天使だ。機械じゃない。どんなに希薄でも感情はあるし、心だってある。そういう生き物だ」

「わたしは───機械じゃ、ない?」

 そんなはずはない。

 わたしは冷徹で無慈悲な機械だ。

 そうじゃなければ──────────。

「………まぁ、そこについてはゆっくり考えてけばいいよ。無理にその心の封印を解いちゃうと、暴走しかねないからね」

 ………息が苦しい。

 気づかぬ間に呼吸を忘れていた。

 汗もダラダラだった。

 わたしは機械だ。

 その、はずだ。

「余談だけど、ニンゲンに対する認識はボク以外も同じような感じさ。出来るだけ跡が残らないよう、確実に暗殺する。みんなこれだから、キミだけが異質なんだよねぇ」

 レイナが付け足して言った。

「わた、しは…………」

「───。思ったより難病っぽいね。迂闊に言ったボクが悪かった。許してくれ」

 レイナが頭を下げた。

 らしくない姿に、思わず我を取り戻す。

「………え?あ、レイナ!?なにしてるの!?」

「見ての通り謝罪だ。許してくれるかい?」

「許す、許すから!早く頭をあげて!」


──それからしばらくして。

 だいたい落ち着きを取り戻せた。

(………わたしは機械じゃないのだろうか)

 その謎がわたしの中を蠢くが、ひとまずは平静でいられるようになった。

「どう?落ち着いた?」

 レイナが尋ねる。

「うん。まだ受け止めれないけど」

「何よりだ。じゃあ、別の話題にしよう。今日の堕天使討伐はどうだった?」

「どうだった………か」

辛かったし、怖かった。

 レイナの期待に応えたいという気持ちがエンジンになってなければ、逃げていたかもしれない。

それに、まだあの子を救う術があったのかもしれないと苦悩する自分がいる。

 けど──────────、

「あの子の最期の顔、とても安らかそうだった」

 あの堕天使の少女を撃った直後。

 垣間見えた表情は、苦痛から解放されたような、とても安らかなものだったように思えた。

 人間を殺すのとは、また違った。

「だから、あの子には正しい死を与えられたと思う。そこに関しては、後悔はないよ」

 これだけは、心から正しいことをしたと言える気がする。

「そう。ならよかった」

レイナが優しく微笑んだ。

 相変わらず、美しく笑うものだ。

「……ねえ、レイナ。ミカの最期はどうだった?」

 堕天使化したミカを討伐したのはレイナだと聞いた。

 別に、怒ってるわけではない。

 今までレイナに聞けなかったのは他の理由がある。

 それを聞いたら最後、ミカの死を現実として受け止めなければならないのが、あまりに怖かったのだ。

「ミカ………ああ、あの子か。悪いけど、語れることは少ない。なりたての状態を、奇襲をかけて仕留めただけだから」

 淡白な物言いだ。

 だが、ミカのことを覚えていてくれただけでも、わたしは嬉しかった。

 本当にレイナには、助けられてばかりだ。

「そう………いや、ありがとう。ミカもきっと、最期は安らかだったはずだよ」

「だったらいいけどね。……さて、そろそろお開きにしようかな」

レイナが席を立つ。

「………待って。最後にもう一つ」

「ん?なんだい?」

「レイナには、やりたいことがあるんだよね」

「そうだね。お母さんに会いたい。そのためなら何でも出来るよ」

レイナが当たり前のように言った。


「わたしがその夢を叶えてみせる。だから、レイナもわたしに手を貸して」


それを聞いた途端、レイナが目を輝かせた。

「本当かい!?いや、それよりキミにも夢が出来たの!?」

「いや、夢なんて大層なものじゃないよ」

 もし、わたしが機械じゃないと言うのなら。

 もし、沢山の人を殺したわたしでも何かを望んでいいのなら。

「やりたいことが沢山あるの。協力してくれる?」

「もちろんさ。それでどんなことをしたいんだい?」

「まずは─────ライヤーとジョンを見つけたい」

ミカとローズはもういない。

 けど、ライヤーとジョンは行方不明なままだ。

 この二人にまた会いたい。

 会って、話がしたい。

「そして────わたしもお母さんに会ってみたい」

「キミも?でも、急にどうしてだい?」

「レイナ、この前殺したおじいさんのこと、覚えてる?」

「あぁ、ボクたちで運んだニンゲンね。それがどうかしたの?」

「わたしたちが殺すのは"死ぬほど不幸なヒト"だよね。けど、あのおじいさんは………」

死ぬほど不幸、というよりは、ただお迎えが早く来るのを待ち望んでいただけのようだった。

「別にそういう場合もあるんじゃない?」

レイナは特に興味はなさそうだった。

「じゃあ、レイナのあの、"具現化"を消し去った"権能"って何?堕天使って一体何なの?」

「それは………分からない」

レイナが目を逸らした。

 こんな風に、レイナでも知らないことは山ほどある。

 もし、全てを知ってる者がいるとしたら───────。

「わたしは天使や仕事について知らなくてはいけない。その鍵を握っているのは、おそらく女神様だよ」

 わたしたち一部の天使が、生まれたときに聞いた声。

 その声の正体───女神様がきっと全てを知ってる。

「わたしは聞かなきゃいけない。わたしたちは何なのか。わたしたちのやってることは、正しいことなのかを」

「………相変わらずウィシュらしいね。───でも、今までよりは晴れやかな顔だね。嫌いじゃない」

 今まではやっていること全てを正しいことだと思い込もうとしていた。

 しかし、レイナと話して疑問が浮かんだ。

「うん。だから、女神様と話がしたい」

「そう。なら目的は一緒だね」

レイナが深く頷いた。

「それと、最後に─────」

「なんだい?」

「もっと、たくさんの美味しいものが食べたい」

「……突然だね」

レイナがびっくりしたように目を丸めた。

 おそらく、レイナにはわたしは欲のない慎ましい子に見えていたのだろう。

「わたし、こう見えても食いしん坊なんだ。知らなかったでしょ?」

「……ホントに、晴れやかな顔だね。キミを勘違いしていたみたいだ。よりバディとして相応しくなったね」

レイナが不敵に笑った。

 つられて、わたしも笑った。

 ───────そうだ。

 問題は山積みだが、悲観することはない。

 わたしとレイナなら、どんな苦難も乗り越えて、真実に辿り着けるはずだ。

 そう思いながら、わたしたち二人は高らかに笑い合った─────────。


 

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