3章 第3話 新しい日々

 ─────あれから数日が経った。

「おはよーウィシュ。今日は暑いね。この部屋クーラーとかないの?」

「………あるけど、リモコンがない」

「うぇ〜。流石に汗でベタベタになるのはやだな」

 557号室。

 わたしの待機場所であるこの部屋に、今は客人が来ていた。

「気になってたけど、何で毎日来るの?というか、この部屋鍵がかかってたはずじゃ………」

「ん、理由なんている?まあ、強いて言えばバディだからね」

 客人はレイナだ。あれから毎日来ては、この部屋に入り浸っている。

「それと、鍵はもうかかってないよ」

「え?なんで?」

「だって大天使になったんだよ。扱いも変えるべきだ、ってボクが直々に提訴したんだ。褒めてくれてもいいよ」

レイナが褒められるのを期待するような子どもの目をした。

「……うん、ありがとう」

実際、仕事以外でも自由に出入り出来るようになったのは嬉しかった。

 例え部屋から出ないとしても、閉じ込められたような閉塞感が無くなるのは気分がいい。

「えへへ、これから困ったら何でもボクに言ってね!」

 レイナは自信満々に、嬉しそうにはにかんだ。

 ………相変わらず美人だ。

「ん?もしかして見惚れた?」

「いや………うん。見惚れた。レイナって、なんていうか………幻想的な感じだよね」

「それって褒めてる?」

「褒め言葉のつもりだよ」

「ふーん、ならいいや」

そう言って、わたしの座っているベッドにダイブした。

「ところでウィシュ、"お母さん"の話なんだけど………」

「いや、もうわたしに話せることはないけど……」

毎回恒例のやりとり。

 わたしが知ってることは、生まれたとき女神様の声を聞いたこと。

 本当にただそれだけだ。

 なのにレイナは─────────、

「本当に?何かの弾みで思い出せたりしない?思い切り頭を殴りつけたりとか……」

「やめて。冗談抜きで死んじゃうから。絶対やめてね」

 この調子で、少しでも女神様の情報を手に入れようと躍起になってる。

 ときおり、少々行き過ぎて真顔で物騒なことも言い始めるから、気が気でならない。

「逆に、レイナは女神様について何か知ってりしないの?大天使なんだから、色々知っててもおかしくないんじゃない?」

「その通りだけど、生憎女神様についてはサッパリ。ボクも生まれるとき声を聞いただけだし、他の大天使たちは声すら聞いたことが無いんだ」

んー、とレイナが困り顔になる。

「キミから女神様って言葉が出たとき、ボクは衝撃だったよ。なんたって、諦めかけていた夢がわたしの妄想じゃないって証明されたんだ」

「………夢?」

「そう。ボクの夢は名前も顔も知らないお母さんを見つけること。……今は、ただその声だけが頼りなんだ」

 レイナが目を輝かせながら呟いた。

 これが、レイナの夢。やりたいこと。

「見つけてどうするの?それで終わり?」

「んー……。考えたことも無かったよ。……でも、そうだな。もしお母さんに会えたら、思い切りハグがしたい」

「それが……夢?」

「ウィシュもくどいなぁ。周りがなんと言おうと、これはボクだけの夢だ。誰にも、邪魔させやしないさ。………あ、でも、ウィシュが加わりたいならそれでもいいよ」

レイナが雄弁に語った。

 この夢は決して挫けないと思わせるだけの、威風と自信で溢れた顔だった。

(わたしも、こんな風になれたら………)

「ん、そう言えばウィシュの夢は何?」

思い出したように、レイナが尋ねてきた。

「わたしは…………」

「教えない、はナシだよ。ボクは語ったんだ。キミからも聞かしてくれてもいいだろ?億万長者とか?それとも、もっと偉くなりたいとか?」

興味津々そうなのが、わたしの罪悪感を余計に煽る。

 レイナの期待した回答にはならないだろう。

「わたしは………夢がない。やりたいことがない。

そもそも、そんなことをして許されるかも知らない」

「………夢に許すとか許さないとかある?夢を持つのは自由でしょ」

「………わたしはこの手で何人もの夢を奪ってきた。それがそのヒトにとっての幸せになると分かっていても、他人の夢を蹴落としたわたしが夢を持つのは、許されないよ」

夢を持った人を道半ばで殺しておいて、どの口で夢が欲しいと言えるのだろう。

「それにわたし、心のない機械だから。機械が夢を持つのはヘンでしょ」

「………キミがそう思ってるならそれでもいいよ。けど、ボクたちはバディだ。ボクの夢を手伝ってもらうのは当たり前として、逆にボクはキミに何かしら手を貸す。そうじゃないと、フェアじゃない」

 レイナが真剣な眼差しで言った。

「でも、わたしは………」

「別に今すぐ決めろって話じゃないから。おいおいでいいよ」

「………うん、分かった」

レイナが言っていることには一理あった。

 確かに片方だけが手伝うのは公平じゃないし、レイナからしても、納得いかないところがあるだろう。

「それならいい。これでボクたちの絆はより高まったね」

わだかまりがなくなり、レイナは気分が良さそうだった───────。




 ────それからしばらくして。

「………!」

「どうしたの?」

「………仕事が来た」

 わたしの頭に命令が送られた。

「ああ、仕事ね」

「じゃあ、行ってくるよ」

立ち上がり、ドアノブに手をかざす。

「………ちょっと待って。ボクも準備するから」

ひょいっとレイナが近づいてきた。

「えっ何で?」

「ボクもついて行くからさ」

当たり前だろといった態度だが、ワケが分からない。

「別にまだ堕天使討伐とかするわけじゃないし………」

「ボクの気分だ。そんな嫌な顔されてもついてくよ」

………レイナがこうなると絶対に引かないのは、ここ数日で十分知っていた。

(自分勝手というか、わがままというか……)

 ともあれ、こうなったらこっちが折れた方が早い。

 渋々了承し、外へ繰り出した───────。




「………儂は生きてるだけで息子に迷惑をかけてしまう。金だけの話じゃない。心にも負担をかけさせている………」

 ──────とある郊外の病院。

 そこに、わたしの仕事の対象がいた。

 カサついた肌に、白髪しらがの頭髪。

 対象は、高年の男性だった。

「息子の嫁がまた優しいのも気に病む。こんな老害

、見捨ててくれたほうが幸せだろうに」

 昔は覇気に満ちていたであろうその顔は、今や見る影もなかった。

「それで、もうこの世に未練はない、と?」

「………未練か。………可能なら、もう一度。婆さんと登ったあの山で、朝日を拝みたいなぁ」

「高望みだね」

 レイナが口走る。

「ハハっ。これは手厳しいお嬢ちゃんだ」

男が失笑した。

「でも、その通りだ。認知症だけならまだしも、脚を悪くしてしまった」

ベッドのそばにある車いすに目をやる。

「………少し話し過ぎた。儂ももう長くはない。まさか、天使が本当に迎えにくるとは。無事、天国に行けそうで良かったわい」

「………そうだね、少し話し過ぎた。ウィシュ。他のヒトが来る前に早く────────」

「レイナ手伝って」

「………何してるのウィシュ?」

レイナが目を見開く。

「このヒトを山まで連れて行く」

「………正気?」

 この人をどうにか運び出そうとしているわたしに、レイナが眉を寄せた。

「それってボクたちにメリットある?そもそもボクたち天使はヒトとは違う生き物だよ」

「お嬢ちゃん流石にそれは無理だ。儂は歩けん。山なんて到底不可能だ」


「大丈夫。天使には翼があるから──────!」



     ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎



「ありがとう………。本当に、ありがとう……!」

 ───男が話していた山の頂。

 男はわたしたちに涙しながら、朝日を浴びていた。

「お礼は大丈夫です」

 ───天使の固有能力、翼創造。

 その名の通り、翼を創造し、空を自由自在に駆け回れる能力。

 この力を使い、この人を山頂まで運んだ。

 もちろん、わたし一人では持ち上げれない。

レイナの力があってこそだ。

「………」

レイナの方に目をやると、顔を逸らされた。

「あの思い出を、あの景色を鮮明に思い出せた。お嬢ちゃんたちのおかげだ。本当に、ありがとう」

「………未練は無くなった?」

「ああ。どちらにせよ長くはなかった。最後にこの景色が見れて本当によかった」

 男が朝日に目をやる。

 その顔は、何か遠いものを思い出してるようだった。

「この薬を飲めば苦しまずに一瞬で死ねる。けど…………」

「皆まで言わないでくれお嬢ちゃん。儂は婆さんと見たこの景色に酔ったまま天国に行きたい」

 男はわたしから薬を受け取り、口にした。

 途端に、男は力なく倒れ込んだ。

「…………」

「はぁ、難儀だねキミは」

 レイナが口を開く。

「いちいち語るのは野暮ったいからさ。一言だけいわせて。────このまま続けたらいつかよ?」

 怒ってるようで、同時に心配しているような表情だった。

「………本望だよ。わたしの力でヒトが救えるなら」

「─────。キミならそう言うと思ったよ。そうだね、今はこれ以上聞かないでおくよ」

 納得してなさそうだったが、ひとまず引いてくれた。

「……ありがとう」

「それはどっちの?」

「手伝ってくれたことと、心配してくれたこと。両方」

「パーフェクト。やっぱりキミは最高のバディだ」

 そう言うと、満足げに頷いたレイナだった───────。



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