2章 第7話 リエ
─────遠い、昔の記憶。
私がまだ、幼かった頃。
私は周りにちやほやされて育った。
大体のことは、何でも思い通りになった。
そこに、何不自由も、不満もなかった。
───ただ一つを除いて。
「ちょっと、アンタいつまでついて来る気?」
帰り道、後をつけてくるヤツが一人。
そいつは、辛気臭い顔していっつも私をつけてくる。
もはや不審者を超えて幽霊みたいなヤツだった。
「ご、ごめん……!でも、あなたみたいになりなさいって、お母さんが………」
そうだった。コイツの母親はここら辺でも有名なヤバい人だった。
詳しくは知らないが、このことをママとかに聞いたら、総じて顔を曇らせていた。
そして、コイツもコイツだ。
母親に言われるがままで、まるでおもちゃの人形みたいだ。
「あんまりうざいとママにチクるよ」
「それはやめて……!そうなったら、お母さんに怒られちゃう……」
また、お母さんだ。
こいつの人生は全て母親に委ねられてるらしい。
私だったらそんなの耐えられない。
「はぁ。アンタはどうなりたいの?」
「……え?」
「アンタはどうなりたいかって聞いてんの!私みたいになりたいわけ?」
「だって、お母さんが………」
「アンタがなりたいかどうか聞いてんの。親は関係ないでしょ」
深く考えるように、そいつは目を落とした。
「……なりたいわけじゃ、ない」
「あぁ?」
「……ご、ごめん!別に理恵ちゃんが嫌いって話じゃなくて………」
私にビビったのか、言い訳をするかのようにまくし立てる。
「別に怒ってないわよ。それより、何を私みたいにしなさいって言われたの?」
性格の話か、外見の話か。
少なくとも、髪型と色はかなり似ていた。
「全部、理恵ちゃんみたいに綺麗になりなさいって」
「流石に性格までは無理よ。だってアンタ、私と違ってウジウジしてるから」
「………うっ」
傷ついたのか、泣きそうな顔になった。
そういうところよ、と言いたいところだったが、それではいよいよ泣いてしまいそうだったので口にしなかった。
それにしても、コイツのお母さんは本当にヘンな人だ。
「外見………少なくとも髪は似てるわね。でも、アンタは私にはなりたくないんでしょ」
そいつはコクリと頷いた。
「なら、簡単よ。三つ編み結って上げる」
「え?」
キョトンとしてるそいつにお構いなく、三つ編みを編み込む。
やり方はママから教わった。
「ほら、こうすれば少なからず私みたいに綺麗になったし、かと言って私とは違うでしょ」
こうすれば、コイツは母親に怒られず、コイツ自身も満足して、何より私は付きまとわれない。
我ながらカンペキな作戦だ。
「………どうかしたの?」
なぜか、当の本人は渡した手鏡を見つめながら呆けている。
(まさか気に入らなかった?)
「…………とう」
「な、何よ………。私がわざわざやって上げたのよ。感謝しな─────」
「ありがとう!!」
満面の笑みで感謝された。
そいつは気に入ったように、何度も結われた三つ編みを指でなぞっている。
………思いの外、私も嬉しかったのか、顔が熱くなるのを感じた。
(いけない……!)
決して顔に出さないように、首を振って落ち着かせた。
「ま、まぁ気に入ったのならいいわ。これで、もう私から離れてよね」
「………え?」
そいつが驚いたかのように目を見開いた。
「な、何よその顔……」
「……私、もっと理恵ちゃんと一緒にいたい」
「は?」
「この三つ編み、嬉しかったから。……いいでしょ?」
懇願するようにそいつが見つめてくる。
それを見てると、なんだか冷たくあしらおうとしてたこっちが悪役に見えてきたような気がして。
「…………分かったわよ」
折れてしまった。我ながらこればっかりは情けなかった。
「………ホント!?」
心底嬉しそうに聞き返してくる。まるで犬みたいだ。
「二度も言わせないで。………というか、アンタ名前は?」
実を言うと、コイツの名前は知らなかった。
いつもつけてくるヘンなヤツ、程度の認識だった。
「名前……?わたしは遥香だけど?」
「遥香か………。うん、覚えた」
「えっと、理恵ちゃん。……ありがとね」
──────遥香と幼なじみになったのはここからだった。
このときの遥香の嬉しそうな顔は、多分一生忘れないだろう────────────。
「…………ん」
ゆっくりと重いまぶたを開く。
眠りから覚めた際の、あのだんだんと意識が冴えていく感覚を感じる。
窓の方に目をやると、日の光が眩しく入り込んでいた。
「もう朝か………」
ずいぶん昔の出来事の夢を見た。
昨夜飲んだ薬の影響だろうか。
それとも、アイツと話したからだろうか。
「いや、それはないか」
それにしても、昨夜は妙に心が落ち着いていた。
復讐に来たかもしれない少女と出かけるなんて、今思えばおかしな話でならない。
これも薬のせいだろうか。
「大嫌い………か」
ウィシュタリアに言った言葉を思い出す。
私は、遥香もウィシュタリアも嫌いだ。
自分とは違う、何か"尊いもの"を持っているようで、気に食わない。
私に"それ"がないことを、思い知らされるのが、怖くてならない。
だから────いじめた。
周りにはやし立てられたのもあるが、根本の原因には、恐怖があったのだろう。
(…………遥香が死んだって聞いたとき、私はどんな顔してたっけ)
嬉しかったのか、悲しかったのか。どっちだったかは覚えてない。
ただ、呆然としていたのだけは覚えている。
「……………」
─────ふと、ドアが開かれる音がした。
ママはこの時間パートで家にいない。
なら、ドアを開けたのは────────。
「………リエ」
「………ウィシュか」
他ならぬ、天使の少女だった。
「………リエ」
ベッドに腰を下ろしていた少女が、わたしに気づく。
「………ウィシュか」
理恵は嫌そうな顔だった。
……いや、わたしに向ける顔はいつもこれだ。なんら変わりわない。
ただ、なんというか、諦めに近い空気みたいなのが感じ取れた。
「何の用?話なら昨日十分したでしょ」
まるで突き放すように、ぶっきらぼうに尋ねてくる。
「………わたしはリエを殺すのが仕事」
「聞いたわ。天使がうんぬんとか抜かしてたっけ。そういうの、どーでもいいから」
理恵は心底つまらなそうだった。
「…………!リエは生きていたくないの!?死んじゃったら、何もかもお終いなんだよ!?」
わたしの言葉が気に障ったのか、理恵の空気が変わった。
「だ、か、ら!どーでもいいんだって!!もうそんなコト!!」
理恵の拳がベッドを強く叩きつけた。
「アンタにわかる?この気持ち!?一つの過ちで人生全てが台無しになる絶望が!!」
「………ハルカをいじめたこと、一つの過ちで片付けていいことじゃない」
「…………ッ!相変わらずいい子ちゃんね、アンタは。アンタには一生分からないわよ。私みたいな人間の気持ちは。………ま、分かりたくもないでしょうけど」
「そんなことない……!わたしは………!」
わたしは理恵のことを、ちゃんと理解したい。
そう言おうとした手前、言葉がつっかかった。
「………もういいわよ、今ので冷めちゃった」
理恵からさっきまでの激情が消えた。
「………もう一度聞くよ?リエは死んでもいいの」
理恵が窓の方に顔を向けた。
「………やになった」
顔が見えないため、表情が読み取れない。
「昨日、この部屋でアンタを思い出したとき。復讐で殺されると思って、ひどく動揺した。……けど、考えてみたの。もう、この先私にはロクな人生が待ってない。なら、死ぬのもアリかなって」
そう言って、理恵はこっちを向いた。
……それは、絶望の表情だった。
「それは……!」
「死ぬなら痛くないのがいいな。遥香は飛び降り────いや、一酸化炭素中毒で意識不明のまま不慮の落下、だっけ。ああいうのはやだな」
本当に、死んでもいいという言い草だった。
「………リエのお母さんは悲しむよ」
それを聞いた途端、一瞬理恵がハッとした顔になったが、すぐさま目線を落とした。
「………別に。どうでもいいわよ」
「リエにはやりたいことはないの?将来の夢もないの?」
「無いわよ、そんなもの」
「じゃあ、生きるべきだよ!まだ、わたしも見つけれてないけど、それを頑張って見つけるために生きてみようよ!」
そうだ。やりたいことを見つけないまま死ぬのは、あまりに虚しい。
だから─────────────。
「………アンタさぁ。何がしたいの?」
「え?」
「私を殺しに来たクセに、何で生きさせようとするの?」
─────それは、当然の疑問だった。
なんで、生きるべきだ、なんて口にしたのだろう。
わたしは殺しに来たのだ。
それがその人を救う、唯一の方法だと信じて。
なんで、わたしは目的とは真逆のことをしているのだろう。
わたしは正しいことをする、機械のはずなのに。
「それは………」
「嫌がらせ?私に決断を鈍らせて、後悔させながら殺す気?」
「そんなこと───」
「無い、とでも言う気?もしそうなら、アンタは私を半端な覚悟で殺すの?……なんだ。アンタもとんだ偽善者じゃない」
滑稽だ、と理恵が薄ら笑いを浮かべる。
「─────私、やっぱりアンタのこと嫌いだわ」
「………」
わたしには、何も言い返せなかった。
「ほら、殺すならとっとと殺しなさい」
理恵は立ち上がると、無抵抗を表すように、両手を広げた。
わたしはポケットから銃を取り出した。
それを見た理恵が、驚いてかか細く悲鳴を上げた。
「………なんでそんなものもってるのよ。おもちゃ?」
「……本物。弾も入ってる」
そうだ、もう迷うな。
眉間に照準を合わせる。
これ以上迷ったら、理恵の決意を裏切る行為になる。
それに、今まで自分を保っていた"何か"が崩れ落ちる。
「……リエ」
「……何よ」
「リエがハルカにしたことは許せない。……けど、わたしはリエのこと、嫌いになれなかった」
「………………そう」
理恵が目線を落とした。
「………ウィシュ。私からも、一つ言いたいことがあるわ」
「何………?」
「やっぱり私、死にたくない」
そう言うと同時に、理恵が私に覆い被さった。
「………がッ!」
その勢いのまま、わたしは床に倒れ込んだ。
「………悪いわね。やっぱり死ぬのは怖いわ」
理恵が上から押さえつけてるせいで、身動きが取れない。
(………銃は?!)
ベッドの下に転がっている。
さっきの勢いで、落としてしまった。
「…………うっ!」
首を絞められる。
呼吸が荒くなってるのが、自分でもひどく伝わる。
「………はぁ……はぁ。謝らないわよ。アンタを殺してでも私は生きた………い……の?」
ふと、理恵が何か不可解そうに、自分の腹を見つめた。
「────!!」
「………ごめん、リエ」
理恵の腹には、深々とナイフが突き刺さっていた。
朱色の血が滝のように流れ出る。
突き刺したのはわたしだ。
念の為に隠し持っていたのが功を成した。
「………何コレ、あつい」
首を絞めていた腕に力がなくなる。
「………あ、あはは。そうなんだ………私って、こうやって死ぬんだ」
理恵が渇いた笑いを漏らす。
「…………ごめんね、ママ、パパ」
「………リエ」
理恵が思い出したかのようにこちらを向いた。
顔色はひどく悪い。今にも事切れそうだった。
「………ウィシュ。どうしてくれるの?私、まだ死にたくなかったよ?」
「…………!」
最後の力を振り絞ってか、理恵はニヤついた表情を作った。
「最後に、アンタに……最高の呪い、をプレゼントして、あげる。………この悪魔め」
そう言い切ると、とうとう理恵は動かなくなった──────────。
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